ご無沙汰です。

…いやほんとご無沙汰で。1年以上ぶりですか…

暑かったり暑かったり暑かったり、いやほんまに4月かいなというぐらい暑い今日この頃ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。


ちょっと公開中の映画と、あるマンガについてご紹介しようかと。どちらも

縁の深い人(魂)     

"生まれ変わってでも何度も出逢いたい"と願うほどの強い想いと絆のあるソウルメイトについてのお話です。

 

で、ついでに私の思うところもちょっと書かせていただければなーなんて…




パスト ライブス / 再会(2023年 アメリカ)

 

 

  ~ ストーリー ~公式HPから)

ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソン。

ふたりはお互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。
12年後24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいたふたりは、オンラインで再会を果たし、お互いを想いながらもすれ違ってしまう。
そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。
ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れる。
24年ぶりにやっとめぐり逢えたふたりの再会の7日間。
ふたりが選ぶ、運命とは
  

 

 

なんせ公開中の映画なので、余計なこと口走っちゃイカンと思って、ストーリー説明は公式さんから引用させていただきました。

映画の中で、ノラは"イニョン"(韓国語で「縁」の意)について口にします。

(この辺も一応公式さんに書いてあります)


   誰かとすれ違ったときに袖が偶然触れるのは、

       前世(パストライブス(PAST LIVES))で

       ふたりの間に“縁”があったから     


あるとき2人は王妃と家臣だったかもしれない、

別の時には木の枝とそれに留まった鳥だったかもしれない。
そうした「縁」が何千回も、幾層にも積み重なって、現在、ともにいる人との関係があるのだと。
日本でもよく言う、「袖振り合うも他生の縁」ですね。
夫のアーサーとの縁はもちろんですが、ノラはヘソンとの間にも、何千回もの前世があったと考えなければ納得できないほどの絆を感じているのです。
この強い想いを、2人はどうしていくのでしょうか。……

 

昨年の各国での公開時より、あちらこちらからささめきのような評判が伝わってきていた映画です。
監督は韓国系カナダ人のセリーヌ・ソン。
本作は、12歳のときに家族とカナダに移住した彼女が、夫と韓国の友人とディナーを共にした際に着想を得たというもの。
故郷を離れてあらたな人生に踏み出す、という移民としてのストーリーのみならず、それでもなお心に残る「忘れがたい人」との深い縁、という部分に、きっと共感する人が多かったのではないでしょうか。

 

 

 

 


そしてこの、何回もの前世、生まれ変わりを経て縁を重ねていく、という話。
とても似た内容のマンガがあるのです。




よしながふみ『環と周』

(マンガ家さんの書影はちと気を遣うので、リンクで失礼します)

 

 

「環(たまき)」と「周(あまね)」     
『めぐる』という意味の名をもつ2人(ふたつの魂)が、幾度も生まれ変わり、さまざまな関係の"2人"となって繰り返し出逢う様を描いたオムニバス形式の物語です。
そう、この『環と周』は、『パストライブス』でノラが語っていたような、"前世で何度も出逢っていたかもしれない2人"について描いた作品なのです。
そして『パストライブス』は、『環と周』の中の一話のようなひとつの関係を、じっくりと丁寧に描いた映画といえます。

環と周の2人は、時代も違えば性別も出逢う年齢も立場もそれぞれ違う関係の中で、いろいろな形の「好き」、愛を体験していきます。
あるときは"生涯の友"となる大正時代の女子学生、あるときは近所のおばさんと少年…
友情や同志愛、母性とも憐憫ともつかない情など、男女のそれだけではない、「愛」というもののさまざまな面を知っていくのです。

まるで「愛」を体験しつくそうとしているかのように

これ、私が普段思ってぃることと似ていて。

ここから↓は私の勝手なご意見表明なのですが…
"縁の深い人"と生まれ変わってまた出逢う、というようなことがあるのなら、その意味というのは結局それじゃないかと。
"愛を体験する"。

もちろん、生まれ変わりの目的は"魂の成長"ではあるのだろうけど、その人、その魂とだからこそ築くことのできるさまざまな関係を通じて、まず愛を体験することこそが大事なのだろうと思うのです。


それらの関係は決して成就するものばかりではないだろうし、そもそも成就させる必要のないものもあるだろう。
そして、それでいいんだと思うのです。
なぜなら、そのときはそういう形の愛を体験しに来ているから。
その関係に、いいも悪いも成功も失敗もない。
一緒になるのがゴール、というわけでもないと思うんです。(※個人の考えです)

もどかしいかもしれない。
物足りないかもしれない。
でもそれでいいんじゃないかと。

もしかすると、何度もの生まれ変わりで、その魂とは毎回毎回うまくいって、いつもすぐくっついちゃうもんだから、わざとそういう"くっつかない"関係にしているのかもしれない。
(↓以下、上方漫才風なのはご容赦)

「私らいつもすぐ一緒になるやん。
 ほかの関係、全然味わわれへん。
 たまには"うまくいかへん"パターンでやってみぃひん?」
「やるやる!でも出逢うのは出逢うんやろ?」
「うん!でもなかなかくっつかれへんねん。
 互いに想い合ってるのは痛いほどわかってんねんで?
 でも一緒になられへんねんこれが!!」
「うーわー辛そー!でも面白そうやな。
 いや他のみんな、そんな風に悶えてるやん?
 どんな気持ちなんやろう…とは思っててん。
 やろうやろう!うわー楽しみ!!」

…と、こうしてこれら超仲良しの魂は生まれ変わって、そりゃー悶え苦しむ切ない感情をイヤというほど味わう(味わえる)ことになるのですが…
知らんがなそんなん😅

とまぁ、もし関係がうまくいかないとしても、それはそれで"正解"なのかもしれない、と思うのです。(※あくまで私個人の考えです)
それは、「やり残した課題」というよりは、「味わっとかなもったいないやんせっかく生まれんのに」という、大阪のおばちゃん的な"もったいない精神"で、みずから望んで選んだ設定かも知れないからです。(※あくまで私個人の(略))

あの世からすると、"地球に生まれる"って、なんとなくディズニーランドとかUSJに行く感じかも…
(「そらライドはええけど、もう何べんも乗ったやん?今度こそマリオと写真撮るやつ行こうや!しょーもない?行っとかなもったいないやん!な?」的な)

となれば!
いま、その状況、その関係でしか味わえないであろう感情を、じっくり味わい尽くす、というのがたぶん"お得"なんじゃないでしょうか。
そしてそれにどっぷり浸かっていると、結局は底の底の核、自分自身に向き合わざるを得なくなるわけで。
その状況や感情が苦しいとすれば、それは自分が苦手とするところだから、だとか。
相手との関係を体験するとともに、どんどん"自分自身を体験"することになっていく。
何より、"相手"と"自分"との違い、「分離」の感覚を存分に味わうことになる。
(これは"あちらの世界"では味わえないのだろうと思います)

どれがいいとか悪いとかではなく、ただ"魂が経験したいもの"を経験している。
なので、あまり『魂の通知表』のように、あぁまだまだだなぁ…とか考えない方がいいのかも…と思うのです。
大事なのは、点数ではなく経験なのだろうから。
もちろん経験を重ねていくにつれ成長はしていくのだろうけど、それだって学校のドリルのように「この章をクリアしたから次に進む」という感じではないんじゃないかと思うのです。
「現世」だって、果たして「前世」の次にあるものかどうかすらアヤしい。
時間軸に沿って物事が並んでいるように思えるのは私たちのこの次元だからで、本来この世界ではあらゆる出来事が同時に存在しているだろうからです。
(つまり、ひとつの経験で「ああそうか!」と大きく腑に落ちることで、前世も来世も関係なく、オセロの盤面が変わるようにすべて変わってしまうこともあるだろう、ってことです(因果律が時間ではなく次元で作用するみたいな))
(合ってるかどうかはワカラン)


なんかいろいろ書きましたが、だからうまくいかなくたって、それはそれで計画通りなんじゃないかな…魂って通知表みたいに成長を測られるものじゃないんだろうから、ということがただ言いたいだけのタコでした…

「今さら何言うてんねん そんなん当たり前やん」かも知れません、すみません…m(_ _)mm(_ _)m


 

そういえば上の超仲良しの魂たち、あちらの世界に戻ったあとでこんな会話をしているかもしれません    

「もーホンマ参ったわー。
 君、ぜんぜん気持ち読まれへんもん。
 どういうつもりやねん、て思たわ」
「そうやろ?
 今回、メチャ難しい性格の設定やってん。
 こりゃ無理ゲーやなと自分でも思たわ」
「でも切なかったでー」
「そうやろ?これでよぅわかったな、"切ない"って気持ちが」
「うん。"離れてる""分かれてる"って、あんなに辛いもんやねんな…
 せやから「自分」についてもすごい考えたわ。

 "自分のここが悪い""ここがアカン"とかな」
「そうそう。そんなん無いのにな。

 でもそれ考えるのも大事なポイントやったな」

「こっち居ったらそもそも「自分」てわかれへんもんなー」
「うんうん。…面白かったな」
「うん…ほんま、悲しくて切なくて、心えぐられて、あの時はもうこりごりやと思ったけど、こっちに還ってきてみると、すごい感情、体験したんやなってじわじわきてるわ…」
「うん…」
「…次もこれやる?

 なんかもう私ら生まれ変わらんでもええみたいなんやけど」
「そうやな…ちょっと考えさせて…」

懲りてへんのかい😅
ていうか彼ら、このドチャクソ切ないパターンが気に入って何度も繰り返す、ジェットコースターマニアのような魂になるかも知れません…


2作品とも、配信とか読み放題とかじゃないので、もしご興味があれば、ご無理がない程度に。
映画『パストライブス』は4月5日の公開からもう2週間ほど経ってしまっているので、そろそろ上映館も限られてきていると思います。(早くにご紹介できずにすみませんm(_ _)m💦)
非常にまったりした作品ですが(何箇所か寝落ちした(こらー!!))、いい映画だと思います。

よしながふみさんの『環と周』については…まぁよしながさんの作品の良さは万人の知るところですが、これもそのうちの1つで、いい映画3本分ぐらいの余韻が残ります。

エピローグの最後、なんということのないひと言が響くこと…!

なんであんなにいい話が描けるんですかね…



あと、上で書いた「この世界ではあらゆる出来事が同時に存在している」云々の話は、もしよければ、タイトルがまんまの映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』をご覧いただくとわかりやすい…かな…??
終始「なんじゃこりゃ( ゚д゚)」しか感想の出てこない映画なんですが、なぜか終盤には号泣させられているという😅
   特に母と娘の愛と、多次元世界についての不思議で感動的なお話です。
2022年度アカデミー賞で作品賞他主要賞を総なめ。
Netflixで見放題中、他でも配信中です。

 

 

 

 

 

ついでに、Amazonプライムの見放題中作品から。
観たい観たいと思っていた映画をようやく観たので。
 

ミセス・ハリス、パリへ行く(2022年 アメリカ)

 


 

ロンドンの家政婦さんがディオールのドレスにあこがれて、ついにパリにまでお買い物に行ってしまうお話。
ふわふわとしたおとぎ話のような素敵な映画ですが、自尊心についての物語でもありました。
大事ですね…
『ファントム・スレッド』でメゾンの女帝を演じていたレスリー・マンヴィルが、今度はメゾンに初めて足を踏み入れる初心な可愛い女性を演じていて、なんだか不思議な生まれ変わりを見ているようでした。
まだまだ見放題中のようなので、またご興味があれば。
 

それからいまのAmazonプライム見放題、ミュージカルや音楽映画がなかなかに豊作なのでぜひ。
バズ・ラーマン監督の『エルヴィス』、同監督の2001年作『ムーラン・ルージュ』、スピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』とか、あの『グレイテスト・ショーマン』とか。

(サルサ民必見の『イン・ザ・ハイツ』は惜しくも見放題終了)
上原ひろみさんが音楽を担当されて評判のジャズ映画『BLUE GIANT』に、ちょっと変わったところではケイト・ブランシェット様主演の『TAR/ター』、これは音楽映画というより心理サスペンスなのですが、ブランシェット様演じる主人公の指揮者リディア・ターの人物造形がすさまじい。
発売されたサントラには、異例なことに俳優である彼女自身がタクトを振った音源が収録されてるんだそうで、いやなんかもうありがとう…!となります。
他にもたくさんあると思いますが、とりあえず。
私は音楽に関してまったく不調法でさっぱり右も左もわからないのですが、さすがにこれだけ話題作が揃うと観たいなと思います。(『エルヴィス』も『ウェスト~』も未見😅)

 

 

不気味であまり気持ちのいい内容ではありませんが

とても魅力的な映画です

 

 

 

ひぇぇ長くなった…

はたして読んでくださる方はいらっしゃるのだろうか…

もしいらっしゃったらほんとにほんとに有難うございますm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m