よく自分は考えすぎていると思うことがある。
たとえば、記憶にある小さい頃は、いつも夜に泣いていた。
父や母や弟がいなくなるのを想像して。
友達、とも呼べない人たちと話しているとき、人のこんな話聞いている意味があるのかな。
と思っていた。その時間に、何かできるんじゃないかと思い始め、違うことを考え始め、みんなの話題に付いていけずお門違いなことを言い、馬鹿な子だと思われていた。
生きる意味は何か、中学校の頃から考えていた。人付き合いのへたな、引っ込み思案な私。
死、についてもよく考えた。
結局、今の私は、人付き合いがうまいと言われる。
自分でもそう思う。
考えれば考えるほど、苦しめば苦しむほど、学んでいく自分がいたからだ。
父が言う。
自分には頭が上がらない人がいて、その人のためなら何でも苦労できると思える。
その人に褒められ、認められることを目標にしている。
今の自分と一緒で驚いた。
結局、ひとが好きな私たち親子は、ひとのためにやることが一番の原動力となるのだ。
そして、ひとのお世話をし、助けたいと思い声をかけ、いつか誰かにとっての、頭の上がらない人になるのだ。
それこそが、私の生きる意味だと、今日思った。父のおかげ。
