9月20日 曇り 最高26℃ 最低14℃

昨日の民宿の部屋から見た夕焼け空です。焼けていましたねー。


昨日の民宿の夕ご飯です。


ズワイガニ、刺身は、サザエ、マダイ、カンパチ、キス、タコ、ヒラメ、甘エビ、モズク、焼き魚はカレイ、煮魚はムッ、カボチャの煮物、厚揚げの茸餡掛け、イカと里芋の煮物、鶏の唐揚げ、キュウリの辛子和えでした。

新鮮な魚介料理と地元産の野菜料理にはお手上げです。で、結局、地酒は吉乃川の生を2合から3合へ変更しました。肴が多すぎですね。😍 
ま、スキーで尾瀬岩鞍に行けば、昼間から吉乃川を3合は飲んでますからね。🤣

甘エビが本当に甘く、緑色の卵が綺麗でした。ヒラメも抜群に美味かったです。


毎朝、5時に起きると身体の全身がギシギシしており、筋肉痛が激しくなっています。それが荷作りをしたり、朝ごはんを食べたりしているうちに、身体が目覚めるようで徐々にシャキッとしてくるから不思議です。


今日は海岸線に沿って国道402号線と352号線を歩き刈羽まで27kmでした。


路線バスのバス停ではなく、スクールバスのバス停というのを度々見かけます。最初は、なぜこんなにあるのだろうか?と思っていましたが、その謎が解けました。小中学校の統廃合によって、歩いて通学出来ない子どもたちを学校まで送り迎えするためのバス停だったのです。少子化のシワ寄せですね。


山田海岸の磯浜で2人の方が磯タコ釣りをしていました。赤いダミーの餌を投げ入れると、タコが2m範囲にいれば直ぐに食い付いて来るとのことでした。2匹掛かったけれど1匹は落としてしまった、と70歳代の方は言ってました。


1947年の実話だと説明文に書いてありました。盲目の瞽女のお春の唄声は明るいほのぼのとしたもので、人柄も良く歌もうまかったので町の人気者でした。しかし、冬の大雪で出雲崎から帰宅中に吹雪のため倒れ、そのまま亡くなってしまいました。その死を哀れんで"お春瞽女之碑"が建てられたとのことです。


井鼻海水浴場にも沢山の漂流物が流れ着きます。その漂流物を分別し、プラスチックとガラスを大きな袋に集め、後日レッカー車で引き取って行くようです。この風景は初めて見るものでした。


出雲崎地区の海岸線に沿ったバイパス道路を造った時に、町づくりの一環として東京藝術大学大学院生に出雲崎の町並みをスケッチしてもらい、それを看板にしたのが50枚ほど立てられていました。学生とのコラボに、なるほどなぁと思いました。


出雲崎は良寛和尚が生まれた所です。名家の長男として生まれましたが、遺産相続のごたごたに嫌気が差し、18歳で出家し良寛と名乗り、土鍋一つの清貧な生活をしたとのことです。生家の跡地に良寛堂が建ち、その裏側に佐渡ヶ島を眺めている良寛像が置かれていました。
堂の中の石塔に、"いにしへにかはらぬものはありそみとむかひにみゆる佐渡のしまなり"という良寛の歌が刻まれていましたが、あまりの達筆に???でした。


今日の宿泊場所から200m離れると、東京電力柏崎刈羽原子力発電所が2重の有刺鉄線に囲まれて東洋一の規模であります。私は原子力発電所を見るのは初めてです。白い塔には1秒間隔でフラッシュする白色光が取り付けられていました。


宿泊場所にチェックインし、ひと風呂浴びてビールを飲もうとしたら、自動販売機にビールがありません。受付に行って尋ねると、この施設が夏はサッカーの合宿所になるため、煙草と酒は自動販売機ではなく、受付で販売しているとのことでした。なるほど。

明日は柏崎までの17kmですので楽勝です。😄