普通という道 | 『発達ひろば』運営 三浦潤一のブログ

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発達障害当事者グループ『発達ひろば』を運営する、広汎性発達障害(ADHD、アスペルガー症候群)の三浦潤一のブログです。

普通や一般という言葉は、見方によってはいろいろな意味がある。
なので、その時その場面で意味が変わってくる。

普通や一般は「道」に例えて表現もできる。

どんな道も最初に歩いた、または作った人がいる。
獣道だってそうだ。

誰かが踏んだ足跡を、後から誰かが踏みしめて、やがて道となっていく。
しっかりと踏み固まってできた道は、当たり前のように使われ、大勢が行き来するようになる。

この当たり前が出てきた時点で、普通なり一般になるのかと思う。

そこを通って当たり前。普通、一般。

でも、ほんとうはどの道を通っても問題は無い。
遠かろうが、近かろうが、自分で歩く分には誰にも関係の無いことだ。

大勢が通っている、普通の道を歩く分には大概の者には平坦で楽でいいのだ。
ただ、その道を歩いてもしっくりと馴染まない者も中にはいる。

普通の楽な道を歩けない自分達は、同じ地球上の別な道を創って歩こうではないか。
同じ生きる者として、道が違っても何の問題はない。

ただ、歩む道が違うだけなのだ。