一言で発達障害といっても多様な方たちが暮らしている。
なので、発達障害者の生き方は多様なんだ。
とは言え、社会生活でつまづき、苦しむ方は少なくはない。
と言うか、多くいると思う。
この社会生活に難を抱く、多くの人たちの生きる道について考えたい。
発達障害という障害の概念は、表現されてからまだ歴史は浅い。
では、発達障害という言葉がなかった時代はどうだったのだろうか?
社会生活につまづき・苦しむ人たちはいなかったのだろうか?
恐らくいただろうと思う。
発達障害は遺伝による要因も多いようなので、同じくらいの発達障害者はいたのではないかと思う。
もし、当時に同じくらいの当事者がいたのでれば、困らずに社会生活を送ってこれたのだろうか?
今は時代は違えど、悩みを抱えながら自力で時間を乗り切って来たのだろう。
自力で乗り切れたからこそ、「お前だってできる!自分がやってこれたから!」という押し付けがましい励ましも平気で言えるし、障害の受容は必要ないのである。
まぁ、このような例えは参考にはならないけど、時代は変わったということは確かにある。
右肩上がりの世の中から、まったく先の見えない世の中へ変わってしまった。
ただ、先が見えないからといって、内にこもってしまうのでは何も変わらない。
ではどうすればいいのか?
この社会の行く先が見えないのであれば、自分たちが望む社会をデザインするんだ。
同じ悩みを持つ仲間がたくさんいるのなら、支えあって、力を合わせて、理想の社会へ少しでも近づくように向かうんだ。
悩みが笑顔に変わるまで。