貴方が想像出来ていない幸せな人生を、
神である天のパパは願っています
幸せのギフトを送りたくて送りたくて
私達一人一人の受け取る許可を待っています
創価学会なら、自分の宿業(罪)は
法華経の行者としての自他共の幸福の為に動いたら無くなる
と教えられます
クリスチャンでも、
聖書をどっかで知らないうちに
律法的に解釈してしまって
恵を受け取れなくなってたりします。
「この良い行いをしたからこの願いがかなうかも」とか
「聖書のこの部分の罪を犯しちゃってるから
私にはこの問題がおきてるんだ!」とか
悪魔の罠にまんまとはまっています。
アダムとイブは「善悪を知る」木の実を
食べました。
何が悪で何が善かが分かってしまい、
律法主義になってしまったのです。
自分たちの悪を意識してしまい、
地に落ちました
律法主義になると悪魔が介入できるのです
心配=恵の供給を塞ぐ
父さん(神)は、
イエスによって私たちの罪が背負われ、
私たちの罪なしに完全に復活されて
私たちはイエスの内に神の義である
と確信してほしいのです
私も毎日確信する祈りを自分の言葉で行っています
そうしないと、すぐに悪魔にそそのかされて律法主義になるから
ヨハネ14章でイエスは、
「私はまことのぶどうの木」
「私の父が農夫」
「わたしに繋がっていなさい そうすればわたしはあなたと繋がっていよう」
「私はぶどうの木、
あなたはその枝」
イエス様が木
私たちは木から生えている枝
実は枝に成ります
ぶどうの木に流れる樹液は枝に行き渡ります
イエス様は「頑張って枝になって」
とは一言も言っていません。
「私はぶどうの木、あなたはその枝」
もういつの間にか枝です
美味しいぶどうが成るには、根と幹が健全でなくてはなりません。
枝は関係ありません。
私たちは信じるのみです。
ぶどうの木の樹液を止める唯一の方法は、
枝を縛りあげることです。
枝を縛る=心配する
私たちの頭に律法主義が混ざってるなら、律法の土に埋まってしまってます。
私達は神の義です!
深く深く愛されています!
天のお父さんから愛を、
私はこれからも増し加えられた恵を
受け取り続けます
私は毎日、仕事の心配、不安事を
イエス様に託す祈りを行ってます
私はイエスの内に休みますも と
私にはできません と
毎日守られています
恵の説教をジョセフ・プリンス牧師が行ってくれています
">創価学会員の方に見てもらいたくランキング参加中です