毎日、英語を勉強していて良かった、と思う出来事があるわけではないですが、

そう思う出来事が時々あります。

 

今日もそんな一日でした。

4連休ということもあり、

すっかりぽんこつになっている自分にとりあえず勉強が手につかなくても英語やスペイン語から

離れずに済むよう、

NETFLIXをまた再開しました。

しかし、どうもBluetoothのイヤホンで聴いていると、BGMや背景の音は聞こえるものの、

人の声がものすごく小さくて聞き取りにくく、

ブラウザを変えても改善されなかったため、

「NETFLIX セリフが 聞き取りにくい」 と試しにググってみたところ、

なんとほぼそのままの情報がヒット。

なんということでしょう…

 

そして、NETFLIXのサポートに電話せよ。ということだったので、

23時にやってるのか?と思いながら電話をしてみたところ、

案の定日本語は営業時間外というアナウンスが。

(タップしたボタンの下に、9時〜21時と表示されていました)

そのまま待てば英語であればサポートにつながるよ、ということだったので、

どうしようかな?と思っていたら、アナウンスが流れたのですが、

私にはちょっと聞き取りにくく、

チャットもあるので、チャットにしてみよう、と通話を切ってチャットに切り替えました。

Amazonだとチャットは日本語ですが、さて、NETFLIXはどうだろう?と思いつつ、

まずは問い合わせ概要をかんたんに入力してね、ということでチャット開始前に欄が

表示されたので、

まあ、日本語ができる人なら日本語に切り替えれば良いし、と思いつつ英語で

入力したところ、チャットでつながった方は日本人の名前ではなく、海外の方でやはり英語でした。

 

色々話して、

そういえば数日前に再開して、iPad買ってからNETFLIX観てないし、

iPhoneにもアプリインストールしていないしで、

他のデバイスで試していないな、ということに今更ながらに気づき、

他のデバイスで試してみるよということで、終了しました。

20分くらい色々やりながら話していたと思いますが、

この、

予期せず英語での対応を求められたときに、

「あ、英語?はいはい、わかったー!」のテンポで会話ができるのは強いなあ、

以前の自分では考えられなかったなと、なんというか充実感というか自己効力感のようなものを

感じた次第です。

勉強する以前だと、「英語しかないのかぁ…無理…」で終わっていましたし。

 

そう考えると、

今スペイン語でも苦労していますが(動詞と時制が憎い)、

スペイン語がちょっとずつわかるようになってきているだけでも3年位前の私からしたら

考えられないんですよね。

スペイン語勉強しようなんて思ったこともなかったですし。

今歩いている目の前の道は石ころだらけ、山あり、壁あり、平坦じゃないですが、

ふと後ろを振り返ってみると、随分遠くまで来たのかな、結構歩いてきたのかな、と

思います。

 

最近は本当に気の抜けた炭酸のような、

怠惰な生活を送っていますが(勉強はゆるゆるやっていますが、とても月140時間には届きません)、

明日このまま死んだら後悔するなあ、とか

そういう罪悪感と、でもなんだか集中できないメンタルとの狭間で、

焦燥感に駆られながらも今ひとつペースが作れずにいます。

たまに、こういう時期があるんですけどね。

 

社労士の試験で燃え尽き、

スペイン語の試験は、特別措置の関係で、10月、11月に予定していた受験が消滅、

まあ、ずっと走り続けているのでたまには怠けても罰は当たらないのかもしれません。

(というか周囲からはたまには休んだら?と言われます)

 

貧乏性というか、なんでしょうね、損な性分と申しますか。

うちの母親を見ていても、こまねずみのように常に忙しく家事やらガーデニングやらを

して動き回っているのですが、

「やらなきゃいけない」というような意識に支配されがちとでもいうか。

私の場合、無為に過ごした一日は死ぬほど後悔しますし、

「勉強できなかった自分終わった…」とか、

潔くリフレッシュでもすればいいものの、ひたすら責めるんですよね、

で、少しでも進めると、「良い一日だった」と思える。

「少しでも進めた」と思えない休日に価値を見いだせないという極端な感じになっているので

これはこれでメンタルには良くない気がしています。

 

コロナ禍に入って2年弱、

まあ、みんな何かしら制約があったり、

コロナ以前と比べると、ままならない日々を送っていたりするとは思うのですが

メンタルは一度調子を崩すと元の状態に戻るのにものすごく時間がかかるのは周囲を見ていて

感じているので、

駄目な自分、も受け入れられるようになるのが目下の自分の目標です。

それこそ、本を読む、NETFLIXを観る、起業プランを練る、美味しいものを食べるとかでも

いいので、もう少しスイッチをちゃんと切る方法を見つけたいです。

 

なお、

NETFLIXのBluetoothイヤホンについては、

Macに問題がありました。

Bluetoothの入力装置をBluetoothイヤホンではなく内蔵に切り替える、というTipsを

ネットで見つけて試したところ一瞬で改善しました。

なお、コーデックをaptXにするという方法なども見つけて、

Apple Developerからツールをダウンロードして色々試してみたりもしたのですが、

私が持っているBoseならびにSONYのイヤホンはaptXに対応しておらず、

AACになってしまうのは仕方なく、これは致し方なしのようです。

 

このあたりは、

こちらのサイトを参考にさせていただきました。

macOS Big Sur で aptX 等のBluetoothコーデックを設定・確認する方法

 

もしも、

aptX対応のデバイスをお持ちで、現在設定がAACになっているかも、という方は

こちらの方法を試してみる価値があるかもしれません。

あ、ちなみにこのApple Developerも初めて使いましたが

アカウントを有効にする際にも英語で色々出てきますので、

そのタイミングでも、「あ、英語読めて良かったな」と思いました。

今後、スペイン語できてよかったな、と思える瞬間も、多分きっと来るのでしょう。

そういえば次はポルトガル語(Portugease)に行くと公言している私ですが

今日、NETFLIXで大昔(?)に観たラブ・アクチュアリーを英語字幕で再生したんですよね、

(ラブ・アクチュアリーの英語字幕はフォントがとても読みにくくてあまり好きではなかったです)

ストーリーは完全に忘れていたのですが、

Portugeaseのセリフが出てきて、おお、と思いました。

(字幕で、Portugeaseと出るのでわかりますが、当然、英語字幕で観ているので、

実際何て喋っているのかはわかりません。ちなみに字幕の選択肢に私はSpanish入れていますが

Portugeaseはまだ設定していません。)

自分が目指しているベクトルというか、アンテナ張っていると引っかかってくるそういう出来事って

ちょっと嬉しくありませんか?

私はそういうちょっとしたことの積み重ねで、自分をmotivateしているかもしれないです。

 

今年、

ビジネススクールで本当にお世話になった恩師が亡くなりました。(今でも信じられません)

年明けに、最近SNSで見かけないな、と思い、以前がんで闘病されていて復帰された方だったので、

まさか、と思いつつコンタクトを取ったところ、

体調を崩され入院中で、状態があまり良くないとのこと、

チャットで少し会話でき、回復を祈っていたのですが

母校ルートから訃報に接しました。

英語も大変堪能な先生で、

厳しく辛口な先生ではありましたが、大好きでした。

私が日々英語に関する出来事などをSNSで書いていて、

もちろん厳しい意見をいただくこともあったのですが、

「街を歩いていたらいきなり外国の方に英語で声をかけられた。

どう見ても話せるように見えないと思うけどなんで私に英語で声かけたんだろう?」

というようなことを呟いたときに、

先生が、

「(目が合ったときの感じなどで?)英語が話せるかどうかはなんとなくわかるものだ」

と仰っていたのを今でもよく覚えています。

ほんとかどうかはわかりませんが、

「英語で話しかけても大丈夫そうなひと」に見られるようになりたいな、

と一層思うきっかけにもなりました。

まあ、英語もスペイン語も、やはりリスニングは苦手で、会話がスムーズに運ぶかというと

イヤホン無しでは厳しいですし、かっこ悪いことの方が多いですが、

それでも、いつか自分があっちに行ったときには、

先生、英語ここまでできるようになりましたよ、あとスペイン語に○○語に、色々勉強しましたよ、

と言えたらいいな、と思います。

の割に怠けているので駄目なんですけど。

 

言語を学ぶこととは関係ないですが、

アラフォーにもなるとやはり色々な方を見送ることが出てきます。

まだ50代、60代という方でも。

今回私は恩師に連絡をして良かった、と思っているのですが、

以前、連絡を取らずに後悔したことがあり、その経験が生きました。

1社目の会社で、親会社から出向に来ていた方で大変良くしていただいた方が、

親会社に戻られ、私の東京出張のタイミングなどで時々連絡を取っていたのですが、

ある時、会う約束をしていたときに、私のスケジュールが押してしまい、

その予定が流れてしまいました。

それに対して、お詫びはしたものの、私は、また次の、数ヶ月以内にある出張のときに

声をかければいいや、と軽く考えていて、

とても社会人として礼儀を尽くした十分な対応ができていませんでした。

結局、その、当日ドタキャンになったバタバタしたやり取りが、

かつての上司との最後のやり取りになりました。

ある日突然メーリングリストで訃報が流れてきて、

え、あのHさんが? と茫然としました。

 

また会える、なんていう保証はどこにもない。

悔いがないように、どんな時も大切な人には礼儀を尽くし、

おかしいな、と思ったらちゃんと連絡を取って、

何事もなければそれでもいいし、きちんと関係を維持する努力をすること、をしなければならない、

とそのとき戒めました。

 

隣にいる人も身近にいる人も、

「次」がある保証はどこにもありません。

自分自身に明日がある保証も。

大切な人には、感謝しているとか好きだとか生んでくれてありがとうとか、

そういうことはちゃんと言葉にして伝えることも大事かなと思うようになりました。

本当に、今生きている、ということは、奇跡の連続の結果だと思いさえします。

 

そんなわけで…、

とはいえ完璧ではないのが人間ですから、

ぼちぼち、ゆるめたりもしつつ、

悔いのない、自分なりに恥ずかしくないと思える人生を生きていけたら、と思います。