私の聴力検査の結果は大体いつもこんな感じで
60-70dBくらいが多いです。

周波数(Hz)が大きいほど高音域です。
私の場合は、健康診断などで行われる聴力検査の音はまず聞こえない、
同様に、スマホの着信、タイマーのアラームなど、電子音は全滅でまったく聞き取れません。
(病院の体温計が止まった音も。。。)

男性より女性の声が聞き取りにくく(周波数が高いので)、
低音や辛うじて聞こえる中音域も、
少しでも雑音があると一気に聞き取れる確率が下がります。
これは、個人の問題だと思っていたのですが、
大人になるにつれ色々調べたところ、難聴者の多くが同じような状況であることを知りました。

 

 

難聴にも色々種類があるようですが、
一般に、
・高音(周波数の高い音)から聞き取りにくくなる。これは加齢による難聴も同様
・周波数の低い音は、高音より聞き取りやすい場合がある
 (難聴者の聴力検査のグラフを見ると、みんな、だいたい自分と同じで、
 左が高く、右(周波数が高い域)に向かうにつれて徐々に下がっている形状)
 
あと、このくらいの聴力だと、

・雑音に弱い(私の場合だと走行中の車の中での会話はまず無理)
・音としては聞こえても、それがきちんとした「言葉」として認識できない、
 音の間隔が空いて、ところどころ聞こえる、という感じ
・子音が聞こえない。日本語の場合は必ず母音が残るので、残った母音から
 文脈などと照らし合わせて相手の発言を推測して会話をしている
・耳元で、あるいはこちらを向いて話してもらえればある程度聞こえるが
 スピーカーや距離のあるところからの音は聞き取り率が下がる
・音がどこから聞こえてくるかわからないときがある(左だと思ったら後ろだったり)
 
というのが、よく見られるようです。私も実際そんな感じです。
なので、「た」なのか「ば」なのか、とか、
相手の声質や話す速度にもよりますが、母音が同じ音の聞き取り間違いは、母国語の日本語ですら非常に多いです。
 
そんな、もう本当にしんどかったり(生きているだけでいっぱいいっぱい)、
残念な経験をして心がポキッと折れることもしょっちゅうなのですが、
(病院で呼ばれて気づかなくて順番を飛ばされたり、電車が止まったときにアナウンスが聞こえない、など挙げるときりがない。
あと、もうホント悲しいことに、難聴者って見た目じゃまずわからないので、
初対面にしろ何にせよ、「この距離で聞こえないとか嘘でしょ!?」と絶対思われて
いるだろうなーという精神的なプレッシャーを感じることもしょっちゅうです…
気を遣いすぎて、ホントしんどいです。。。)
そんな難聴者にとって、当然ですが、やはりリスニングは非常にハードルが高いと実感しています。
 
昨今、ニュースなどでも注意喚起されていますが、
ヘッドホンやイヤホンで音を聞く、というのは耳にかなり負担がかかります。(これは健常者も同じなのでいま十分な聴力があるからといって安心はできない。)
音量大きめで聴き続けると、難聴になることも明らかになっています。
(工事現場にお勤めの方など、日頃から大音量にさらされている方に難聴になる方も少なくないようです。また、アーティストも同様です)
したがって、できる限り、音量を控えめに、時間も短めに、勉強するならする、
ということになるのですが、
英語の音はとにかく曖昧な音が多く、
とくに難聴者の場合そもそもの聞き取り能力が低いので、
 
「今なんて言った?」
 
というところで何度も何度も(音量を上げて・速度を落として)聴き直したり
ということも日常茶飯事で、
まず、初期(今も自分のなかではリスニング勉強は初期ですが)のうちに音量を小さくする、というのは土台無理な話だなと感じました。
初級者から上級者になるにつれ、精聴を重点的に&量も聴く、から、精聴より多聴、に
シフトしていくようですが、
この精読が超しんどい。

冗談抜きで、私、ThirteenとFourteen聴き間違えるくらいでしたし。
日本語だと滑舌良くはっきり喋るのが良しとされ
るのに対して、英語は滑らかさ重視なので、
くぐもって聞こえたり、音が変化してもとの音がほとんど残っていなかったり、
ヘッドホンやイヤホンを投げつけたくなることもしょっちゅうでした。
(最近はそこまでではない)
 
とはいえ、
難聴者も、おそらくリスニング力を上げるには一般的に言われている方法を取るしか
ないなということもわかってきました。
すなわち、リピーティング、ディクテーション、シャドウイング。
ディクテーションをやってみると、自分の聞き取れない音がはっきりわかります。
めんどくさいですけど、やってみないとダメ。
(でも、私は今は音を覚える方に注力しているので、ディクテーションで弱みを押さえた上で耳を慣らすことに重点を置いてます。
これがある程度のレベルまで行ったら、またディクテーションも再開予定です。)

初期にディクテーションをしてみたら、
私の場合、冠詞がかなりの高確率でダメだったのと、ifのフとか、herやhimがダメでした。
でもこれ、調べてみたら健常者でも同じなんですね。
そもそも、息を抜くというか力抜いて潜ませてるくらいの感じで弱ーく発音されて
いる。
 
ある程度耳が慣れてくると、
TOEICに限って言えば、定型の表現も多いので、
カタマリでつかめるようになったり、ちょっとずつ壁を超える感じはしました。
こうきたら、ああこれはたぶんこう流れるな、ということが予測できれば
45分間のなかでほんのちょっとだけ力を緩められるというか、
意識は音に向けながらも、限界まで緊張せず、少しリラックスして聴けるというか。
私はリスニングまだ最高350くらいなので全然なのですが、
以前聞こえなかった音が聞き取れるようになってきました。
あとリンキングにもだいぶ耳が慣れてきたように思います。
難聴者にとって、英語の音を聴くというのは健常者の何倍も苦行ですが、
でも、たぶんちょっとずつ積み上げることで必ず成長につながるのではないかと。
そこまで、続けること、
続けるだけの、「勉強をする理由」を持ち続けるのも、リスニングそのもの以上に、
意外とハードルが高いのかもしれません。
 
TOEICで仮にリスニングのスコアが上がったところで、
たとえば、海外旅行に行って普通に会話ができるようにはならないことはわかってるんですよね。
私は、海外で困らない程度に、自分がこうしたいああしたいとか知りたいことを訊ねたり、
何かをお願いしたりすることは概ねできますか、
相手から脈絡ない話を振られたりしたときにはやっぱりほぼ聞き取れません。
予め想像するにも限界があるというか。
日本でも、相手の言葉が聞き取れずスムーズに会話が進まないことなんて腐るほどあって、
そんなふうに、勉強したって○○はできるようにならない、
じゃあ、なんのために勉強してるのかな、って、ドロドロいろんなことを考えて
しまうこともありますけど、
まあ、考えても仕方ないですかね。
いつか、生きているうちに医学が発達して、耳が治ったり、
聞き取れる世界を体験できるかもしれないし、できないかもしれない。
完璧な自分とか、思い描く自分、そのものにはなれなくても、近づける、かもしれない。

でも、最終的に耳が治らなかったとしても、
頑張らなかったら、何も変わらないし、
治るかどうかわからないから、と努力せず漫然と生きていつかもし努力しなかったことを後悔するとしたら?
時間って巻き戻せないので私はそれが一番嫌で、
努力をしないことは死ぬことも同然だと思ってます。
努力をしなかったら、現状より良くなることなんてない。
人生100年時代、今から守りに入るのはまだ早い。
そんな感じで、日々迷ったり悩んだりしながらも、
少しずつ、成長の実感を返してくれる英語から離れられず、
毎日、短時間でも英語に触れる日々を続けています。
 
あと。
カタカナで英語の読み方を書いちゃダメだってよく言う気がするのですが、
私は、どうしても覚えにくいものなどはカタカナで結構書いてます。
スクリプトの上に。
simultaneouslyなら、サイマルテイニアスリィみたいな感じで。
(発音の強弱やアクセントに沿って、カタカナの文字を大きくしたり小さくしたり、ちょっと上に書いたり下げて書いたり工夫して、
音を表現しています。筆圧でやってもいいかもしれませんがいつもボールペンなもので…、)
音のイメージをザクッと掴んだほうが、精緻化するのが簡単な気がします。
とはいえカタカナでは表現しきれない音があるのも事実なので、
多用しすぎず、でも厳禁にはしない、みたいな感じでゆるくやっています。