一念発起して勉強しよう、と思ったときに、

勉強に充てられる時間をどれだけ捻出できるかは人それぞれだと思います。

 

一日が24時間なのは全ての人に平等ですが、
仕事、家事、学校、アルバイト、飲みに行ったりデートをしたり趣味に時間を投じたり、ジムで運動したりランニングしたり、ごはんを食べてお風呂に入る、寝る、など、どう配分するかは人それぞれです。
それ以前に、時間数、に拘るかどうかも一つの論点になるかもしれません。
 
いずれにせよ、
平日は大体3時間程度、休日は一日10時間程度勉強していた時期に、
思うように成長を実感もできないなかで、
「そうはいっても、自分の意思でこうして好きなだけ勉強に時間を割り当てたり、自由に時間を使える今はとても恵まれているんじゃないだろうか?」とふと思ったことがありました。
 
勉強なんて、はっきり言って苦行です。
TOEICに限らず、つまらないし、何回繰り返しても覚えられない問題でまた間違えては自己嫌悪に陥ったり、本当に地味な作業の繰り返しです。
勉強なんて投げ出して、好きなことに時間を割いたり、遊んだりした方が楽しいのは間違いがありません。
 
でも、人一倍努力をしないと、あるいは、人が遊んでいるときにこそ将来への投資をしないと、頭一つ抜ける成果を出したり、現状をより良くすることはできません。
まして、ハンデがあって地頭が良いわけでもない自分は、人より努力をしないと、「人並」にすらたどり着けない。
最後は多少の運が左右するとしても、その「運」を引き寄せられるかどうかは、まぐれではなく日々の愚直な積み重ねだと思っています。
 
そういう、積み重ねの時間を捻出できる「今」に感謝することも必要かな、とあるときから感じるようになりました。
自分の思うように時間を振り向けられるのは、アンコントローラブルな要素がないからです。介護や育児、その他、いわゆる、負わなければならない義務がない。
でも、同時に、その時間はおそらく永遠には続かない、とも思いました。
 
自分の意志一つで時間を自由に配分できる状態は、言わば、「これ以上」がない理想的な状態です。
勉強しよう、と思ったとき、
飲み会をセーブすれば、時間を捻出できる、趣味に割く時間をちょっと我慢すれば時間を捻出できる、という状態なら、迷わず、リソースを勉強に振り向けるのが、私は正解だと思っています。
なぜなら、いつでもできる、と思っているうちに自分を取り巻く状況が変容する可能性はそんなに低くないと思うからです。
 
年齢が上がるごとに自分の心身にも不調が出てきます。
両親も自分と同じように歳を取り、いつまで介護が必要がない状態でいてくれるかわかりません。
家族がいれば、家族に何かあるかもしれません。
 
いつかやる、では、そのいつかは永遠に来ないかもしれない。
毎日、後悔が残らないようにできる限りやる、
疲れているとき、捗らないときは、少し休んで、ほんの少しでもいいので、歩みを進める。
 
そんな一歩一歩が、必ず自分に返ってくると信じています。
TOEICは、合格、不合格はないテストですがまぐれはほぼありません。
やればやっただけ、結果がついてくる。
やらなければ、やらなかったことが返ってくる、と思います。