人生最後の日に、御飯が食べられる状態かどうかが、
まず問題だろう。![]()
思いたくはないが、病気で七転八倒の苦しみであったなら、
御飯どころでは無いからだ。![]()
食事とは関係ないが、
文豪ゲーテは「もっと、光を」と言って、
亡くなったそうである。![]()
薄暮の夕方から夜のとばりが降りる間の、
臨終だったのかもしれない。
ある宗派の高僧は「私の説法に間違いが無かったなら、
臨終のときに、そばをすすって死ぬであろう」と予言した。
果たして、今際の際(いまわのきわ)の大僧正は、
蕎麦を所望され、一すすり、二すすり、三すすりして、
大往生されたそうである。![]()
そのため、大僧正の説法には間違いが無かったと、
自ら証明されたのである。が、
今際の床に就かれた大僧正の世話をする、
お弟子衆は大変だったと思われる。
なぜなら、ゆで上がった蕎麦は時が経てば、
延びて切れてしまうし、
茹で足りなければ、芯があって死にかけの老人になど
食べることは出来ない。![]()
だから、危篤になってからのお寺の食事は、
僧正のために作った蕎麦ばっかり。![]()
兎角これで打ち止めと聞くと、未練が出るものである。
私なら、どうせ焼いてもらうんだし、
欲は言いません、ビール一杯で結構で御座います、
ただ、ウグイスは
止めてください。

