訓練校昔話@1 おくたま訓練校八王子校高尾分校への道
ちわーっす、元おくたま訓練校のえぬ野さんでーっす。えーと、なんかパソコンの写真を整理してましたら訓練校のタグついたのが1400マイくらい出てきましてね、なんか懐かしいんで昔話しますです。今後訓練校を目指すエリート無職の失業貴族のみなさまは参考にしてけろんちょ♪
まずは、おいらの入学までの経緯
2009年1月の末会社倒産、ノースキル・ノージョブでまーったく資格ももってなかったおいらは、ハローワーク渋谷にて職業相談をしておりました。時代はリーマンショックで大不況、40歳のおいらにゃ仕事なんぞありません。電車賃も勿体ないので自転車でハロワいってたくらいです。
あまりのダメダメっぷりに窓口の相談お姉さんが、訓練校の話をしました。どんな話かってーと
以前の私は貧弱なスキルだった、そんな時、同級生の無職Xくんが就職したという、聞けば職業訓練校に通って資格をとったという、私も職業訓練校に入ってみた。なるほどこれは簡単だ、数ヵ月後・・・おいでよ君たち労働して税金払おうよ。
ごめん、アラサーの人しかわかんないネタでorz
とまぁ、なーんとなく職業訓練受けようという気になりまして、まぁ流行りの介護の学校に行こうと思ったんですな。
で、かなり乗り気になっていたところ本音で話す某老人相談員に偶然(相談員は複数いてランダムに振り分けられる)出会います。
「ダメダメ、40男は介護無理」
理由は女性のシモの世話できないからだそーです。本当にそーかよくわかりませんが・・・。その爺ちゃんが進めてくれたのが、ビルメン系の職業訓練校でした。
ところがデスねぇ、その時点(確か2月)ですでに4月入学の1年コースは応募終わっていたんすよ。はー・・・じゃあ7月入学の半年爺ちゃん向けビルメンコースでも・・・と思ったら、某八王子校の電気設備システム科で補欠を2人募集しておりましてね、おいらは藁にもすがる思いで、よくわかんないけど、そのデンキセツビシステムカという、怪しい名前の僻地の訓練校に応募したのでございます。爺ちゃんのおすすめで。
聞けば、その爺ちゃん、なんか厚生労働省から追い出され出向してきた、すんげぇエリートの人だったそーで、いやはや、ほんとあの本音で語ってくれる爺ちゃんに出会わなかったら今頃おいら無職っすよ。(続く)