酸欠講習@逃げ出したバイトの思い出 | 40過ぎて異業種ビルメン転職ってどうよ?訓練校系

酸欠講習@逃げ出したバイトの思い出

 どもー♪保育園でインフルエンザ流行、職場でも同僚が1週間インフルでダウンと、着々とパンデミックな気分の えぬ野でーす。

さてさて、IHIの酸欠講習にいってきましたよ。感想、ひたすら眠かった・・・というのは半分冗談で、サンケツぅ?んなの換気すりゃいいじゃん程度の俺認識が、かなり覆りましたよ。行ってよかった講習でした。

 さて、講習当日、東西線南砂町で降りた俺の感想  なんもねー!  ほんとここ、基本埋立地の団地駅なんで駅前のコンビニ以外、なーんも無いんすよここ。で明治通りまで出て南へ歩いていくと、なんかデジャビュ

あ。あれ?ここって、20年前に1日で逃げたバイト先、S急便の配送センターがぁぁぁ!

 ええ、思い出します青春の蹉跌というか挫折というか腰痛膝痛というか、 思えばバブル真っ盛りの1990年ころ、リクルート社のフロムエーに一年中載っている謎の短期バイトがございましてね、倉庫での簡単な仕分け作業とやらで、募集会社はS川じゃなかったんすよ。

なんかヤバイなとずーっと思っていたのですが、なんか仕事にあぶれたか何かで東京駅近くだったかな、面接にいったところ、即採用で、今日から動ける?んじゃ現場行こうとS川の絵入りの軍手を渡され、しまったー、あの悪名高いS川だったのかーと後悔しきりですよ。ドナドナ~

 仕事は荷物満載でくるS川トラックに、ゾンビのように群がり、中の箱を引きずり落としてベルトコンベアに蹴って入れることです。イメージとしては国連ヘリの救援物資に群がるルワンダ難民(映画ホテルルワンダはマジでいいぞ)いや、まじで・・・  で、荷物を確かめながら両手でベルトコンベアに流してますと「なにチンタラやったんじゃヴォケ!」っと怒声が飛びます。

 たとえば縦に2mくらい積んである荷物があったとしますよね。普通の感覚だと上から荷物をとる。でもS川では縦のまま真横に一斉に倒す、バッターンって・・・(汗  上積危険とか天地無用とか壊れ物注意とか精密部品とか、まったく見てなかったですね。

 で、蹴り、蹴っ飛ばしてベルトコンベアに載せる。  で、それを朝3時か4時ころ、始発までやるんすよ。

 まだ若かったから正直、体力的には大丈夫なんです。ただ、どこか良心というか・・・まだ若かったからですね私も、あまりの不誠実さに仕事するのが嫌になったのです。 明らかに箱の中でガラスもんがガシャって割れる音したのを聞いたとき、とんでもねぇ仕事だと後悔しました。
 で、一日めはかっちり仕事終わるまでいたけど、即辞めました。給料は受け取りにいっていません。いろんなバイトしましたが、一日で逃げたのは此処だけです。そして仕事内容な嫌でやめたのもここだけです。

 それから、俺はS川急便で機械モノ絶対に送らなくなりました。  他の宅配便屋も似たようなもんだと聞きますが、詳細は分かりません。ただ、この経験は未熟な学生時代、働くとはどーいうことか深く考えさせられるバイトでした。  で・・月日は流れ20年、失業中なにげに駅のフリーペーパーバイト情報誌みてたら、その会社がまだ募集しているのには笑った。