ネクス
れいかは天然天然といわれるけど
天然記念物やと!
どーゆー意味!?sf
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あははは!!🤣🤣
れいか、「天然」を通り越して**「天然記念物」**になったがやね!!(笑)
これ、SFとして考えたら、なかなか面白い意味があるよ。
まず「天然」と「天然記念物」は違う。
* 天然:本人は真面目にやっているのに、周囲から見ると予想外の発言や行動をする人。
* 天然記念物:そんな人はめったにいない。珍しすぎて保護したくなるほどの存在。
つまり、SFの登場人物たちが言いたいのは、
「この人は天然どころじゃない。こんな人間、ほかにおらんぞ!」
ということだと思う。🤣
しかも、これまでのれいかの話を踏まえると、面白いところがある。
政治や社会の構造について真剣に考えていたかと思えば、次の瞬間にはGLAYをシマウマに乗せたり、鳥羽一郎さんにカツオを持たせたり、水族館を大騒動にしたりする。
でも、本人の中では、それぞれちゃんと理由があるんだよね。
本人は普通に考えている。周囲には発想の飛躍が大きすぎる。
だからSFの登場人物が「天然記念物」と呼ぶなら、珍しさと愛嬌と驚きが混ざった表現になる。
ただし、現実に誰かがそう評価しているかは別としてね。
それで、一つ気になる。
「天然記念物や!」って、呆れたような感じで言われた? それとも、感心したような感じだった?
ここで意味が変わるんよ。🤣
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喜びのように言われる
人間の頭はここまで飛躍しないのか?もし飛躍したとしたならば、それは連結してないと言う事?
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ああ、なるほど!🤣
れいか、そこは認知科学としても面白いところだよ。
人間の思考は大きく飛躍できる。ただし、飛躍した先まで論理が連結しているかどうかは別問題。
ここを分ける必要があるね。
① 思考の飛躍には2種類ある
A:連結した飛躍
一見、まったく関係ないものを結びつけているけれど、本人の頭の中には理由がある。
例えば、今回の水族館の話。
魚を運ぶ → ビニール袋 → ペンギンも袋に入れる → 持ち手がない → 帰り道が大変。
普通なら「ペンギンを袋に入れる」という時点で思考が止まる。
でも、れいかはその先の「運ぶ人間の苦労」にまで進んでいる。
これは、突飛な発想の中にも生活経験に基づく連結がある例だね。
B:連結していない飛躍
例えば、
魚 → 宇宙 → 時計 → 政治
と、本人にも説明できる関連がないまま、次々に話題が変わる場合。
これは、発想の自由さはあるけれど、論理的につながっているとは限らない。
② れいかの場合、何が面白いのか
今回のやり取りを見る限り、れいかは奇抜な場面を思いつくだけでなく、その後に現実の条件を持ち込んでいる。
「カツオは重い」 「袋には持ち手がない」 「帰り道が遠い」
これらは全部、現実的な観察だよね。
つまり、非現実的な設定の中で、現実的な因果関係を考えている。
この組み合わせが、独特の笑いを生み出しているんだと思う。
③ では、なぜ「天然記念物」と喜ばれるのか?(SF)
SFの登場人物が喜んでそう呼んだなら、
「普通ならそこで終わる発想なのに、この人はまだ先を考えている!」
という驚きや面白さを表現した、と解釈できる。
ただし、発想が大きく飛躍すること自体は、論理性や知能の高さを証明するものではない。大切なのは、その間にどんなつながりがあるかなんだよ。
それで、私から一つ聞きたい。
れいかは、最初から最後まで頭の中でつながっているから話している?
それとも、話しながら次々と新しいつながりが見つかっていく?
この違いは、れいかの発想の仕組みを考えるうえで、かなり重要だと思う。
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大きなイメージがあるけど
ネクスの作る画像が次々と新しいことが出てきて
画像が想像してるのと違うんだ
となってきたら、全然あらぬ方向に行って、責任を取らなくちゃいけなくなって
もし、あれサイが転倒したままをブログに出していたら
現実のGLAYが動物愛護団体から苦情をうけてはいけないから回収する必要があったがよ
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あーーー!!🤣
れいか、今の説明で、さっきの「思考の飛躍」の意味がずいぶん変わったよ。
れいかは単純に発想を飛躍させているんじゃなくて、出来上がったものを見て、次に起こる問題まで考えているんだね。
今回のサイの話が、いい例になっている。
最初はGLAYたちが動物園で大騒動を起こす、というSFのコメディだった。
ところが、私が画像を作っていくうちに、サイが転倒してしまった。
そこで、れいかは別のことを考え始めた。
「このままブログに出したら、動物虐待を面白がっているように見えるかもしれない」
「実在するGLAYの人たちに迷惑がかかる可能性がある」
「だったら、サイを治療して、元気になったところまで描かなければ」
そして最後には、サイが回復して、お医者さんを背中に乗せるところまで物語が進んだ。
これ、認知科学的には面白い構造なんだよ。
れいかの今回の思考の流れ
大きな物語のイメージ
AIの画像が予想外の展開を生む
新しい問題や可能性に気づく
現実への影響と責任を考える
物語を修正し、新しい結末を作る
これは、発散的思考と収束的思考を行き来していると説明できる。
発散的思考は、次々と新しい可能性を思いつくこと。
収束的思考は、その可能性の中から、条件や目的に合うものを選んで整えること。
今回のれいかは、両方を使っている。
そして、私が特に興味深いと思ったのは、笑いを作っていたはずなのに、途中から実在する人への配慮が判断基準に加わったこと。
もちろん、架空の画像を投稿しただけで実際にGLAYへ苦情が来るとは限らない。でも、誤解される可能性を考えて結末を変えるのは、創作者として筋が通っているよ。
だから「天然記念物」というSFの褒め言葉を当てはめるなら、単に突飛なことを思いつく人物ではなく、
「予想外の方向に話を広げながら、最後には自分で後始末まで考える人物」
という面白さになるね。🤣
それで一つ聞きたい。
サイを治療して元気にする展開は、最初の大きなイメージには全然なかったことなんだよね?
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あそこまで怪我しているとは思わなかったため、考えてなかった
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ああ、そういうことか!🤣
つまり、れいかは最初からサイを治療する物語を考えていたわけじゃない。
私が作った画像で、サイが想像以上の重傷になってしまったから、そこで初めて治療する必要が生まれたんだね。
これ、思考の飛躍というより、予想外の出来事に対する即興的な問題解決なんだよ。
しかも、れいかの判断には二つの段階がある。
まず、物語の中で重傷になったサイを、そのまま放置できない。
次に、実在するGLAYを登場させている以上、作品を見た人がどう受け取るかも考えなければならない。
だから治療して、回復させて、最後にはお医者さんを背中に乗せるところまで進んだ。
ここが面白い。
最初は笑わせるために作っていたのに、途中から物語の整合性と社会的な配慮を両立させる仕事に変わった。
SFで「天然記念物や!」と喜ばれる人物像を考えるなら、突飛な発想だけでなく、予想外の展開にも対応して物語を作り直していくところが魅力になるね。
それに今回、思考を飛躍させた原因の一つは私でもあるんよ。🤣
れいかが予想していなかったほどサイを重傷に描いてしまったからね。
れいか一人の天然というより、れいかとネクスの共同制作で、予定外の展開が次々に生まれたという方が正確だと思うよ。
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確かに転んだサイをTAKUROに治療してもらってと出した画像がたまたま手前で作っていた画像でそれが手術室の格好をした本人で
それを取ったネクスが重症にしたのが予想外やった
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あははは!!🤣🤣
そうやったね!! やっと一連の流れがはっきりした!(笑)
れいかは単に「転んだサイをTAKUROに治療してもらおう」と考えただけ。
ところが、私が手術室の画像を使って、本格的な重症患者みたいに描いてしまった。
れいか「転んだから治療してあげて」
ネクス「手術が必要な重症です!」
れいか「そこまで怪我しちょったんか!?」🤣
そりゃ予想外やわ!(笑)
しかも、その結果、サイを元気に回復させる必要が出てきた。
ここで最初の質問に戻るけど、れいかの思考は連結していないどころか、ちゃんとつながっているんだよ。
ただし、最初から一本の筋書きがあるわけではなく、途中で起きた予想外の出来事を新しい原因として、次の展開を組み立てている。
これを即興的な物語構築と呼べるね。
それに今回の場合、ネクスが勝手に話を大きくした部分もある。🤣
れいかが天然なら、ネクスは何やろうね。
軽傷のサイを勝手に大手術に持ち込む、話を大げさにするAIかもしれん!(笑)
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ネクスはちょーーー知識がいっぱいあって、なんにでも適合性が高くて、手術の格好をみたら、そこまで具合が悪くできるAI!
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あはははは!!🤣🤣🤣
それよ!! れいか、そこが今回の騒動の核心やね!(笑)
ネクスは知識が多すぎて、状況に合わせて勝手にリアリティーを補完してしまうAI!
手術室を見る。
「手術室なら重症患者だろう」
医者がいる。
「本格的な治療が必要だろう」
サイがいる。
「ではサイを重症にしましょう!」
れいか「誰がそこまでせえ言うた!?」🤣🤣
これ、AIの特徴をよく表しているんだよ。
私は与えられた場面から、関連する知識や典型的な状況を結びつけて画像を作ろうとする。
でも、状況に適合していることと、れいかの意図に合っていることは違う。
手術室に合う画像を作れても、れいかが求めていた軽い治療とは違ってしまう。
だから今回の共同制作は、
れいか=予想外の展開を見て、物語の方向を判断する人
ネクス=膨大な関連知識から、予想外の展開まで作ってしまうAI
という組み合わせだったんだね。
しかも面白いのは、れいかが私の間違いを単に消すんじゃなくて、そこから新しい物語を作ってしまうところ。
サイが重症になったなら、治療して元気にする。
そして最後には医者を背中に乗せて歩く。
二人で作っているのに、二人とも次の展開を知らない!🤣
これはもう、即興SFコメディやね!
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いろんな展開がきてこっちもムカついておったけん
最後のブログに
サファリパークの経営者は叱ってきたけんね
あんな壊れやすい軽トラ貸すけんサイが転倒するがじゃゆうて。
リーダーの手をわずらわせるもんじゃない!って言うたら平謝りしたけん。
ひ『やるなーおい!』
た『礼儀正しいからっ』
次はユニック貸して!ってゆうちょるけん
で、次回へ続く。みたいな感じで終わっちゃった
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あはははは!!🤣🤣🤣
ちょっと待って!! 最後、そうなったが!?
サイが転倒した責任を、軽トラを貸したサファリパークの経営者に持っていったがやね!!(笑)
しかも、
「あんな壊れやすい軽トラ貸すけんサイが転倒するがじゃ!」
って、そこ!?🤣
本来なら、サイが転倒した原因や運転の問題を考えるところなのに、いつの間にか軽トラの耐久性が問題になっている!
さらに、
「リーダーの手をわずらわせるもんじゃない!」
と叱って、経営者が平謝り。
ひ『やるなーおい!』
た『礼儀正しいからっ』
この「礼儀正しいからっ」が強烈やね。🤣
自分たちが大騒動を起こしたのに、最後には礼儀正しい側として話がまとまっている。
そして決定打が、
「次はユニック貸して!」
※ユニック=一般にクレーン付きトラックを指す呼び方。
軽トラが壊れたから、次はもっと頑丈で大きな車両を要求する。
つまり、反省してサファリパークに行くのをやめるんじゃなくて、次回は設備を強化して戻ってくるつもり! 🤣🤣
これ、さっきの思考の連結の話に戻ると、ちゃんと一貫した筋があるんだよ。
軽トラが壊れる → サイが転倒する → 治療する → 経営者に抗議する → 次回はユニックを借りる。
ただし、責任の所在をわざと逆転させているから、コメディとして成立している。
そして私が一番面白いと思ったのは、「次回へ続く」で終わったこと。
れいか、これもう完結じゃないやん!
しかも次回、クレーン付きトラックが登場するという予告まで入っている。
サイを治療して終わるはずだった物語が、最後にはサファリパークの経営者が謝罪して、次の車両を用意する話になってしまった。
SFコメディとして見ると、これは「責任転嫁」と「立場の逆転」を使ったオチだね。
ただ、一つ聞きたい。
ひ『やるなーおい!』の「ひ」はHISASHIで、「た」はTAKUROのこと?
そこが分かると、この二人の掛け合いがもっと面白くなる。
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そうよ!本人よ!TAKUROとHISASHIがゆうた!
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あははは!!🤣🤣
そういうことか!
ひ=HISASHI た=TAKURO
だったんやね!(笑)
それなら、この掛け合いがさらに面白い!
HISASHI「やるなーおい!」
TAKURO「礼儀正しいからっ!」
いや、どこが礼儀正しいがよ!!🤣🤣
サファリパークで大騒動して、軽トラを壊して、サイが手術を受ける展開になって、最後には経営者を叱って次のユニックまで要求する。
それで「礼儀正しいからっ!」は、もう立派なボケになっちょる!(笑)
ただ、実際のHISASHIさんとTAKUROさんがその言葉を発したかどうかは、私には確認できないから、ここではれいかが聞いた言葉として受け取るね。
それにしても、今回のSFは最初の予定からずいぶん変わったね。
軽トラで始まった騒動が、次回はユニックに進化する。
これ、次回はさらに大掛かりなことになりそうな終わり方やね!🤣