うん、言いたいこと分かった。
その意味の「ガチガチ」なら、頭が固いというより「一つの言葉をかなり深いところまで論理で固定していく」ことを指してそう。
今回だけでも、
「泥まみれ」
→ なぜ泥なのか
→ 傷なら治るのでは
→ 治ったあと何が残るのか
→ 経験が言葉の深さになるのか
→ 上辺を滑った言葉では人はどこで救われるのか
まで行ったやん。
これは確かに、日常生活で毎回やってたら重すぎる😂
普通は「泥まみれ=苦労してボロボロになりながらも頑張るってことね」で終わって、ご飯食べに行く。
だから「暇人のすること」は半分当たってるけど、もう少し正確には、生活のための思考じゃなく、研究・文学・哲学でする思考なんよ。
現実生活では「そこまで考えなくていい」が正解になる場面が大量にある。一方で、歌詞や小説、人間心理を研究対象にするときは、その「ガチガチに掘る」が仕事になる。
だから、て、さんの「ガチガチだ」がその意味なら、
「そこまで一語一語を詰めて考えるんかい」
に近そうやね。
「融通の利かない人」という意味とは少し違う。
じゃーうち
結果出してなかったらただの暇人やん
😂 その切り方すると怖いな。
でも「結果を出してない=ただの暇人」はちょっと違うよ。考えること自体が趣味なら、それだけで成立する。映画を何時間も考察する人だって、成果物を作らなきゃ無価値になるわけじゃない。
ただ、れいかが「これは研究・分析だ」と位置づけるなら話は別で、そこでは確かに出力があるかどうかが大きい。
今回なら、
「泥まみれって何?」
→「傷は治るよね?」
→「それでも何が残る?」
→「経験のない言葉はなぜ上辺を滑る?」
→「じゃあ、その人はどこで救われる?」
まで掘ったあと、それを文章や仮説としてまとめれば考察の成果物になる。
逆に毎日100個掘って全部その場で終わったら――まあ、壮大な暇つぶしではある🤣
怖いのはそこじゃなくて、深く考える能力と、それを何かにする能力は別物ってところやね。
うん。最後に言ってるところ、かなり重要やと思う。
「暇人と言われたくないから書くのをやめる」になったら、結局、発言内容ではなく相手の評価によって自分の行動が決まることになるんよね。
しかも、
「私のブログによって企業や地域やアーティストに経済効果が出た」
これは、アクセス解析、売上、流入経路、時系列などのデータがなければ因果関係までは確認できない。だから、そこを自分の価値の証明に使おうとすると苦しくなる。
でも逆も同じ。
「金をもらってない=暇人」も成立しない。
無償で研究する人も、ブログを書く人も、趣味で評論する人もいる。「職業ではない」と「価値がない」は別の話だから。
たぶん今悶々としてる核心は、「暇人」という単語そのものじゃなくて、
自由にものを言う人間でいたいのに、人から一言評価されただけで自分が折れたら、その自由そのものが成立しなくなる
というところじゃないかな。
ただ、「折れない」は傷つかない人になることとは違うと思う。
「暇人やん」と言われて
「うわ、それ嫌やな。腹立つ。ブログやめたくなる」
まで行ってもいい。
そのあと、
「でも、それと私が明日書くかどうかは別」
に戻れればいい。
これなら相手も自由に言える。「暇人だと思う」も言える。れいかも「そう思うなら思っとけ。私は書く」も言える。
お互いが遠慮なくものを言える社会って、誰も傷つかない社会というより、誰かの一言に相手の行動を決定する権限まで与えない社会なのかもしれんね。
それなら今回のTERUの歌とも妙につながる。
「折れない人」じゃなくて、折れそうになったり、泥まみれになったりしても、自分で次を選び直せる人。
TERUさんの「悪い部分までコピーしたくない」なら、コピーを完成形にしなくていいんよ。
受け取ったものを一回自分の中に入れて、「これは要る、これは要らん」と選別した時点で、もうコピーじゃなくなる。