意味がまっっつたく
歌詞を読んでも
単語すらとれなくて
何が頭で起こっているかしらないが
あの頃、平和な時がなかったからか
何なのか知らないが
なんて歌詞は言ってる??
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あーー、これ、れいかが「単語すら取れん」ってなる理由、歌詞を通して読むとちょっと分かる。
まず『pure soul』が何を言ってる曲なのか、TAKUROの詩的な言い回しを全部取っ払って普通の日本語にするね。
公式側の解説でも、この曲の主人公は「夢を追って街を出て、いろんなことを経験して、何不自由ない生活まで手に入れた男。でも満たされず、人生の岐路に立っている」と説明されてる。1998年、GLAYが巨大な成功の真っただ中にいた時期とも重なる曲。
要するに、この男はこう言ってる
「俺、夢を追いかけてここまで来た。」
昔は仲間と一緒に夢を追ってた。
必死で成功しようとした。
そして実際、かなり遠くまで来た。
生活にも困らなくなった。
なのに――
「あれ?俺、幸せなんだろうか?」
となってる。
成功するために、時間も使った。
人との関係も変わった。
昔みたいな若さもなくなった。
大切な人にちゃんと愛情を返せているのかも分からない。
そして、
「俺はちゃんと生きられてるんだろうか?」
って人生の途中で立ち止まってる曲なんよ。
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ここからが重要。
この歌、「こうすれば幸せになれる」という答えをほとんど出してない。
ずーーっと、
「成功したけど満たされない」
「昔には戻れない」
「人をちゃんと愛せてる?」
「人生ってどう生きればいい?」
「でも進むしかない」
っていう自問自答なんよ。
だから、れいかが歌詞を読んで、
????何の話???
になっても不思議じゃない(笑)
物語みたいに、
問題発生 → 原因 → 判断 → 解決
になってないから。
むしろ、
現在 → 昔の仲間 → 若い頃 → 恋人・家族 → 親 → 高速道路 → 現在 → 幼い頃の自分
って、記憶と感情が次々飛んでいく。
⸻
そして、れいかが言った
あの頃、平和な時がなかったからか
これは可能性としてはあると思う。
この歌が扱っているのって、
「ある程度安全な場所まで来た人が、過去を振り返って人生の意味を考える」
という感覚がかなり強いんよ。
たとえば、
「夢を追うために何かを失った」
「昔の二人が懐かしい」
「親からずいぶん遠くまで来た」
「人の優しさで幼い頃を思い出す」
みたいな世界。
もし当時のれいかにとって「過去を懐かしむ」「安心できた昔を振り返る」という感覚自体が馴染みにくかったなら、単語は日本語として読めても、それを束ねる体験の型がないから、文章全体が霧みたいになることはあり得る。
ちなみにGLAY自身が当時「pure soul」という言葉について語ったときも、JIROは「楽器を持ち始めたころの純粋に楽しい感覚に戻りたい」、HISASHIは「GLAYにいるのは楽しいから」、TERUは「なぜ自分は歌うのかを確認する」という趣旨で話してる。
だから一言に圧縮すると、
『夢を叶えて遠くまで来た。でも俺はこれでよかったのか。大切なものをちゃんと大切にできているのか。それでも昔には戻れないから、原点を忘れず生きていこう』
という歌。
これなら、歌詞のバラバラだった単語が一本につながると思う。
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結局、私にしたら綺麗事でよ
本人たちの悩みもわかるよ
新しい環境が来たら、古いもの捨てなきゃいけないからね
高校の時の友達も、芸能人になったら、経済から違うわけやけんついてこれるわけないやん
まぁ、かといって、それを捨てるのはどうなのかと言うのもあるし
だって、そこが出発点の原点だからね
結局、これは高い望みやね
まぁ、本人のが高いところに行きすぎて、それゆえに下に降りる側に悩んだし、なくなったものもあったっていうのがわかるけど
これが一体一般人の何に当てはまるの?
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そう。れいかの読み方でかなり核心を突いてると思う。
ただ『pure soul』を一般人側へ落とすなら、「芸能人として上まで行った話」そのものを共有する必要はないんよ。そこを抽象化すると一般人にも当てはまる。
一番普通の例なら、30〜40代になって生活が出来上がった人。
若い頃は「就職したい」「結婚したい」「家が欲しい」「子供が欲しい」「ちゃんと稼ぎたい」と前だけ見て進む。友達と遊ぶ時間を削って仕事する。結婚すれば独身時代の友達とは生活時間が合わなくなる。子供ができればさらに変わる。
そして40歳くらいになって、
「あれ?欲しかったもの結構手に入れたけど、これでよかったんかな」
となる。
これが一般人版の『pure soul』に一番近い。
GLAYの場合は振れ幅が異常にデカいんよ(笑)。
「高校時代の仲間」から「国民的バンド」まで行ってしまったから、
原点 ─────────────── 現在
この距離が一般人よりものすごく長い。
だからTAKUROが描いている悩みも巨大に見える。
でも構造だけなら、
「成長するためには古い自分を捨てなきゃいけない。でも、捨てたものの中に自分を作った大切なものまで入ってなかったか?」
という話になる。
これなら、転職でも、結婚でも、上京でも、出世でも、子育てでも当てはまる。
そして、れいかが「綺麗事」に感じる理由もたぶんここ。
れいかの考え方なら、
「新しい段階に進めば環境が変わるのは当然。昔の友達と経済状況まで違ってくれば、同じ関係をそのまま維持できないこともある。でも原点として大切だった事実まで消す必要はない」
って、かなり早い段階で構造として処理できる。
『pure soul』はそこを処理せずに、
「失ったなあ」
「遠くまで来たなあ」
「これでよかったのかなあ」
「大切なものって何なんだろう」
と、喪失そのものを味わってる歌なんよ。
だかられいかには「で? 新しい場所に行ったらそうなるやん」に聞こえやすい(笑)。
でも、この歌が刺さる一般人は、その「そうなるやん」を頭では理解してても、心が追いつかない人なんだと思う。
出世したけど昔の同僚とは話が合わなくなった。
結婚して幸せだけど独身時代が懐かしい。
故郷を出て成功したけど帰る場所が昔とは違う。
子供を育て終えたけど「自分の人生って何だった?」となった。
そういう人にはかなり刺さる。
だから『pure soul』って、成功者の歌というより、もっと一般化すると、
「前に進んだ結果、もう戻れない場所ができた人の歌」
なんやと思う。
れいかの「本人が高いところへ行きすぎたから、下へ降りる側に悩んだ」という表現は、GLAY本人たちに限定して読むなら、かなり分かりやすい捉え方やね。
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ばかやねーって思うがよ
50代になったらまた一周回ってもんてくるのに(笑)
時を待てばよろしかったことよ
50代になれば、離れた人たちも付き合い方がわかって、当時みたいなことはなく戻ってくる
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あーー、それなら、れいかが『pure soul』を読んでも刺さらん理由がかなりハッキリする(笑)
れいかからすると、
「それ、喪失じゃなくて“一時的に人生の速度が合わなくなってるだけ”やろ?」
なんやね🤣
20代〜30代なら、一方は仕事で急上昇、一方は地元で就職、一方は結婚・子育て……って人生の速度も経済状況もバラバラになる。GLAYほど急激に環境が変われば、なおさら昔と同じ付き合い方なんて難しい。
でも50代くらいになると、それぞれが自分の人生を一周して、若い頃みたいに「同じ場所・同じ生活水準・同じ価値観じゃないと友達でいられない」という付き合い方でもなくなってくる。
そこで、
「お前、久しぶりやな」
で戻れる関係もある。
だかられいかから『pure soul』を見ると、
TAKURO「遠くまで来てしまった……失ったものも……」
れいか
「待て待て。まだ30代にもなってないやろ。人生の途中で結論出すな🤣」
になるんや(笑)
もちろん実際には、時間が経っても戻らない関係もある。でも、関係性の形が変わること=その関係の価値そのものが消滅したことではないんよね。
だから、れいかの読み方なら『pure soul』への答えは意外と短い。
「原点は捨てなくていい。でも原点と現在を同時に生きようとしなくていい。時期が違うだけ。」
これなら「新しい環境に行くなら古い環境から離れる必要がある」と「原点を大切にする」は矛盾しない。
……そりゃ1998年のTAKUROに言いたくなるわ。
**「おんちゃん、あと25年待ちなさい」**🤣
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でも、それが本人たちの夢を見ている状態だったんだろうね
それを現在の自分と歌詞に書くことで、ファンが憧れたんだろうね
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うん、それはかなり面白い見方やと思う。
『pure soul』って、TAKUROたちにとっては「夢を追いかけている歌」じゃなくて、「夢が現実になってしまった側から人生を眺めている歌」なんよね。
1998年のGLAYは、一般の若いファンから見ればもう遥か上にいる存在だった。だから本人たちが「ここまで来たけど、失ったものもある」「これでいいのか」と歌うと、ファン側には単なる悩み以上に、
「夢を叶えた人にしか見えない景色」
として映る。
そこが憧れになったんだと思う。
しかも面白いのが、TAKUROが豪快に「成功したぞ!金も名声も手に入れた!」とは書かないところ(笑)。むしろ迷いや孤独を書く。
だから聴く側は、
「こんなに成功している人でも、自分と同じように人生に迷うんだ」
とも受け取れるし、逆方向からは、
「いつか自分も、こんなふうに人生を振り返れるくらい遠くまで行きたい」
とも受け取れる。
れいかがさっき「高い望み」と言ったのは、ここなんやと思う。
一般人の人生にも構造は当てはまるけど、歌が放っている景色そのものは、当時のGLAYが実際に高いところまで行ったから成立した。
だから当時の若者が憧れる。
そして今50代のGLAYが歌うと、同じ歌詞なのに意味が変わってくる。
1998年:
「俺たちはどこまで行くんだろう」
現在:
「あの頃、俺たちはこんなこと考えてたな」
になってくる。
れいかが「ばかやねー、待っとったら戻ってくるのに🤣」って今から見るのも、ある意味では曲が書かれた当時には存在しなかった“答え”を25年以上後から見てるんよね。
わかってしもうたら
待つのがしんどいし、早く死にたいと思うけどね〜
まー、人間て素晴らしいわ