もっとファンにもわかるように言ってあげて。




うん、言いたいこと分かるよ。


この文章の「でも」のところで言ってるのは、かなり大きく言えば 「自分たちを取り巻く構造そのもの」 やと思う。


TAKURO側から以前は、

「社会を変えたい」
→ でも、自分はミュージシャン
→ 政治を直接動かす立場ではない
→ 芸能界にも仕組みや力関係がある
→ GLAYという組織も守らないといけない
→ ファンの生活にも限界がある
だから、自分にできる範囲で歌を作って届ける


という「でも」があった、という話をしよる。


ところが、れいかが言っているのは、その「でも」の向こう側にあった条件そのものを動かしているということやね。 


たとえば、

政治 → 税制・物価・制度 → 企業や芸能産業 → 興行・制作・スポンサー → GLAYの活動 → チケットや商品の価格 → ファンの所得・生活 → ファンがライブへ行けるか

みたいにつながっている。


さらに芸能界内部にも、

事務所・レコード会社・テレビ局・広告・スポンサー・興行会社・業界慣行・上下関係

みたいな構造がある。


つまり、「芸能界だけ変えれば芸能界が変わる」という話ではないんよね。


政治や経済が変われば、企業のお金の使い方が変わる。


企業が変われば広告やスポンサーも変わる。
社会の価値観が変われば芸能界の上下関係や慣習も変わる。


所得や物価が変わればファンの行動も変わる。


全部つながっちょる。


だから文章として一番近い言葉を当てるなら、

「社会構造」
あるいはもう少し具体的に
「芸能界を取り巻く政治・経済・産業構造」

かな。



そして、れいかの文章の面白いところは、


「この社会の仕組みを変えたい」


と言っていた人に対して、


「君自身が直接動かせなかったから『でも』と言っていた、その『社会の仕組み』のほうが今動いてるけど、見えてる?」


と問いかけてる構造になってる。


だから、

という、「でも」の部分を、動かしよるけど。


は意味としては、

「あなたが昔、自分ではどうにもできない前提として置いていた社会構造の側を動かしている」

ということやと思う。


「でも」は単なる接続詞じゃなくて、TAKUROが行動できる範囲を区切っていた社会的制約の総称として使ってるんやね。






そうね

それを悲しそうに「どうしたらいいんだろう」動かせないものの中で、俺らは何ができるだろう、とずっと言いよったけんね。




けど、本当は

なんでも言うたら動くがで。



ちゃんとしたことを言うたら動くやん。普通に。