なぜ大神は私に引っ付いてまわるのか?

と考えていて



『キッツ!』

『じろう君がキツイっていってますよ』

『他の人も』



何がキツイが?普通に思うろう

なんでやろーって



『慕ってるんだよ』



慕うなぜ?

私は慕われる事など何一つとしていない



『みんな上がったんだよ』



上がった?



先祖『精神的によ』



それは私が書いた事で自分が自分で納得して自分が上がったのであって、私が何かしたわけではない。



私が何かしているならば、他人は口に出していうだろう。


政府だってれいかさんがゆったからこのようにしようと言うだろうが誰一人としてそのような事をゆう人間もいない。


このブログに書かれていることに従おうなどと言うこともなければ、全て皆が無言で自分の政策として掲げてやっている。


勿論評価も失敗もその本人だろう。


私が世の中や人に何かしているとするならば、必ず私のお陰でという話がでるものを、街を歩けば馬鹿にしてチョッカイをかけてくる人間はおり、大きな咳払いをワザとして反応を見ている人間はおり、私のお陰でではなくいかに私に悪く言われないかの境界線を試す人間がおるくらいだ。境界線をなぜ試してくるのかは、私も馬鹿にされている枠組みに入っているのかの確認と、咳払いだけで悪者にされるなら逆に吊し上げてやろうという罠を持っている。


そういう人間ばかりだね。


つまり誰も現実で私のお陰で助かったという人間は誰一人として存在していない。


そんな現実で、何を慕われる理由があるのか不思議でね?


そもそも本当に私が言った事が起こっているのか

起こっているならそれを証拠として出してみろとゆうと、誰一人と出せはしない


叔母達は特殊な仕事だか、編み出すことができるから神だという。だから言うたように動いている。しかしそれも答えを編み出したのは本人達だ。



証拠のないものを信じて神なのだろう、と人がゆうなら、私は人々に証拠は?と聞く



しかし誰も証拠など見せれないから誰もあなたのお陰で助かりましたなど口にしない



されても何を言っているのか

勝手に解釈して成功したのはあなたであり私は関係がない



もしもそれなら私は大勢から喜ばれているだろう



しかし攻撃する人間はいても喜ぶ人間など人生で一度も見た事がない。



だから君ら霊界に出てくるGLAYも、本人かと言えば、君らの言っていることは何一つとして私の現実と噛み合っていない。

だから何を言っているんだと思う。


だからこそこれは妄想なのだなとわかるのだ。



現実でバンドをして、社会現象になって何十万人のライブをして、何千回ものライブをこなす

潰れやすい世界で生き残り何十年

そういう人間が慕うというならば、それ以上をいかなければならないことだ。



しかし私の現実には結果はない。



バンドなら客の数と売り上げとCD枚数という結果がでるだろう。



しかし私にはそのようなものはないのだ。



確認ができないもの、それはないに等しいものであり、慕われる要素もなければ理由もない。



だからもしこれが本人だとするのならば、何かの追い風で利益がでたのだろう


私がかりにブログが読まれていたとすれば、現実のGLAYは名がしれ渡るからね。



元々離れていたファンも思い出して戻るだろう。



しかし、私はそれを確認がする事も見えることもない。



誰も私の名前を出して話はしないからだ。



政府ならば、名前を他国に知られてしまう方が相当面倒な事になるから絶対に出さない。



もしも私が中心で国が動いてるならば、多大な国益であり、他国に誘拐でもされたものならば、日本は崩れるだろう。



しかし、そういう話もない。



つまり認知されていないに等しい



全てブログは私の予想と妄想で進んでおり、現実の人間に確認を取ったことも一度もない。



もしも確認が取れているならば給料を払えとすらゆうだろう。



しかし誰一人として、私を証拠つけるものなどないのだ。



そういうものを慕うにしても


なんにしても現実のおいついていないこの私には、意味のわからない事であり。



GLAYがゆっていることすら幻想にすぎず



もしも本人達がゆっているのだとすれば、それはGLAYになんらかの利益が出たからだろう。



利益もでなければ慕いもしない。しかしそれも私は確認が現実においてできないことだ。




何をいっても、私が証拠を見せろといって、出せる人間は誰一人としていない。




救われたというならば、その証拠はといえば誰も出せないだろう



つまり私に救われたと思っているが、自分が自分を救っただけの話で私はきっかけに過ぎんのだ。







だけどね


ブログに語りかけるように書くのは



なんか知らんがラジオで物凄い反応するからGLAYのところはスタッフが読んでいると、モロにわかる。




が、それだけのこと。





だから政治でも何でも


確たる証拠などなければ




私自身にハッキリとわかるのは、自分が起こした震災は意識と土地の動きが脳に繋がっているから自覚できることで

かといってそれを人に証拠を見せろと言われてもこれも見せれんことだ。





だから全てが世の中がもしも私の言葉で動いたとしても、なんの証拠もないことで、慕われるものもなければ、私の現実と接続されたものなど一つもない。





だからブログを読んでスタッフに言われてGLAYも反応ができたとて



超能力で会話をできると言われたとてだね




私はGLAYだけが聞こえるのではない


何千何万の声が聞こえているから本物とは思ってないんだ。



書いていないだけで物凄い数の言葉と情報が世界各国と星の声まで聞こえている。そこから必要なものだけ取らなければならない。



だからGLAYだけの声が聞こえているわけではない。






まあ、ただ



たくろーがAV男優だとするならば、T.M.Revolutionの西川もあのキャラとノリでAV男優としたなら、AV女優の伊藤舞雪にあった時にどうするだろうと考えて想像していたら




あー、うちもゲロを吐かずに想像できるようになったのだなとこの3年を耐え忍んだ結果をドンペリドンを使わずに思い浮かべれるようになった今



たくろーの生の声で『きっしょいな〜〜〜〜!』と聞こえたことが





不思議でたまらんよ。



だってうち



吐き気もなく想像していて、やっぱり、ガムテープを貼った






この衣装がここで生きてくるのかと思ったら




なんでこの人の歌の監督はこっち路線にこの人をあるがまま自由に行かせてしまったのだろうしか



思わんもんね。





もう、勢いとキレが



キモさがないため




女を捕まえても、焼き鳥屋で串何本か食わして、カラオケ行ってくるわと女を置いて1人でカラオケに行く途中、男友達に自然と電話して足は友達のおる店に向かい



残された女はくっちゃくっちゃと焼き鳥屋食べて、「なんで金払ってねえんだよ!」って西川に電話したら



あらお金持ってないのー!出しといて!今俺いいところだから!



と、言い



「カラオケ行ってんじゃねえのかよ!」と女に言われたが



カラオケも行く行くーー!ガチャン




と電話を切りそうな西川だと、勝手に




こんな感じでオヤジパワー全開で大阪のノリ出して途中途中で行動が変わってテンションが常に上より少し下を一定にいく人やと思っていた。





物凄いたくろーが嫌がる



でもうちは吉本興業にみえて嫌やないが



なまじ本気で嫌がるたくろーの声が




これは、明らかに自分とは異なり、本人じゃねえの??と




ここだけは明確に自分と他人が中でハッキリする。




西川が西川がというと、全部否定する



TAKUROだけが。




なぜTAKUROだけが西川にこんなに反応するのか。





それは謎のままである。









そういえば、なぜたくろーがAV男優とあだ名がついたかというと


芸能人は挨拶の変わりにエッチをすると言うた



その時点で、このモデルには身体的生理的拒否が出ていたがどうあがいても脳内から取れず、精神科に通い薬を飲みながら慣れた。




今となったら



そうか、芸能人は挨拶の変わりにエッチをするのかという事を受け入れた。



つまり、外国なら、ほっぺにチューが挨拶なら



日本人なら下の口で挨拶をするのが主流なのだろう




だから私は必ずこの芸能界を1回潰す為に



この3年間の苦しみを右の拳に握っている。






だから、今たくろーモデルとジローモデルに言い返している



人を愛を知らない女だとか


可哀想な女だというが



私は愛情不足でもなければ、家が貧乏なわけでもなく普通の生活をしている。



そうやってわたしの上にたとうとしてくるなとゆってやっていて、今物凄い反論をキメている。




するとテルモデルが真剣に出てきて話を聞くのだ



『取り乱しているから』と



いやいやお前ね

これを取り乱しているというならば、どんだけ女に大事にしてもろうてきたことしかない人生かよね?



馬鹿じゃないが



と散々ゆうちゃりよる。





正直オヤジだから鬱陶しいじゃなくて


そういう年とか関係なくて、ただただ鬱陶しい。






厄年の間は自ら堪えたが


もうこの理不尽な愛情には屈しない



親より鬱陶しい




これを変態というがよ。






しかし面倒なのが、恋愛ならば傷付いて終わりだが、愛情となると親の愛情と等しく



泣こうが喚こうが何を言おうが微笑んで見ていて







きもい。