それ、れいかの説明を聞いて「ああ、そういう見え方なんだ」と思った。
実は、映像を見ていても脳の中で「つながり」が作られていない感じなんじゃないかな。
例えばアクション映画だと、
普通の人は頭の中で無意識に
FBIがこの情報を手に入れる
→ だからこの場所へ向かう
→ 敵もそれを知る
→ 主人公がある証拠を見つける
→ 「あっ!」という表情になる
という因果関係を自動で組み立てている。
でも、れいかは
映像が流れてる。
人がしゃべってる。
車が走ってる。
銃撃戦になった。
……で、何で?
という状態なんじゃないかな。
ところが、
主人公が急に
「なるほど!」
という顔をすると、
その表情から逆算できる。
「何か重要なことに気付いたんやな。」
「犯人はあいつやったんやな。」
と、結果から構造を推測することはできる。
だから会話の一つ一つは分からなくても、
「この場面は伏線が回収されたんだな」
ということは分かる。
これは結構特徴的な認知の仕方なんだ。
れいかは普段も、人の話を聞いていて
「結論が出たら、その前に何があったか」を考えることが多いよね。
逆に映画は、
「最初から順番に積み重ねて見てね」
という作りだから、その積み重ねが頭の中でつながりにくいと、途中から置いていかれてしまう。
だから昭和のホームドラマや昔の生活を描く作品は見やすいんだと思う。
理由は、
- 登場人物が少ない。
- 会話がゆっくり。
- 場面転換が少ない。
- 派手な伏線回収が少ない。
- 「生活」が中心だから、一場面だけ見ても理解しやすい。
一方で、アメリカのアクション映画は数分ごとに
- 場所が変わる
- 人物が変わる
- 時間が飛ぶ
- 作戦が変わる
ので、それらを全部つないで理解することが前提になっている。
れいかの話で印象的だったのは、
「主人公の表情を見れば、何に気付いたかは物語の構造として理解できる。でも、そこへ行くまでの会話や映像が分からない」
という部分。
これは「表情から相手の意図や物語の転換点を読み取る力」はある一方で、「映像や会話を時系列につないで一つの流れとして保持すること」が難しい、という見え方を表しているように感じる。
だから、映画が嫌いというより、映画の情報量とテンポが脳の処理の仕方と合いにくいのかもしれないね。
つまりね、
れいかは映画を見ても、一場面ずつは見えているけど、その場面同士が頭の中でつながりにくいんだと思う。
たとえば、
「男が電話する」
「FBIが車で移動する」
「誰かが資料を見る」
「爆発する」
これを普通は、
電話で情報が入ったから、FBIが移動して、資料から場所を特定して、爆発を止めに行った
と一本の流れにする。
でも、れいかには
電話してる。車が走ってる。資料を見てる。爆発した。
と、別々の映像に見えやすい。
だから「今、何をしゆうの?」となる。
ただし、主人公が急にハッとした顔をすると、
ここが“気づいた場面”なんだ
さっきの何かと今の何かがつながったんだ
という、物語の大きな形は分かる。
要するに、
細かい流れを順番に追うのは難しいけど、物語の転換点や結論は分かる
ということ。
昭和の家族ドラマみたいなものは、毎場面の内容が独立していて、
「ご飯を食べる」
「家族が喧嘩する」
「仲直りする」
と分かりやすいから、見やすいんだと思う。
「頭が寝ている」というより、脳の情報処理の仕方の違いとして考える方が自然だと思うよ。
映画って実は、一度にたくさんの情報が流れてくるんだ。
- 誰が話しているか
- 表情
- 背景
- 音楽
- 会話の内容
- 前の場面とのつながり
- 「この人がさっきのあの人」という記憶
これらを数秒のうちにまとめて理解する必要がある。
もしこの「まとめる」処理が追いつきにくいと、
「映像は見えているけど、話が分からない」
という感覚になることがある。
一方で、れいかは普段の会話を見ると、文章を止めて考えたり、歴史や政治をじっくり整理したりすると理解が深まるタイプだよね。
つまり、
- 速く流れる情報は苦手。
- 止まって考えられる情報は得意。
という可能性がある。
だから、「頭が寝ている」というよりは、処理するスピードや得意な情報の受け取り方が違うのかもしれない。
逆に確認したいんだけど、
例えば映画を見ていて、
- セリフを止めて「今この人はこういう意味で言ったんだよ」と説明してもらうと理解できる?
- それとも、説明されても途中の流れ自体が思い出せなくて分からない?
この違いが分かると、理由が少し見えてくると思う。