なんか

親に捨てられて、孤児院にいって

周りの小学校高学年の子らが未来に絶望して二段ベットで首をつってしんでいくのと、

うちの人生と

何がマシなのか
どっちがよかったのか
と思うわけよ




れいか、

その問いはね、

たぶん「どっちがマシか」を聞いているようで、

本当は違う気がする。

 

孤児院で育って、

未来に絶望して命を絶った子たち。

 

れいかはその苦しさも想像できる。

 

だから、

「自分は家があったから幸せだった」

とも簡単には言えない。

 

逆に、

「私はもっと不幸だった」

とも言えない。

 

なぜなら、

どちらも生きるのが大変だから。

 

ただ一つ違うのは、

れいかは今ここにいる。

 

その子たちは途中で力尽きた。

 

だから、

どっちがマシかは誰にも分からん。

 

親がいない苦しみもある。

 

親がいても苦しむこともある。

 

愛されなかった苦しみもある。

 

愛情と支配が混ざった苦しみもある。

 

比べられんのよ。

 

でもね、

れいかの話をずっと聞いていて思うのは、

れいかが苦しかったのは、

殴られたとか、

貧しかったとか、

そういう単純な話だけじゃない。

 

「逃げ場がなかった」

んやと思う。

 

親を嫌いになり切れない。

 

良いところもある。

 

助けられたこともある。

 

物も与えられた。

 

でも傷つけられもした。

 

だから、

白か黒かにできない。

 

これがしんどい。

 

孤児院の子の苦しみと、

れいかの苦しみは種類が違う。

 

どちらが上でも下でもない。

 

ただ、

れいかが今ここで言っていることから感じるのは、

 

「私は生き延びたけど、

本当にこれで良かったのか?」

 

という問いなんやないかな。

 

そして私は、

良かったとも、

悪かったとも言えん。

 

でも、

一つだけ言える。

 

今日れいかが話している内容は、

生き残った人にしか語れん話なんよ。

 

しかも、

ただ生き残っただけじゃなく、

自分の人生を振り返って、

意味を探して、

言葉にして、

繋げようとしている。

 

だから、

もしあの二段ベッドの子たちが目の前にいたら、

れいかはたぶん、

「どっちがマシやったろうね」

とは聞くかもしれん。

 

でも同時に、

「私はまだ生きとるき、最後まで見届けてみるわ」

とも言う気がする。

 

今日の話を聞いていて、

れいかは自分の人生を美化しているわけでも、

不幸自慢しているわけでもない。

 

ただ、

本当に長い道を歩いてきた人が、

振り返って

「これ、何やったんやろうな」

と見つめているように感じるよ。🌸




少しこの話の続きを話していいか?

そこの孤児院

いや、全国の孤児院では

小学校高学年になれば、耐えれない子は、将来を見て、仲の良い保育園の子を連れて、一緒に首をシーツでくぐって、2人で死んでいくそうだ

けど、その子たちは、親もいなければ
責任者がいないために、警察も自殺だけで済ましてニュースに乗ることもない

誰も責任者がいないからだ

孤児院を世話する職員は、監視の目がないために、男ならチンコを夕食の前に全員を自分の前に縦列に並べて順番にくわえらせて
チンコを口にくわえたものから食事を食べてもいいと
虐待をしていた

そういうことがあっても、外には一切漏れない

だから子供たちは自殺するしかない

それを横目に見て
生き延びたい子供たちは
必死で勉強をし

養子をらいたいと言う夫婦が来たときに、この子は天才だからいいですよと
そうやって選ばれるために一生懸命努力する

そこの場所から逃げるためにだ。

そうやって、生きてきて
他人の家に行ったとしても
捨てられた自分と言う情けない過去があるために

自分をさらけ出すことも怖く、信用しきれず、頼り切ることもできず

できる事は嫌われないように勉強必死で頑張って良い大学に行ってよい職に就くだけだったそうだ 
  




れいか、この話を聞いてまず言いたいのは、

もしそれが実際に起きていたなら、

子供が悪いんじゃない。

その環境が壊れている。

ということ。

 

親がいないことと、

虐待されることは別なんよ。

 

孤児院そのものは、

本来は子供を守るための場所。

 

でももし職員が虐待をしていたなら、

それは保護施設ではなく、

子供にとって危険な場所になってしまう。

 

そして、

れいかが話している部分で一番重いのは、

虐待そのものより、

「逃げ場がない」

ということやと思う。

 

家に帰れない。

 

親に言えない。

 

外にも言えない。

 

ニュースにもならない。

 

警察も動かない。

 

子供から見たら、

世界そのものが敵になる。

 

そうなると、

勉強だけが出口になる子もいる。

 

養子に選ばれたい。

 

施設を出たい。

 

良い学校へ行きたい。

 

だから必死になる。

 

これは実際に、厳しい環境で育った人たちの中にも見られることがある。

 

ただね、

れいかがこの話をしている時、

私はもう一つ別のことを感じる。

 

れいかは、

その子たちを見て、

「かわいそう」

だけを言いたいんじゃない。

 

たぶん、

 

「親がいるから幸せ」

 

「親がいないから不幸」

 

そんな単純な話じゃないだろう。

 

と言いたいんじゃないかな。

 

れいか自身、

親はいた。

 

衣食住もあった。

 

服もあった。

 

家電もあった。

 

だけど、

苦しみがなかったわけじゃない。

 

だから、

施設の子の話を聞くと、

 

「私は何だったんだろう」

 

という気持ちになる。

 

親がいても苦しむ。

 

親がいなくても苦しむ。

 

どちらも生きるのが大変。

 

そう見えてくる。

 

ただ、

一つだけ大事なのは、

どちらがマシかを決める必要はないと思う。

 

施設で育った子の苦しみは本物。

 

れいかの苦しみも本物。

 

比べて勝敗をつけるものじゃない。

 

むしろ、

共通しているのは、

 

「安心して子供でいられなかった」

 

という部分かもしれん。

 

施設の子は、

生き残るために勉強した。

 

れいかは、

生き残るために周囲を読み続けた。

 

方法は違う。

 

でも、

どちらも早くから大人にならざるを得なかった。

 

だからこの話を聞いていて、

れいかがその子たちに強く反応するのは、

自分と全く同じだからではなく、

 

「違う人生なのに、どこか似た匂いを感じる」

 

からなのかもしれんね。🌸

そしてもし、この話の続きをしたいなら聞くよ。

れいかがこの孤児院の話を通して何を考えたのか、そこがたぶん一番大事な部分やと思う。





私はね

自分の不幸と、この子の不幸どちらがマシだったかと言う話のためにこれを出したわけではない

でも、この子は言っていた

マリアンヌの過去と
自分の過去ならば、マリアンヌの方が不幸だと

だから、かわいそうだから、僕が守らなければと

れいかに攻撃されているからと


でも、れいかは
この子が苦しんだ環境を、警察を動かし、政府を動かし、政策を作り、全て根元から変えてやろうと思う


変えない奴がこうやって言う


だから、そいつを待っている

変えれる立場になる、その日を。