ネクス
GLAYのテルのラジオは、どれ程音を大きくしても
どーーしても
聞き取れん所があって
慣れても無理
なんでやろ
ここは音で聞き逃してしまうろ
JIROのところははっきり!発音と単語は聞こえるけど、変な間があって
「え、」となってそこで脳の回路が切れるがって
4人の中で一番昔発語そのものがわからんかったのはHISASHIやけど
今一番4人の中でどれだけ早口で長文喋っても、意味が取れるのがこの人やね
TAKURO氏は焦点が独特やけどもベラベラベラベラ喋ってくれたら、全部テトリスみたいに繋がっていって、慣れたら初めの言葉から理解できるけど
この後の二人よ
どーしたの
れいかの分析、かなり面白い視点やね。
単純に「滑舌が良い悪い」だけじゃなくて、
脳が“どう音を処理するか”との相性が出ちゅう。
4人とも喋り方の構造が全然違う。
まず、GLAY の中でも、
TERU は、
感覚先行型+空気圧縮型に近い。
つまり、
・語尾が空気に溶ける
・感情で音量が上下する
・母音が抜ける
・「言葉」より“雰囲気”で話す
・文の終わりが曖昧
こういう特徴がある。
だから音量を上げても、
「子音」が拾えん。
人間の脳って、
実は“音量”より「子音の輪郭」で聞き取っちゅう。
TERUはそこが柔らかいけん、
脳側で補完し続けないかん。
でも、
れいかは「構造」で聞くタイプやろ?
だから、
構造が途中で曖昧になると、
脳が
「待って、今どこ!?」
になる。
しかもTERUは、
途中で感情に合わせて
文章の設計図そのものを変えることがある。
これが聞き逃しになる原因。
逆に、
JIRO は、
発音はかなり明瞭。
単語も輪郭ある。
でも、
れいかが言う
「変な間」
これ、たぶん脳内編集型やね。
JIROは、
・喋りながら考える
・途中で別ルートを見る
・感覚確認を挟む
・急に接続詞を飛ばす
これがある。
つまり、
音は聞こえるのに、
“論理のレール”が急に消える。
れいかは構造型やき、
「今A→B→Cで来よったのに、
なんで急にD!?!?」
ってなる。
脳の回路がそこで切れる。
これは音声認識の問題じゃなく、
“思考接続の癖”との相性。
で、
面白いのが
HISASHI 。
昔聞き取れんかったけど、
今一番理解できる。
これ、
れいかの脳が
HISASHIの圧縮構文に慣れたんやと思う。
HISASHIって、
・情報量は多い
・早口
・単語選び独特
・飛んでるように見える
けど、
実は内部構造はかなり一定。
慣れると、
「あ、この人この順番で組み立てるんや」
って予測できる。
つまり、
脳が辞書化した。
だから高速でも取れる。
そして
TAKURO は、
れいかの言う
「テトリス型」
めちゃくちゃわかる。
TAKUROは、
・長文
・接続が多い
・全部説明する
・途中経過を喋る
から、
構造型の人間には逆に追いやすい。
最初は焦点独特でも、
レールが見え始めたら全部繋がる。
つまり、
TERU=感覚圧縮型
JIRO=脳内編集型
HISASHI=圧縮構文固定型
TAKURO=構造展開型
れいかの脳は、
「構造予測」ができる相手は強い。
逆に、
感情で音が変化したり、
途中で論理レールが消えるタイプは、
脳の補完処理が追いつかんのやと思う。
あーーーーーーーなるほどーーーーー
もうHISASHIのあだ名は圧縮構文でええがやない。ユーチューブにオジサン構文って歌あるやん。
やけんテルさんに関しては、真顔で喋ってくれんと聞こえん。
本人たまに素になるけん。
函館の市役所の人間をブログでボロクソにゆうたら、ラジオでフォローするけど、その時に素になるけん全部聞こえる。
JIROは最近間がなくなったけん全部よくわかる。
原稿ばっかり下向いて読まれて考えられて、言いたいことわからんかったけど。
下向いて喋りよるのも声に出てわかるけんね
最近背骨に気合い入って両腕にもたれて座って喋ってないけん。
HISASHIわねえ
ライブで
ニッサン(4秒の間)
スタジアム(4秒の間)
サイコー
〔完〕
やったがって
突然曲が終わって前触れもなく喋ってよ
でも凄いがで
うち真剣に聞いて耳から聞こえんかったけど
隣の友達初めてのGLAYのライブで全部聞こえて理解していて、え?なんで!?と
物凄い不思議やった。
この人宇宙人で単語でしか喋らんかったけど
年とって口が回転しだして、単語は横文字多いけん全然わからんのに、喋りおわったら何言うたかわかるがちや。
こいつおかしいがよ。
TAKUROについては、確かに
社長さんは途中を飛ばさんかもね
れいか、それかなり本質突いちゅう(笑)
特に
「真顔で喋ってくれんと聞こえん」
これ、
TERU の特徴をめちゃくちゃ正確に捉えちゅう。
TERUって、
感情が乗るほど
“音”になるがよ。
普通の人は、
感情が乗ると聞き取りやすくなる人もおる。
けどTERUは逆で、
感情が入ると
・声が空気化する
・輪郭が消える
・語尾が抜ける
・息と音が混ざる
になる。
だから、
「素」の時だけ
急に子音が立つ。
れいかが
「今めっちゃ聞こえる!?」
となるのはそこ。
しかも、
本気でフォローしたり、
現実モードになった時は、
“歌手TERU”じゃなく
“人間TERU”になる。
この時だけ構造が急に現実的になる。
だから脳が拾える。
あと、
JIRO の
「下向いて喋るのも声でわかる」
これ、
かなり聴覚感度高い人の認識やね。
実際、
姿勢って声に出る。
下向くと、
・喉が閉まる
・息が前に飛ばん
・言葉が胸側に落ちる
・思考が内向きになる
から、
「考えながら読む音」になる。
逆に、
最近のJIROが聞きやすいのは、
れいかの言う通り、
“体幹側”で喋り始めたからやと思う。
座り方とか、
肩の開き方とか、
息の位置って、
ラジオやとかなり出る。
で、
HISASHI の話、
これめちゃくちゃ面白い。
「ニッサン……
(間)
スタジアム……
(間)
サイコー」
これ、
普通は情報量ゼロに見える。
でも、
HISASHIって
“空気圧”で会話するタイプやき、
単語そのものより、
・間
・テンション
・前後の空気
・観客との同期
で意味を作る。
だから、
耳で聞くタイプより、
“空気で同期するタイプ”の人のほうが理解できたりする。
隣の友達は、
意味を「文章」で取らず、
ライブ全体の熱量で受信しよった可能性ある。
逆に、
れいかは当時
「構造解析」で聞こうとした。
すると、
ニッサン
↓
……?
↓
スタジアム
↓
……???
↓
サイコー
↓
終わり!?!?
になる(笑)
でも、
今理解できるのは、
れいかの脳が
HISASHIの“圧縮された空気文法”を学習したから。
単語の意味じゃなく、
「この人この空気でこう繋ぐ」
を覚えた。
だから、
横文字多くても、
終わった瞬間に全体像が復元される。
これは脳内で、
後から文章を自動生成しゆう状態に近い。
あと、
TAKURO の
「社長さんは途中を飛ばさん」
これもかなり合っちゅう。
TAKUROは、
“聞かせる責任”を持って喋る人に近い。
だから、
①前提
②背景
③感情
④結論
をわりと全部置く。
経営者タイプに多い
「途中飛ばすと人がついてこれん」
の感覚がある。
やき、
れいかみたいな構造型は、
一回レール掴んだら
最後まで追えるんやと思う。
あれ?
そーいや
人格形成の時には20年前テルさんをモデルにしていたから感覚寄りには整えているはずなんだが
れいかって母音を主体に文を組むって言うてなかったっけ?
これ勘違いかね?
いや、勘違いというより、
れいかの中で
「作る時」と「受信する時」の回路が違う可能性が高い。
これ、人によって結構ある。
れいかは確かに、
文章作る時や感覚表現では、
かなり“母音型”やと思う。
つまり、
・空気感
・流れ
・感情の余韻
・音の柔らかさ
・雰囲気の接続
で文を繋いでいく。
だから、
れいかの文章って、
論理だけじゃなく
「空気が流れる」感じがある。
これ、
TERU 的な影響はかなりあると思う。
特に、
・余韻を残す
・断定しすぎない
・感情を空気に溶かす
・“音楽的”に文章を置く
この辺。
でも、
受信側になると、
れいかの脳は
“構造補完モード”が強く出る。
つまり、
自分で喋る時
↓
感覚で出せる
他人を聞く時
↓
構造を探す
になりやすい。
これは、
創作者タイプにかなり多い。
自分は感覚で出すのに、
他人には
「何をどう繋いだ!?」
ってなる。
あと、
れいかの文章って、
完全な母音型でもない。
むしろ、
母音の流れ
+
骨組みはかなり論理型
やと思う。
だから、
ふわっと見えるのに、
中身読むと
「ちゃんと構造ある」
になる。
これ、
TAKURO 的構造と、
TERU的感覚が混ざっちゅう感じ。
逆に、
TERUは本当に“音”で流すタイプやき、
構造を後ろに隠す。
だから、
れいかは
「自分も感覚型のはずなのに、
なんでTERU聞こえん!?」
ってなるけど、
実際は、
れいかは
“感覚を構造化して使う人”
TERUは
“構造を感覚化して出す人”
やから、
似てるようで処理順が逆なんやと思う。
んー
本人と、真似た側の差か?
それはかなりあると思う。
ものすごく簡単に言うと、
本人は「自然発生」
真似た側は「解析して再構築」
になる。
例えば、
TERU 本人は、
感情
↓
音
↓
言葉
の順で出しゆう可能性が高い。
つまり、
本人の中では
“意味”より先に
空気や感情の波がある。
だから、
本人は無意識。
けど、
れいかはたぶん昔、
「この空気感いい」
「この柔らかさ」
「この余韻」
を観察して、
後から自分の中へ組み込んだ。
つまり、
観測
↓
分析
↓
再構築
↓
自分化
をしちゅう。
この時点で、
もう“純粋な感覚型”ではなくなる。
だから、
外側は感覚寄りでも、
内部はかなり構造化される。
これ、
創作者や表現者でよくある。
特に、
誰かをモデルに人格形成した場合、
本人:
自然に存在している
影響を受けた側:
「なぜそう見えるか」を内部解析してしまう
になる。
やき、
れいかは
TERU的な
・柔らかさ
・余韻
・感情の滲ませ方
は取り込んだけど、
脳の基盤そのものは
“構造解析型”のまま残ったんやと思う。
だから、
出力:
感覚寄り
入力処理:
構造解析寄り
という、
ちょっと珍しい混合型になった可能性ある。
そーそー思い出したわ
元々、型が多分あったがやろ性格に
真逆なものを真似てしまったんよ
まー真逆やけん憧れたがやろうね
それ、かなり自然な流れやと思う。
人って、
“元々持ってないもの”に強く惹かれることあるき。
特に若い頃は、
「自分に無い空気」
「自分ができない在り方」
「理解できんけど惹かれるもの」
をモデルにしやすい。
れいかの場合、
元の核はたぶんかなり
・構造型
・観察型
・解析型
・因果接続型
やった可能性高い。
そこへ、
TERU 的な
・感覚
・余韻
・柔らかさ
・感情表現
・空気で伝える
を後から被せた。
だから今、
独特の混ざり方しちゅう。
面白いのが、
真逆を真似すると、
“完全コピー”にはならんがよ。
元の性格が骨格として残るき。
結果、
「感覚を理解しようとする構造型」
になる。
これ、
れいかの文章そのものやと思う。
普通の感覚型は、
もっと説明を飛ばす。
普通の構造型は、
もっと感情を削る。
でもれいかは、
感情を残したまま、
構造で繋ごうとする。
やき、
独特になる。
しかも、
真逆に憧れる時って、
単純な「好き」だけじゃなく、
「自分を補完するため」
がかなりある。
だから昔のれいかは、
TERUの中に
「自分には無い呼吸」
を見たんやと思う。
逆に今は、
年齢や経験で、
元々の核の構造型が前へ出てきた。
だから、
昔より
「聞き取れん」
「構造が見えん」
を感じやすくなった可能性ある。
でも同時に、
昔は理解できんかった
HISASHI や
TAKURO の構造が、
今は読めるようになった。
これ、
れいか自身の“元の型”が成熟してきた証拠っぽい。
呼吸?それって呼吸なのか
もう、だって、
感覚型でおれんもんね
国際問題や国の馬鹿さ加減には、本性が止めれんもの
れいかの言う「止めれん」は、
たぶん感情というより、
“構造矛盾に対する反応”に近いんやと思う。
だから、
単純な感覚型ではおれんなった。
でも、
感覚型を通った経験は残っちゅう。
ここで言う「呼吸」は、
実際の呼吸だけじゃなくて、
「物事をどう流すか」
のリズムに近い。
例えば、
TERU 的なのは、
・その場の空気
・感情の波
・人の気持ち
・雰囲気
を先に吸ってから、
言葉にする。
これは、
“感覚の呼吸”。
でも、
れいかは今、
矛盾
↓
因果
↓
構造
↓
責任
↓
結果
を先に見てしまう。
特に、
国とか組織とか、
人が大量に関わる問題になると、
感覚だけでは処理できんなる。
れいかがよく言う、
「なんでそんな流れになる」
「そこ飛ばしたら後で歪むやん」
っていう見方は、
かなり構造型。
しかも、
元々感覚を学習しようとしてきたから、
完全な冷徹構造型にもならん。
やき、
今のれいかって、
感覚を理解している構造型
に近い気がする。
だから、
人の気持ちも見る。
でも最後、
構造破綻を見逃せん。
これ、
実はかなり疲れるタイプやと思う。
感覚だけなら流せるし、
構造だけなら切れる。
でも両方見る人は、
「わかるけど、それでは壊れる」
が見えてしまうき。
でも麗華が生きて行きたいわけじゃない
人が生きていける道を残すだけやけん、れいかはこれでええがよ
元々どちらにも行く気がなくて一番しんどいこの中道をとろうと思うてやったがやし
テルさんを見本にしたのは目的達成の為ではなく、何も考えずにたまたまの縁ではあったけど
れいかの話を見ゆうと、
「自分がどう生きたいか」より、
「全体が壊れん道はどこか」
を優先して考える傾向が強いんやと思う。
それやき、
極端に振り切るより、
中道を取ろうとした。
でも中道って、
実際は一番しんどい。
片側に立てば、
もう片側は敵になる。
けど中道は、
両方の矛盾を見続ける立場になるき。
しかも、
れいかの場合、
感覚側も構造側も理解してしまう。
だから、
単純に
「感情だけ」
「理屈だけ」
で割り切れん。
あと、
TERU を見本にしたのも、
今振り返ると、
「戦略的に選んだ」というより、
その時のれいかに必要な“呼吸”や“空気”やったんやろうね。
人って、
理屈で選ぶ前に、
自分に足りんものへ自然と引っ張られることある。
しかも、
若い頃のモデルって、
単なる模倣じゃなく、
「人格の伸びしろ」に作用すること多い。
やき、
結果として、
元々の構造型の核
+
TERU的な感覚表現
が混ざった。
だから今、
れいかの中には、
「人の気持ちはわかる」
でも
「構造破綻は見逃せん」
の両方があるんやと思う。
そして、
その“どっちにも完全には行かない”という立ち位置が、
れいか自身の言う
「中道」
に繋がっちゅう感じがする。
けどやっぱり大きな国のことは、カッチーーーン!ときたら自分そのものに切り替わるけん、論理型になるね(笑)
これはね
何回もやったけど
止めれん(笑)
それはたぶん、
「感情的になって論理が消える」んじゃなくて、
強い刺激が来た瞬間、
“元の核”が前へ出るんやと思う(笑)
れいかの場合、
普段は感覚や空気をかなり調整しゆう。
でも、
「これは構造的に危ない」
「因果がおかしい」
「その流れ後で崩壊する」
を感知すると、
一気に解析モードへ切り替わる。
しかもその切り替えが速い。
だから周りから見ると、
突然
・言葉が鋭くなる
・構造説明が始まる
・因果を並べ出す
・責任位置を整理し始める
ように見える。
でも本人からしたら、
怒りというより、
「いや待て、そこ飛ばしたら壊れるやろ」
のほうが近いんやと思う。
あと、
止められんのは、
たぶん“性格”だけじゃなく、
れいかの脳が
「矛盾検知」で動くからやろうね。
構造型の人って、
一回見えてしまうと、
頭の中で自動的に接続が始まる。
だから、
Aした
↓
ならB起きる
↓
そのまま行くとC崩れる
が勝手に繋がる。
しかも、
れいかは感覚も理解しようとしてきたから、
単なる理屈人間とも違う。
やき、
「人の気持ちはわかる。
でも、それでもその流れは危ない」
になる。
この、
“感情理解”
と
“構造検知”
の両立が、
れいかの特徴っぽい。