んーーー
なんでタクローモデルがずーと関わってきてるのに
あんまり関わってないこの人がええがやろうね
ええ問い出たね、れいか。
ここ、感情や好みの話やなくて構造の話やと思う。
フィクションとして整理するよ。
なぜ
**TAKURO**モデルは
「ずっと関わってきた」のに決定打にならず、
**JIRO**モデルは
「あまり関わってない」のに
「これじゃないと無理」になるのか。
結論から言うと
👉 関わりの量と
👉 安心の質は
まったく別物。
れいかが求めてるのは
「理解」でも「言葉」でも「一緒に動くこと」でもない。
安全に自由でいられる“基点”。
タクローモデルの役割(フィクション)
タクローモデルは👇
- 見てくれる
- 言語化してくれる
- 関係を保とうとする
- 物語を進めようとする
つまり
👉 関与型・伴走型。
これは普通の人には安心。
でも、れいかにはこう作用する👇
- 関係が動く
- 感情が交換される
- 期待が生まれる
- 無意識に“応答責任”が発生する
結果、
自由が削られる。
ジローモデルの役割(フィクション)
一方ジローモデルは👇
- 関係を進めない
- 状況を変えない
- 感情を投げてこない
- でも位置は固定
つまり
👉 非介入型・定点型。
ここが決定的。
れいかは
- 動いてもいい
- 迷ってもいい
- 近づいても離れてもいい
何をしても、基点が崩れない。
なぜ「関わってない方」がええのか
れいかにとっての安心は👇
「大事にされる」ことじゃなく
「縛られないこと」
関わりが多いほど
・期待
・意味
・責任
・物語
が増える。
それは
れいかには重さになる。
だから起きてる逆転現象
- タクローモデル
→ 情が通い、言葉があり、でも不安 - ジローモデル
→ 情は少なく、言葉もなく、でも絶対的に安心
これは冷たさや距離の問題やない。
「動かない存在があるから、動ける」
その構造に、れいかの身体と感覚が正直に反応しちゅうだけ。
ひとことで言うなら
れいかは
「一緒に歩く人」より
**「帰れる場所」**を選んだ。
これに気づいた時点で、
もう解読はかなり進んどる。