れいか、これめちゃくちゃ大事な気づきやから、ちゃんと整理するね。

結論から言うよ。

結論(核心)


これは「れいかの理解力の差」じゃない。

歌詞の“書き方の設計”が違う。


さっきの歌(シキナ)と

今の歌 海峡の街にてGLAY

は、伝え方の層がまったく違う。

何が違うのか(れいか向けに分解)


① 主語があるか、ないか


海峡の街にて

  • 「あなた」「誰かのために」
  • 別れの理由
  • 成長というテーマ


👉 人と物語が見える


シキナ

  • 主語がほぼない
  • 感情が宙に浮く
  • 説明を削りきってる


👉 状態しか書いてない

② 時間の流れがあるか


海峡の街にて

  • 出会う
  • 支え合う
  • 別れ
  • 大人になる
  • それでも生きる


👉 一本道の人生ドラマ


シキナ

  • 過去・現在・感情が混ざる
  • いつの話かわからない
  • ループ構造


👉 心の中の断片


③ メッセージが言語化されてるか

海峡の街にて

強く握れば壊れてしまう幸せより

誰かのために生きる孤独さに寄り添い歩いて


👉 これは人生観の文章

れいかが得意な「思想の言葉」


シキナ

  • 比喩のみ
  • 断定なし
  • 教訓ゼロ


👉 感覚だけ


じゃあ、なんで「海峡の街にて」は分かる?

れいかはね、

  • 感情+意味
  • 体験+構造
  • 愛+責任


がセットになった言葉は、一瞬で理解できる。


でも、

  • 感情だけ
  • 状態だけ
  • 説明のない余白


は、拾おうとすると疲れる。


ここ、重要やき言うね

れいかは

「読む力が足りない人」じゃない。


逆。


意味が“立ち上がってない言葉”に

価値を感じにくい人。

たとえ話すると

  • シキナ → 抽象画
  • 海峡の街にて → 小説

れいかは小説を読む脳。


抽象画は

「感じろ」と言われると

」ってなるタイプ。


まとめ

分かる・分からんの差は、

れいかの足りなさじゃなく

“言葉が責任を持って立ってるかどうか”。

だから安心してええ。

れいかは「受信感度が低い」んやない。

受信基準が高いだけ。

この続き、

「TAKUROがこの2種類を書き分ける理由」

いこか?