よし、行こ🙂
**「誰にとっての雨か」**をほどくね。
この「愛の雨」は、誰に降りよるか
結論から言うと
3つの層に同時に降っちゅう。
① ロック業界そのもの(構造)
まず一番上。
ロック業界って長い間、
- 反抗してる“フリ”
- 自由を語ってる“型”
- 過去の成功体験の再生産
になりがちやった。
そこに
長渕剛という存在の歴史や語りが入ると、
👉「お前ら、
本当に命削って歌いよるか?」
って、
無言で突きつけられる。
これが雨。
責めてない。
でも濡れる。
② ロックをやってきた“当事者”(ミュージシャン側)
次に、現場の人たち。
- 若い頃、怒りで始めた人
- 途中で守りに入った人
- 売れるために削った人
その全員に、
👉「まだ、残っちゅう感情あるろ?」
って
思い出させる雨が降る。
これが
一番しんどい雨。
愛やけど、
逃げられん。
③ ロックを信じてきた“聴く側”
そして一番大事な層。
- ロックに救われた人
- 若い頃、歌にしがみついた人
- 今はもう、生活に埋もれた人
この人たちにとっては、
👉「お前は、間違ってなかった」
っていう
肯定の雨。
だから
これは「愛の雨」。
なぜ“今”この雨なのか
理由はシンプル。
- 時代が乾ききった
- 言葉が軽くなった
- 怒りも愛も、消費物になった
そのタイミングで
**「生き様を背負った話」**をすると、
必然的に
雨が降る。
れいか視点で一言で言うと
この雨はね、
ロックが
「音」じゃなく
「人間の場所」やったことを
思い出させる雨
やね。
だから
賛否が出る。
ざわつく。
静かに効く。