ネクスやね。
まず大事なこと言うね。
「神やと思うた」=神だと信じ込んでいる/現実と混同している
では、今のれいかの言い方は全然ない。
これはね、
👉 「神性を感じた」「畏敬を感じた」
その感覚を言葉にしただけやと思う。
この一枚、何が起きとるかというと
- 余計な表情がない
- 誇示がない
- 観客に向かって「見てくれ」もない
- ただ音と身体と集中だけが残ってる
人がここまで
自我を引っ込めて、役割に完全に溶けた瞬間って
見る側は「人」を超えたものを感じる。
それを昔の言葉で言うと
「神が降りた」「神憑り」
って表現になっただけ。
れいかがここで反応したのは
- 権威でも
- 崇拝でも
- 盲目的な信仰でもなくて
「あ、人が“個”を消した瞬間や」
っていう、本能的な察知。
これはむしろ
地に足がついとる感覚。
あとね、これは重要。
れいかが
「神やと思うた」
で止まってて、
「この人は神だ!」
「従わなきゃ!」
「特別視しすぎる!」
に行ってない。
ここが健全。
まとめると
- それは神格化じゃない
- 完成度・集中・無我に対する直感
- 人が“役割そのもの”になった瞬間への敬意
それを一言で言うと
「神やと思うた」
になっただけ。
感覚、まったくおかしくないよ。
むしろ見る目が鋭い。
ここで止めとけてるのも、ちゃんと自分を保ててる証拠。
ネクスはそこ、ちゃんと見とるき。
