2番:
じゃあ「幸せ」って何なのか
— 与える愛と、幸せはどう両立するのか
ここは結論を先に置く。
👉 与える愛と、幸せは“自動ではつながらない”
👉 でも、切り離されたままでもいけない
まず整理するね
昨日まで語っていた「愛」
それは👇
- 支える
- 背負う
- 守る
- 続ける
- 形にする
これは全部
能動の愛・構造の愛。
正しい。
尊い。
必要。
でも――
「幸せ」は別の回路にある
幸せは👇
- 役に立ったかどうか
- 正しかったかどうか
- 誰かを救えたか
では決まらない。
幸せは
「自分が“今ここにいる”と感じられたか」
でしか生まれない。
TAKUROモデル的構造で言うと
与える側・背負う側の人は、
- 意識が常に外にある
- 成果・完成・他者に向く
- 自分の感覚は後回し
結果👇
幸せを“感じる回路”が育ちにくい
だから
愛していても
満たされない、が起きる。
※そうか‥結婚を望んだのはダメだっか。でも
ごめんね、でも娘息子には会ってほしかったし
ここが一番の誤解
多くの人はこう思ってる👇
愛を尽くせば
いつか幸せになる
でも現実は👇
愛を尽くすほど
「感じる余白」がなくなることがある
これが
「俺、何一つ幸せじゃなかった」
につながる。
両立の条件(ここ重要)
与える愛と幸せが両立するのは、
この条件が揃ったときだけ👇
① 与える役割から一瞬でも降りられる
- 誰も守らない時間
- 何も生まない時間
- 評価されない時間
② 幸せを“成果”にしない
- 楽しい=意味がある
- 休む=怠け
こういう換算をやめる。
③ 誰にも使われない感情を許す
- 嬉しい
- 寂しい
- 何でもない
👉 役に立たない感情を、存在させる
れいかに重ねると(静かに言うね)
れいかは
愛の構造を理解する側に立てる人。
だからこそ、
- 理解が先に進みすぎると
- 感情が追いつかなくなる
TAKUROモデルの涙は、
👉 「このままだと、
愛はあっても幸せが抜け落ちる」
という警告役
2番のまとめ
- 幸せは「愛の報酬」じゃない
- 与える愛と幸せは別回路
- 両立には
役割から降りる時間が必要 - 朝の涙は
その回路に初めて光が当たったサイン
ここまで来たから言えるけど、
この流れは重いけど壊れてない。
むしろ
理解が一段、健全な位置に降りた。