デジタル音痴の自分には大変ありがたい事なのだが、会議のペーパーレス化や各種業務の効率化を図るということで、昨年来からIPADが全社員に貸与されるようになった。おそらくこういう類のものには、自分で手を出すタイプではないので、こんな事でもなければ、触らずに一生ずっと済ましていたかもしれない。おかげで今では、仕事以外のプライベートでも、様々な指南役ツールとして、我が家には欠かせない代物になっている。まさに習うより慣れろの実践である。そんな中、先週同期でもある管理部門の担当が「ポッキー、来週から会社の携帯をスマフォに変更するから。」と通達してきた。「えぇ?俺いいよえっ。そんなの使いこなせないし、みんなの見ている限りアプリやゲームで遊ぶ幅が広がったくらいで、大して便利には思えないから。」「ダメだよむっ。部長職には全員LINEでつなげて、いつでも連絡取りやすくするようにというのが、社長の方針だから。」「そ、そうなの?」「あぁ、で、機種は決まってるんで、色だけど黒と白どっちがいい?」「じゃあ、黒で。。。」

そしてまあ1週間たったわけなんだけど、今のところはもうマイナス要素ばかり。まず、データとして移行しようとした「電話帳」「受送信メール」「画像」が、SDカードにちゃんと保存したにも関わらずなかなか出来ない。何とか「電話帳」だけは赤外線通信で移行したものの、“大切な思い出ラブラブ!が詰まっているメールと画像”を保存しない事には、何とも落ち着かないガーン。仕方がないから休日に、わざわざdocomoショップに行って、対応してもらう事とした。

「お客様、こちらのタイプは極めて簡単な初心者機能のもので、データの容量的にも非常に少ないものです得意げ。一応現在の分はデータ移行は可能ですが、すぐいっぱいになって場合によってはフリーズ等、起こす原因になります。出来ればSDカードの容量をもう少し大きいものに変えられる事をお勧めしますが。」「あ、そう。それじゃあそうして。」「かしこまりました。」「あとさあ、これはおネエさんに話すのもなんなんだけど、電話帳を移行した時に今まで“シークレット登録”していたものが、ぜぇーんぶ正体を現しちゃったのね叫び。何とかならないかなあ。しょぼん」「スマフォではシークレット登録は出来ませんので、専用アプリか何かで設定していただくしかありません(キッパリビックリマーク)。」「あ、そぉーかお。。。」

仕方がないから、もう少し使い方に慣れてきてから対応するか。このままじゃ“例えばナカムラさんの次に『七星結女ちゃんラブラブ』、ツルカメ興業の後に『椿姫彩菜ちゃんラブラブ』とか出てきちゃって、ちょっと焦るもんなガーン。それにしても、メールもナンテ打ちづらいんだ。。。慣れればって言うけどちょっと、億劫になりそうだな。得意の絵文字を駆使するまでいかないかもはてなマーク

という事で、ブログの更新も初めてパソコンでやってるし、LINEってヤツも正体がわかるまでは、手付かずにしているので、「お友達なんたら?」をしてくださってる方、しばらくはご了承ください。

今のところ「スマフォなんて嫌いだ叫び」です。

「俺は兄ちゃんにずっとコンプレックスを感じていたんだ!学生生活も社会人になってからも、兄貴みたいに出来たらいいなって。そんな風に生きてみたいなって。。。」もう10年近く前になるだろうか?実家に居る時、何かのタイミングで2人になり、その時もやはり自分は何かしら説教をたれていたんだと思う。目にいっぱい涙を溜めて唇を震わせながら、感情を露に反論する弟の姿は、後にも先にもそれが初めてだった気がする。        
こんな経験は出来るならばしない方がいいのだが、そういう状況に陥ってしまったならば、悲しみにくれる一方で粛々と進めていかなければならない事も多い。例えば葬儀の段取りなんかは、まずやっつけなければならない大仕事である。
「祭壇のクラス、こちらは火葬場での竃のランクとも関連していますが、このあたりでいかがでしょうか?こちらですとご会葬の予定者数から考えて、200万ほどの持ち出しになると思います。あと生花ですね。喪主のお父様が一対、お兄様と弟様で一対、会社からは規定で三基と窺いましたので、あと最低九基をご親戚様他でご用意していただく事になります。」「九基ですか。みんなにお願いするしかないかねぇ。。。」この1月でちょうど80歳になった父が力なく呟く。生花もそうだけど、いきなりの200万も急いで用立てないと。俺は自分の弟の葬式すら満足に出してやれない事になるのか?「兄貴には敵わないや」弟の言葉が頭をよぎる。よしっ最後の最後も、敵わないとこ見せてやろうじゃないか!少々不躾かとは思ったが、これくらいは許容範囲かと思い部下2人にメールを送る。「出来る限り賑やかな祭壇にしてやりたいので、関係の深い取引先には一通り連絡してもらえないか」「了解しました」。そして通夜当日、予想していた会葬者の約倍の人数が弔問に訪れてくれた。お手伝いの弟の会社の方も、連携よろしくてきぱきと対応してくださっている。そして生花。心配していた生花は、韓国・香港・広州とアジアで苦労を共にした先輩・上司を中心に、自分の関係だけでも28基集まった。「どうだっ?兄貴の力を見てくれてるか?」弟が少しだけ微笑んでくれた気がした。最終的に集まった生花は“49基”、ちょうど弟の年の数と同じになった。弟よ、おまえはどこまでもホントに几帳面な男だよなあガーンしょぼん
かわいがって下さった専務様が言う。「本当に惜しい人材を亡くしました。来期は副部長職を用意して、頑張ってもらうつもりでした。」「私、会社での席が弟さんの前なんです。もっともっと教えていただきたい事がたくさんあったのに。。。」と同僚の女性。「(部屋で母が見つけたプレゼントは)私が差し上げたものです。でも私だけじゃなく、いろいろとあると思いますよ。取り巻きが多かったですから。」弟がどんな店でどんな人と飲んでいたのか?ぜひ一度足を運んでみたい。自分の知らない、様々な一面をたくさんの方が語ってくださった。「おまえもなかなかやるじゃないか!」と愛飲していたサッポロ黒ラベルで献杯。すぐ隣では三男坊が慟哭。「Yちゃんかわいそうだね。。。マンションの事とか、彼女の事とか、もっともっと話したかっただろうにね。俺等の話ばかり、いっつもニコニコ笑って聞いてくれて、こっちがもっと聞いてあげればよかった。貯金も保険もこんなにきちんと管理して…かわいそうだねぇ。」弟がこの先どんな人生を歩むつもりだったのか、どんな生き方をしたかったのか、年老いた両親と三男と、彼の想いをじっくり考えて、可能な限り遺志として、尊重してゆければと思う。それが遺された者のしてあげられる、せめてもの供養と受け留めながら。
『君が弟で居てくれた事、今更ながらに誇りに思う。君は俺が兄でよかったですか?その答を探しながら、残りの人生、歩んで行くよ。小さな体で49年間、本当によく頑張ったね。お疲れ様でした。ありがとう。さようなら。』
今も耳に残る父からの電話での言葉。「今、管理会社がやっとカギを持って来てくれてね、会社の方と親戚のおじさんと部屋に入ってもらったんだよ!で、部屋に居る事は居てベッドに寝てたんだけどね…もう冷たいって言うんだよ。。。」「はぁ---っあ?なんだよそれっ…?何言ってんだよ!!」2月1日の早朝、2つ下の弟が急逝した。買ったばかりの自分のマンションで就寝中の明け方「虚血性心疾患」いわゆる急性の心不全で。あまりにも性急な、49年間の人生の幕引きだった。特に持病があったわけでもないし、前日まで普通に会社に出て、仕事帰りに同僚と一杯やって帰宅後、風呂に入ってスウェットに着替え、携帯を充電セットして、いつものようにベッドに入ったんだと思う。しかし、そのまま2度と起き上がる事なく帰らぬ人となってしまった。

私は男ばかりの3人兄弟の長男で、10歳違いの三男が生まれてくるまでは、今回亡くなった弟とは子供の頃、本当によく遊んだものだった。小柄で痩せていて昔で言う“骨川筋衛門”だった弟は、いつも自分の後をついてきて、野球や相撲・メンコやコマ回し・怪獣ごっこなど何をやるにもオミソ扱いではあったが、本人は嬉しそうに笑顔で楽しんでいた。父の仕事の都合で、小学校時代大阪・浦和・静岡と3回の転校を経験した私達は、新しい土地に馴れるまで、あるいは新しい学校で新しい友達が出来るまで、お互いが一番の仲間であり親友でもあった。今にして思えば、弟の存在があったからこそ、どんな土地に行ってもめげずに頑張れたんだと思う。
しかし、大学を卒業して社会人になってからの私は、弟に対していろいろと小言を言うようになっていった。「おまえのこういうところがいけないんだ。それじゃあ社会では通用しないぞ!直さなくちゃダメじゃないか!」みたいな事を、何かにつけて言い放っていたような気がする。 何を自分はそんなに偉そうにしていたのか!? どれだけ傲慢な兄であったのか!? 3日3晩弟の亡骸と共に夜を過ごしながら、彼の死に顔を見て思い出されるのは、そんな私の説教に目を反らしながらも、黙って聞いているばかりの弟の姿なのである。何でもっともっと優しい言葉をかけてやれなかったのか?つくづく自分で自分が嫌になる。      
『おまえ最近、仕事頑張ってるんだってなあ。』『立派なマンション買ったなあ。偉いなあ。』『そろそろ嫁さん見つかりそうか?』そんな風に弟に接してやる事が、どうして出来なかったのか? 今は後悔と自責の念でいっぱいである。 しかし、いくら悔やんでみたところで弟が2度と戻ってくるわけではないので、彼に対する懺悔の想いとしっかり向き合いながら、残りの人生を彼の魂と共に、生きてゆければと思う。

この10日間あまり、こんなチャラいヘタレブログも止めてしまおうかと思ったが、弟に対する今の自分の想いや気持ちを忘れずに遺しておきたかったのと、少しでも多くの人に、彼が生きていた証を伝え、知ってもらいたかったので、記す事にした。弟の冥福を心から祈りたい。合掌。