2024年4月20日(土)
僕は歴史に詳しい訳でも、
特別好きな訳でもないけど、
そんな僕が戦国時代での
最大事件と言うとやっぱり
「本能寺の変」を思い浮かべます。
この「本能寺の変」で人生が一変して
波乱の人生を送る事となった
悲運のお姫さま、明智玉さん、
後の「細川ガラシャ」さん。
今日はガラシャさん縁の地を巡ってみよう。
〜明智玉さんは、解釈はいろいろあるけど、
一般的に戦国時代のヒール「明智光秀」の
三女として生まれ、才色兼備の方
だったそう。
細川忠興との結婚により、
今の長岡京市にある勝龍寺城で
新婚生活を過ごした。
まずは「勝竜寺城公園」に行ってみよう。
予定より少し寝過ごして、6時に
1号機くんで自宅を出発🛵💨
思ってたより寒いな。
30分もしないで到着。
通りの名前も「ガラシャ通り」
キリシマツツジがちょうど見頃だ。
ガラシャさんの像を探すけど
見つからない💦
もしかして、オープン前の
勝竜寺城公園の中にあるのかな?
同じように写真を撮ってる方がいたので、
聞いてみると、やっぱり中にあるそう😭
仕方ないので、公園の花を📸
〜その後、細川忠興は丹後の国、
宮津に移ることになる。
そして、その宮津で玉さんの人生が
大きく揺れ動くことに。
では、僕も次は宮津へ行こう。
宮津は京都と言っても、
めちゃくちゃ遠くて、
1号機くんの守備範囲ではないけど、
今日は訳あって、1号機くんで。
Google先生によると、
ここから軽く3時間以上😵
走ってると、
桜と青紅葉と赤紅葉、珍しいな。
由良川橋梁の横を通る時、
10分後に電車…じゃないや、
機動車が来るタイミングだったので、
待機して📸
何かいいな。
まもなく宮津に到着。
今では、玉さんたちが過ごした
宮津城は残ってないけど、
「カトリック宮津教会」さんに
ガラシャさんの像があるので、
見に行こう。
ちなみに聖堂は、開いてなかった。
〜玉さんはこの宮津で
幸せに過ごしていると、
戦国時代最大の事件、
「本能寺の変」が起きる。
一夜にして、信長を討った
謀反人の娘となり、
細川家から離縁され、
玉さんは忽然と姿を消すことに。
でも実際は偽装離婚で、
忠興は宮津の辺境の地、
味土野(みどの)に玉さんを
匿っていたとされる。
では、次は隠棲の地、
味土野にある「ガラシャの滝」へ
行ってみよう。
宮津と言えば、日本三景の一つ、
「天橋立」
今日なぜ、わざわざこんな遠くまで
1号機くんで来たかと言うと…
「125cc以下の原動機付自転車は除く」
そう、1号機くんは125ccの原付なので、
天橋立の中を走れるんです🛵💨
いざ!天橋立!と思ったら、
道が途切れてる。
くるっと回って船の通り道ができる。
無事、橋を渡って、
天橋立に上陸。
徐行運転。
感慨深いものがある。
天橋立の中を走ると、
僕みたいに対岸に用事がある人は
かなりのショートカットになる。
対岸を走って味土野方面へ。
どんどん高度が上がってくる。
こんな山奥にも棚田があるんだ。
絵本のようで可愛い景色だったので、
ジオラマ風に📸
林道やん😱
林道に1号機くん、
電波も圏外。
5分くらい走ったけど、
思ったより道が悪い。
万が一、パンクしたりマシントラブルが
発生したら、助けも呼べないし、
本当に命に関わるので、
ここは勇気ある撤退をしよう😭
玉さんが隠棲した味土野と
ガラシャの滝はたどり着けなかったけど、
現代でも行くのが困難だから、
当時は絶対見つからなかったと思う。
ここからは、また天橋立を走って、
舞鶴方面へ。
道の駅「和」で休憩。
家に着いたのは6時過ぎ。
今回は1号機くんで350kmの
ロングツ→リング、
1号機くんの最長距離更新したかも。
勝竜寺城公園のガラシャさん像と、
味土野のガラシャの滝は見れなかったけど、
ガラシャさんの足取りを
追うことができたので満足。
そして、遡ること数日前…
後先になるけど、
午後休暇を取って、
ガラシャさん最期の地、
大阪の大都会の中に
こんな史跡があるなんて。
ここから歩いてすぐの
「カトリック玉造教会」へ。
僕みたいに何の信仰もない人間が
中に入っていいのか、躊躇いながら、
恐る恐る入ってみる。
一歩足を踏み入れると、圧巻だった。
ステンドグラスに囲まれた
とても明るく広い聖堂。
そして、正面右手にガラシャさん
最期の時を描いた絵。
石田三成軍に人質として
捕らわれそうになるも、
それを拒んだため、屋敷に火を放たれる。
ガラシャさんが下した最後の決断は…
キリスト教の教えで
自害は禁止されているので、
家臣に胸を突かせて、
37歳でこの世を去った。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
花も花なれ 人も人なれ
最期まで矜持を貫き通した
ガラシャさん辞世の句は
とても悲しくて、とても美しい。