「一般論」に対して「例外」を列挙することにより反論するのは非論理的であり、それによって更に「感情的で非論理的である」という非難も付け加わる可能性が高いため、よくないと思っています。

なんかこうもっと、本質的な何か、ありませんでしょうか。



こういう経験は半年に一度ほどあります。
その都度、つくづく肝に銘じるのは、
自分は属性ではなく性質と過程と結果により相手をみたいということです。

「男だから」「女だから」「●●才だから」「子供だから」「大人だから」「●型だから」「●●国籍だから」そんなのは付属的なこと。助けにもなり得るし、足をひっぱられることもある。
表裏一体、かつ、両方向に作用しうることを真っ先に自分軸で評価することに何の意味があるのでしょう

大切なのは本人がその属性をどう捉え、どう活かして(あるいは殺して)いるかなのでは?