昔、仲良くしていた

鍼灸師に、こんな話をしたんですね。

 

「身体の冷えている部位と

病気の原因に関係があると思うので

最近、皮膚の温度を測る

体温計を買った」

 

で、なぜか激怒されまして。

 

 

どこに激怒する要因があるのか。

ずっと分かんなかったんです。

でも、さっき自分で自分を

治療しているときに、

ふっとこれじゃないか?

ということに気づきまして。

 

でも、その話をする前に、

彼女の激怒の言葉をお伝えしましょう。

 

 

「私は大学は薬学部で

研究で動物実験をしていた」

 

 

薬剤師・鍼灸師の彼女は、続けて、

「動物実験が辛かった。

動物が大好きだから。

 

だから、薬剤師を辞めて

鍼灸師を目指した。

 

私は動物実験が許せない。だから

あなたの考えが許せない」

 

 

 

5年以上も前の話なので

正確には覚えてないのですが

だいたいこういうことを言われました

 

 

コロナで、皆さんも実際体験

されたと思いますが、

非接触型の、皮膚の温度を測る

体温計がありますよね。

 

それを5年前に知って、買ってたんです。

 

この体温計を使って、患者さんの

皮膚の温度を、あちこち測ってみると

たとえば、右手と左手で

体温が1度くらい違うことが

ふつーにあるんです。

 

ある人が足を骨折してまして。

病院から退院して来たら、

骨折した右足がしびれるというんだけど

実際は両足共に、すごくむくんでいた。

 

でも、体温を測ると

右足のが、左より1度くらい

体温が低い。

 

興味深いなと。

治っていくにつれて

見た目、むくみは減っていたんですが、

体温も上がるんじゃないか?と。

 

 

 

しかし、非接触型体温計と、

最悪、動物を害してしまう

動物実験とでは

随分かけ離れている。

 

私は、患者さんの体温を勝手に

測るつもりだと言ったわけでもないから

怒りポイントはプライバシーの問題でもない。

 

 

一体彼女は、何にそんなにナイーブになったのか?

 

 

正直、私もピリつきました。

 

なぜなら、

 

私は鍼灸師である前に、

一人の患者で、

治してくれる治療を求めて

東奔西走、

「手段を択ばず」

「治すためなら何でもする」

という気持ちで、鍼灸師にまでなった。

 

ガイドラインに則った

型通りの治療では治らなかったから、

そうしているわけで、

 

 

彼女の発言を

治すために治療法を「模索」することを

否定しているように受け取ったから。

 

 

 

その後、彼女との友人関係は

なくなってしまいました。

 

というわけで、ほとんど

普段、そのやり取りや彼女のことは

思い出さなかったのですが、

 

たまに蘇ってくる記憶では

あったんです。

 

自分でも、

なぜ、この記憶を

忘れてしまわないんだろう…

と不思議に思いながら。

 

 

 

私が鍼灸師になったのは

自分自身が健康を取り戻したかったから…

ではあったんですが、

 

私自身の性格として、

物事への探求心が

人よりやや強め、という

のがあります。

(ずっと気づいてなかったんですが、最近認めました)

 

 

 

彼女が反応したのは、

私の、この「探求心」

だったのではないか?

 

 

彼女は悪い意味で解釈して、

知的満足のために

動物実験をする人のように

私のことを感じたのかも

知れません。

 

 

 

私はそんなに好奇心が強い方じゃ

ないです。

 

問題を解決したい方ではあるけど、

それはいつも、

自分のためだったり、

誰かのためだったり、

 

知的目的より、

「〇〇のために問題を解決してあげたい」

 

という〇〇(人の名前)が、

いつも先にある。

 

人のために

(自分のためにも、等しく)

問題を解決してあげたい。

 

それが私の人とのつながり方。

 

 

 

とりわけ善人というわけではないです。

ただ、生まれつき、そういう性質を持っている。

 

他人に対する好奇心があるわけじゃないです。

どっちかというと、他人への興味は薄すぎるくらい。

 

ただ、私が人のためにできることが、

「問題の解決」だってだけです。

 

問題がないと、人と関わることも

できなくて、問題という仲立ちを

中心に生きてきた。

 

でも、これを

「好奇心」だと誤解したとしたら

彼女の神経を逆なでしたことも

理解できなくもない。

 

 

 

フロイトは、何かの物事を

きっかけに、連想が暴走していくことを

「コンプレックス」といって、

コンプレックスが、それを抱えている人に

極端な言動をとらせる

 

ってなことを書いてた。

(うろ覚え。あと、これは私の理解なので、間違ってたらごめんなさい)

 

彼女のコンプレックスは、

研究=動物実験(ほとんどの研究者は、好きで動物実験してるわけじゃないと思うけど、彼女の中では「一般化」されている)

 

私のコンプレックスは、

型どおりの治療=治療法を模索しない医者

 

 

 

私は病というものには、

何か神聖な面があると思っていて、

 

なぜ金銭問題でもなく、

人間関係でもなく

「病」という形で、

その人が抱えている問題が

表現されているのか?

 

そこにも何か意味があるんじゃないか。

 

ただ病気は病気というだけでなく、

それより一段深い原因が

…あるのかもしれない

 

ってなことを思うときがある。

 

 

 

最初からそう思ってたわけではなく、

 

自分自身の病と

鍼灸師として色々な病との出会い。

 

治療法を模索する中で、

心の琴線をはじかれるような

ことが多々あって。

 

今では、「自分の」病気の

治療法を模索する以上の

意義や意味を、

鍼灸師としての仕事の中に

見出してしまっている。

 

これは確かに、彼女が嫌っていた

「研究」に私が近づいていっている

証拠なのかもしれない。

 

 

 

だけどやっぱり、私は

自分のためだったり、○○のためだったり

人が目的語になっているなら

「大丈夫」という気がするのだ。

 

 

 

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