こんにちは。はりきゅう 小児はり 安寿堂の藤吉です。

 

前回に引き続き、長男のラグビーの話です。

 

菅平での合宿も、練習と試合ですすみ後半戦。

例年ですと、尾道・目黒学院との三つ巴戦、最終日に、國學院栃木・京都工学院との三つ巴戦が有るのだが、コロナ禍の影響もありこの年は尾道がコロナの影響で菅平に来なかったので、目黒学院との試合、國學院栃木・京都工学院との三つ巴戦となった。

 

目黒学院戦

相手の目黒学院は花園常連校の強豪校。

もちろん、関商工からみればかなり格上のチームですが、Aチームで試合に挑んできてくれました。

前半早々、長男が相手のキックをうまくチャージしてもう少しでトライというシーンがありましたが、惜しかった。

外国人選手のパワーや、サイズやフィジカルで勝る目黒学院には、得意のモールが全く通用せず動かない。

タックルにいっても吹っ飛ばされることもしばしば見受けられました。

前半は0-5で折り返し、後半は体力を削られけが人も出て点差がついてしまいました。

 

ただ個人的に嬉しかったのは、長男が相手の外国人選手のNo.8からスティール(ジャッカル)を決めたこと。

きれいに入ったな~と、あの場面は今でも印象に残っています。

 

京都工学院戦〜劇的なトライ

最終日は京都工学院・國學院栃木との試合。

京都工学院は、私達の年代なら知っているであろう、あの名作ドラマ「スクールウォーズ」のモデルとなった伏見工業が合併して校名が変わった歴史ある高校です。

私達の年代ですと、スクールウォーズの影響でラグビーを始めた人は多かったと思います。

 

試合が始まり、プレイスタイルは変わらずモール中心。

思いのほかこの試合はモールがよく動いた。

試合開始早々に関商工がラインアウトからモールで先制トライ。

ここで相手のメンバーがかなり入れ替わり、たぶんベストメンバーになったかと思います。

メンバーが替わってからは、展開されることもあり逆転されました。

やはり強豪校、通常のプレーになるとレベルの差を感じる。

それでも変わらずモールを続け、ディフェンスもよく踏ん張っていました。

 

長男のプレーで印象に残っているのは、得意のスティール。

同級生がタックルして倒し、直後に長男がスティールを決めた連携プレーは、さすが3年生といったところ。

 

 

このプレーには監督も声を出して喜んでいたのを覚えています。

他にも良い動きがたくさんあり、相手の高校ジャパン候補の選手をタックル一発で倒したシーンは思わず声が出ました。

 

リードされたまま迎えた最後のプレー、相手ゴール前。

相手も当然トライされまいと必死のディフェンス。

最後は倒された仲間が出したボールを長男がとって少し空いたスペースに飛び込んでトライ。

 

12-14

 

 

トライの瞬間、3方向からタックルが飛んできて、トライ直後、長男は動くことができず担架で運ばれました。

試合はコンバージョンも決まり、

 

14-14

 

の同点。

強豪校を相手にここまでチームが出来上がってきたことを、誇らしく思いました。

 

願い、叶わず

しかし担架で運ばれた長男は、直後の國學院栃木戦に出場できませんでした。

長男が中学生の頃からずっと憧れ続けたチームとの試合。

ずっとこのチームとの試合を望んでいたが、1年生の時は合宿中止、2年生の時は國學院栃木に感染者が出たため試合前に下山、そして最終学年でまたしても、本人は悔しがっていました。

 

試合終了後、自力で動けない汗だくの長男をおんぶして車まで運び、宿舎へ向かいました。

おんぶして運ぶときに、自分の服が汚れるとか考える余裕も無かったですね。

長男をおんぶするなんて、何年ぶりだろう。大きくなった分だけ重くなっていて、その重さに成長をしみじみと感じました。

宿舎に着いてもまだ自力では動けないため、シャワーまで運んで、シャワーを浴びるのを手伝いました。

その時、ふと目に入ったのは、ボロボロになった長男の体。

 

「こんなになるまで頑張っているんだな」

 

いつの間にか大きくなって、こんなに一生懸命頑張っていたんだと、改めて実感した瞬間でした。

 

試練が続いた9月

怪我した当初、國學院栃木に帯同していたチームドクターやトレーナー(関商工出身で、中学校も長男と一緒)の方に、念のため整形外科受診を勧められました。

翌日、整形外科受診し骨折なしとわかりひとまず安堵したが、怪我で思うように動けない日々が続きました。

9月の遠征では相手チームからコロナ感染者が出たとの連絡。

チーム内にも感染が広がり、長男も濃厚接触者として待機。

その後、長男が発症し、続けて私も家族も発症しました。

チーム内でクラスターとなり、チームとしても楽しみにしていたラグビー祭への出場も叶いませんでした。

怪我、コロナ、欠場。

最終学年なのに、思うように前に進めない、練習が出来ない日々が続きました。

それでも個々で努力しながら何とか前に進んでいたと思います。

 

続きは次回④最終回でお伝えします。

 

 

 

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こんにちは。はりきゅう 小児はり 安寿堂の藤吉です。

 

前回に引き続き、長男のラグビーの話です。

 

最終学年、衝撃のスタート

一つ上の学年は見事花園出場しましたが、残念ながら一回戦敗退で引退。

年明け早々に新チームとなり、最終学年としての新人戦があった。

一つ上、二つ上には、核となる飛び抜けた選手がいたが、新チームにはそういった選手はいない。

最初の新人戦県大会決勝戦、相手は岐阜工業。

厳しいと思いながらも、いざとなったら何とかなるのかなと安易に考えてました。

しかし結果は、

 

5-74

 

創部以来最多得失点差の歴史的大敗

 

 

 

 

 

過去をみても、県大会でこんな惨敗はない。

あまりにも一方的な試合で、決勝戦より準決勝の岐阜工業 vs 岐阜聖徳学園の方が実質的な決勝戦だったかと思える内容。

試合中も相手の方から、

 

「思った通りだ。」

 

「楽勝、楽勝。」

 

という声も聞こえてきた。

観てる私が悔しかったので、何も出来なかった、何もさせてもらえず一方的にやられた選手達はもっと悔しかったと思います。

唯一のトライはラインアウトからのモール。

これが最終学年のスタートでした。

 

「今年の関商工は駄目だな。」

 

周りからも色々と厳しいことを言われました。

おそらく、創部以来最弱からのスタートだったと思います。

保護者としても、今年は正直難しいかなと思いました。

 

でも、東海大会で中部大学春日丘と対戦した時のことは忘れられません。

中部大学春日丘は、高校ジャパン候補が複数名在籍する東海地区の絶対王者。

結果は、

 

7-94

 

という大差でしたが、ラインアウトからモールで押し込んでボールキャリアの長男が飛び込んでトライ。

15人が力を合わせてモールで取った1本のトライ。

 

 

 

 

凄く印象に残る、良いトライでした。

写真を撮影しながら目の前でそのトライを見た瞬間、気づいたら自然に涙が出ていました。

ベンチからも

 

「よく取った~。」

 

との声も聞かれました。

どれだけ点数をとられても、選手達は諦めなかった。

ラグビーは奇跡が起こらないと言われるスポーツ。

 

強豪校に何本取られても、1本取ったということに意味がある

 

私はそう思います。

トライを取ったときの選手達の喜びようは凄かった。

強豪校から1本トライ取ったことで、試合後はどちらが勝ったの?と思うほどの雰囲気の違い。

そしてこの新人戦でのモールが、このチームの最大の武器になることはまだ想像できていませんでした。

 

4月になり、優秀な1年生もたくさん入部してきたが、コロナ感染者が出たり自粛や待機がありなかなか練習も出来ない。

練習試合しても、なかなか結果が出ずに負けることが多く、岐阜工業や岐阜聖徳学園が勝ったチームに勝てない。

どうなるのだろうか、そんな心配がつのっていきました。

新人戦に次いで7人制も岐阜工業に惨敗。
なかなかよい結果が出ない。

 

そんな中、春の関ラグビーフェスティバルで浜松工業と対戦した。

 

 

試合は逆転勝ち。

内容はともかく勝ちきることが出来、選手も指導者も保護者も、雰囲気は良かった。

長男もトライを決めたり、スティール(ジャッカル)で活躍してくれた。

祖父母も観戦してくれて、凄く喜んでくれたあの日、祖父母孝行をよくしてくれたと思います。

 

親馬鹿かもしれませんが、長男は接点での判断も良く、スティールがうまかったと思う。

力がそれほどあるわけでないので、力業でというより、うまいこと相手をスティールしやすいように倒して入ることが多かった。

スティールは自立していないと成立しないが、関節が柔らかい長男は一見無理な体勢のように見えるが、しっかりと自立して入っていました。

姿勢が低いため、入ってしまえばめくられることもなかったかな。

 

春の総体は、準決勝、決勝と相手チームがコロナ感染で辞退となり、何もせずに県大会優勝。

優勝といっても試合を全くしていないので、喜んでいいのかどうかといったところ。
この総体で岐阜工業と試合をして、現在の実力差の位置を確認したかったのだろうが、それも適わず。

東海総体は2戦行い2敗。

まあ、当然といえば当然の結果かと思う。

 

チームの答えが見えた、菅平合宿

夏休みに入り高鷲合宿。

出発したその日のお昼頃に連絡があった。

 

「コロナ感染者が出たため半日で終了します。」

 

戻ってからは、当然のように活動停止。この頃の部からの連絡は、なかなか良い連絡は無かったです。

依然コロナ禍の影響は強かったが、それでも何とか菅平合宿は行くことが出来た。

菅平合宿が始まり数日後、祖父母も連れて日帰りで菅平まで観戦に行った時、ちょうど大阪の浪速高校との試合がありました。

通常なら格上のチームでしたが、そこで初めて今年のチームの答えを見ました。

新人戦の大敗から、この年の武器が何なのか、指導者、選手達が考えに考え抜いたチームの答え。

 

どこでもモール

 

おそらく今時日本全国探してもこんなラグビーするチームはないでしょう。

私の知る限り、現代のラグビーで観たことないです。

これまでのスタイルを変えるということは、指導者にとっても、選手にとっても大きな葛藤があったと思いますが、それにかけたのだと思います。

BKはボールを持ったら突っ込んでポイントを作り、後はFWがモールを作って押していく。

ポイントを作るためにボールキャリアになったCTBの選手は、この年おそらく日本で一番タックルされた選手でしょう。

 

 

それが面白いようにはまり、モールは面白いように押せる、ボールが出ればバックスが走る、トライを量産し、快勝でした。

合宿後半までは、ほぼ快勝続き。

春に接戦だった浜松工業にも快勝。

やっとチームが出来てきた、そんな手応えを、親の目からも感じることができました。

 

続きは次回③でお伝えします。

 

 

 

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こんにちは。はりきゅう 小児はり 安寿堂の藤吉です。

 

いつもははりきゅうのことや、予定等について書いているこのブログ。

少し、過去の備忘録としてこれまでない内容を少しの間だけ書いていこうかと思います。

ご興味無ければ、閉じていただければ幸いです。

 

時々、ふと思い出して動画を見ることがあります。

特にこの夏の時期は、合宿もあったこともあり、その頃は忙しく動いていました。

長男のラグビーのことです。

 

小学1年生から始まったラグビー

私自身はラグビー経験がありませんが、長男は小学1年生からラグビーを始め、高校3年生まで続けました。

私がラグビーを観戦するようになったのは20代の頃友人に誘われて。

ちょうど、大学ラグビーの覇権が明治大学から関東学院大学に移り変わる頃。

ルールはよくわからないけど、本当に凄いスポーツだと思っています。

ノーサイドの精神、これは他のスポーツにはない素晴らしい考えだと思います。

この精神は選手だけではなくサポーターにも当てはまっており、2019年に日本で開催されたラグビーワールドカップの時でも、試合後に勝ったチームのサポーターと負けたチームのサポーターが仲良く飲んでいるような光景を見かけました。

2015年のワールドカップでも、日本が南アフリカに競り勝つというジャイアントキリングを起こしましたが、日本を称えることがあっても暴動は起こらなかった。

これまでの歴史を見ていると、サッカーだったらたぶん暴動が起こっていたのではないでしょうか。

ラグビーは、サポーター同士が小競り合いをして問題になったり、最悪の場合逮捕者が出るようなことはないスポーツ。

試合が終われば。サポーターもノーサイド。

この精神だけは、他のスポーツにも見習ってほしいところです。

 

さて、話は戻ります。

きっかけは、私がたまたま見ていたフリーペーパーに岐阜ラグビースクールの事が掲載されていたので、長男に勧めてみたら、

 

「ラグビーやったら足速くなる?」

 

と聞いてきたので、

 

「しっかりやったら速くなるかもね。」

 

と伝えたら、

 

「じゃあ、行ってみようかな。」

 

と返答があったので、早々に問い合わせて体験に行きました。
思いのほか楽しかったようで、すぐに入校する事になりました。

 

ラグビーは大きな体格の人が激しくぶつかり合うというようなイメージのスポーツですが、長男は特別体格に恵まれているわけでも、足が速いわけでも、運動能力が飛び抜けているわけでもありません。

とりあえず体力がつけばとか、楽しめればという軽い気持ちで始めたラグビー。

 

 

指導者にもよく注意されたり、いじけて試合に出なかったり、色々ありました。

ただ個性豊かな同級生の集まりで、色々やらかしてくれましたが面白いチームでした。

熱い指導者に、個性的な同級生。

学校とは違った環境での活動で、居心地が良かったのかもしれません。

低学年まではファミリーパークでの夏合宿、4年生以降は数河の合宿。

遠征は、滋賀県や愛知県、大阪府もあり、実に楽しそうでした。

しかし、始めた時には、まさか高校まで続けるとは、そして私がのめり込んでいくことになるとは思ってもいませんでした。

 

でも一つ、凄いなと思ったことがあります。

 

「辞めたい。」

 

と言ったことが、一度もなかったのです。

たぶん、本当に楽しかったのでしょう。

あとは、近くにいた尊敬する先輩や指導者がよく面倒をみてくれていたのもあります。

親の言うことは聞かなくても、2人の言うことは素直に聞いてました。

 

忘れられない、あの三者面談

忘れもしない、中学3年生の4月。塾の三者面談で、初めて長男の進路希望を聞きました。

 

「関商工。」

 

岐阜県でラグビーをやっていれば誰でも知っている岐阜県では名の知れた名門校。

花園出場回数も岐阜県では圧倒的に一番多い高校です。

思わず口から出てしまいました。

 

「何しに行くの?」

 

間髪入れず、返ってきた答えは、

 

「ラグビーしにいく。」

 

体も小さく、能力がそれほど高いわけでもない。

そんな子が

 

「関商工へ行って花園に出る。」

 

と言った。

小学校からずっと一緒にやってきた友達は、ほとんどが岐阜工業への進学希望。

例年、所属していたチームから関商工に進学する人はほとんどいない。

その年も一人だけ関商工希望。

あの返事は、今でも鮮明に覚えています。

小学校の時から知っている指導者も、たぶん長男が関商工を希望するなんて思いもしなかったでしょう。

 

コロナ禍の高校生活へ

そのまま時が流れ、年が明けてコロナ禍へ突入。

コロナ禍の真っ只中、緊急事態宣言も発令される中に高校入試で合格し、波乱の高校生活が始まる。

3月に入寮したものの、荷物を置いてすぐに自宅へ戻ることに。

自宅にいるときは、特に私が何かをいったわけではありませんが、近くのお寺の坂道を走りに行ったり、結構距離のあるスーパーまでの走り込みをやったり、筋トレやったり、自分でよく頑張っていたと思います。

 

 

そして、6月にようやく入学式。

その後は、活動停止、合宿中止、試合は無観客と色々制限のある、そんな高校生活のスタートでした。

 

1年生の時、花園に出場しましたが、1チームの人数制限で1年生は学校に残ることに。

2年生の時は、制限のある中、花園のグラウンドにユニフォームを着てアップをし、サイドラインに立ちました。

リザーブメンバーに名前があるだけで、親として嬉しかったのを覚えています。

 

続きは次回②でお伝えします。

 

 

 

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