まず、エゴの本質的な特性は
じっとしていられない
ただそこに在ることができない
なぜなら「私」に
じぶん(エゴ)が
からっぽで虚像で無力だとバレてしまい、
「私」を洗脳し同一化していられなくなるから
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私の言動のほとんどは
エゴを「人生の先生」として身についたものだった
エゴが頭の中で発する、
私が無価値で無能だという前提の囁き
「〇〇しないと愛されないぞ!」
という類の洗脳され続け
なんとか自分を無価値ではないと感じられるように
がむしゃらに培ってきたあらゆるもので創られた
「わかっています」
「知っています」
「私はあなたの役に立てます」
常にデキる自分(風)で存在し
虚勢を張って
そうして同時に
まわりにできない人を出現させては
見下して優越感を得ながら
自分の存在価値を感じて安堵する
そんな
とてもとても苦しくて
虚しい生き方をしてしまっていた
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ではその「エゴ」を
「私」と切り離す、
よく言われるエゴを手放すとどうなるのか
↓
本来の「私」に目醒める
本来の「私」の価値を思い出す
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「私」たちはそもそも創造主であり
みんながそれぞれ1宇宙を持ち
眠りの状態からスタートし
3次元地球での目醒めのプロセスや
現実創造(感情体験)を楽しんでいる
無価値や罪悪感は
本来のわたしたちの高周波数を
3次元の低い周波数に落とすための
必要なオプション、装備だった
その効果を最大限に発揮させてくれるのが
「私」の中にいるエゴという存在
そもそもそのエゴも
嫌われる存在であるが
この地球で目醒を体験するための重要な
「役割」を担っていてくれただけ
そして、
冒頭に書いたエゴの特性を改めて読んでみると
エゴにがんじがらめにされている時の
私の感覚そのものだった
↓
【エゴの特性】
じっとしていられない
ただそこに在ること ができない
⇒何か存在価値を見出せることをしないと!
と、何かを学びにセミナーに行ったり
特技を見つけようと何かを模索する
休みの日に何もしない・できない自分はダメだ、
と自己否定に入ってしまう
本当はただそこにいて
深呼吸をしているだけで宇宙から祝福され愛され
宇宙との一致を感じ
インスピレーションを受け取れるのに
からっぽで虚像で無力
⇒「私」たちは地球上で肉体こそ身に着けているが
その本質は光であり愛そのもののエネルギー体
地球上ではその本来の力を忘却し眠らせていて無力だが
エゴから解放され宇宙とつながれば
無限の叡智を受け取ることができるのだ
・・・と、ここで気づいた
エゴによって
深い3次元の眠りに落とされていたが
そのエゴそのものもまた、
無限の価値を持つ「私」の一部が
眠らされていただけであって
深い眠りから醒めて
その光や愛を思い出した本来の「エゴ」は
「私」というアイデンティティとして
ともに地球で現実創造を起こしていける、
必要不可欠で愛されるべき存在なのだ、と
「私」を苦しめ続けてきた「エゴ」が
大切なパートナーだったと認識し
抱きしめることこそ
真の自己統合なのではないかと感じた