車椅子の人が電車に乗ってきたよ | ジイタンだよ みんな元気かい

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経営コンサルタントや評論業、そしてビジネス作家業や社労士業を長年やってきたジイタンが、つれづれのままに書いたあれこれだよ。

 ジイタンだよ どらえもん

 きのうね、電車に乗っていったときね、ある駅で障害者の人が車椅子で乗ってきたんだよ。くるまいす

 電車が駅に着いて扉が開いたらね、駅員の人が折りたたみの板を手際よくホームと電車の乗り口にかけてね、そこを通って車椅子で乗り込んだよ。電車

 そして降りる駅に着いたらね、扉のところに駅員が待っていて、また手際よく板を渡してそこを降りていった。車掌

 ジイタンが障害者施設にいたころを考えたらとても信じられない光景だね。

 ジイタンのいた施設はパラリンピックの事務総長っていうのかな、要するにパラリンピックの日本のトップの人が、頼まれて運営していた施設でね、数々の新しいことをやったんだよ。赤組☆

 氏家薫っていう人でね、障害者が家で引き篭もっていてはいけないっていうんで、どんどん外に出るようにした。その一環として一段高い歩道にスロープを付けてね、車椅子が歩道に乗れるようにって運動もして、ジイタン役所に掛け合いに行ったりもしたよ。その結果日本で始めて、ジイタンたちの施設のあった新宿市谷に車椅子用スロープ付きの歩道が出来たんだ。ニコニコ

 その後どんどんそういう配慮がいろいろなところで出てきて、だんだん全国に広まって、今にようになっていったんだね。氏家薫って人はもっと評価されてよい人だね。それまで障害者なんて家の恥だって言われて家の中から一歩も外に出してもらえないような状態だった。ジイタンがその施設にいた昭和40年代初めでさえそんな状態だったよ。しょぼん

 それをね、その人はどんどん外に出ろって、スーパーなどでも買い物しろって言ってね、介護なんかもやり過ぎだって言ってね、介護し過ぎるからどんどん機能は低下するし、本人たちも甘えるんだって言ってね、そしてその施設ではほとんど介護なんかしなかった。だからそれまで家で何も出来なかった人が、ジイタンたちの施設に入って半年もすると、自分でトイレにもいけるし風呂も入れるし、買い物も出来るし、しかもパラリンピックに出て金メダルとって帰って来たりするんだから、親御さんたちはびっくりするやら喜ぶやら、もう面会に来たりすると抱き合って号泣するんだよね。金メダル

 ジイタンそんな施設で指導員と生活相談員って仕事してたんだけど、良いリーダーの下で修行させてもらったんだなって、つくづく思うね。晴れ

 そんなことを思い出させてくれた一日だったよ。ニコニコ