『卒業生が悩んでいるみたいだよ』
ジイタンだよ 
今日は「木鶏」(もっけい)という話しをしようか。![]()
このまえね、ジイタンたちがやっている資格業の開業学校卒業生のK生が相談してきたんだよね。ここんところ壁に突き当たったみたいでなかなか顧客が増えず困っているっていうんだね。
K生は卒業して3ヶ月ほどで、月々の顧問料約10万円とちょっとになる顧客が付いたんだけど、そこでストップして前に進めないっていうんだ。![]()
そこでジイタンいろいろ聞いてみた。活動状況や心構えやらをね。そしたらあることが浮かび上がってきた。根本的なあることがね。![]()
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具体的一つ一つの問題もあるけど、こういう場合は全体を統括するような根本問題があるのが普通で、そこを改めずに一つ一つを改めても、モグラ叩きみたいになってラチが明かないものなんだよ。
その根本的問題は何かというと、木鶏になれない、一旦は木鶏になれたのにいつの間にか木鶏から遠ざかってしまっていたということなんだ。![]()
『木鶏』というのはね、昔の中国の思想書の一つ、『荘子』にある逸話なんだけどね。ある国の王が闘鶏(オスのニワトリとニワトリを闘わせる競技のことだよ)に最適と思える良い鶏(ニワトリ)を見つけたので、名のある調教師に頼んだんだね。立派な闘鶏に育ててほしいとね。![]()
そして時々、王は調教の経過をたずねた。ところが調教師はまだ使い物になりません、まだです、まだですと言うばかりなんだ。そんなことが何度もあった後、調教師はやっと完成しましたと言ってきた。![]()
その鶏は木鶏、つまり木彫りのニワトリのようになって、相手の挑発に乗らず、余計な事に惑わされず、いきり立ちもせずオドオドもせず、毅然として動じないようになりました、と言うんだね。![]()
ジイタンはね、学校生たちに何度となく「バカになれ」と言っている。言い方は悪いが、木鶏になれということをわかりやすく表現して、バカになれと説いている。バカになり切って自己を確立するまではバカであれ、そこから飛躍するときが来るまではバカになっておれ、とね。![]()
木で作ったニワトリに脳みそがあるわけはない。脳みそがなければ何も悩まずに、余計な事に惑わされずに、不必要に意気込みもしなければクヨクヨもせずに、ただ淡々と、やるべきことをやるだけ、だね。![]()
独立開業して、自己を確立するまではそれが大切なんだ。だけど大方の人は、下手に脳みそがあるもんだからクヨクヨもすればいろんな幻想を抱いて悩みもする。脳のない木鶏になり切れない。バカになり切れないんだね。![]()
K生もね、こういう場合は躊躇してしまいますとか、こんな状況ではあきらめざるを得ません、などと、しきりに利口ぶりを発揮してバカになり切れていない。
木鶏であれば、バカになり切れれば、こういう場合とかこんな状況とかに関係なく、淡々とやるべきことをやるだけなんだけれど、利口ぶりを発揮し出すともう前に進めなくなる。K生には、もう一度バカになることを説いたけど、はたして分かっただろうかねー。![]()
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