8年間よく頑張ったね。 | 甘えん坊兄ちゃんとワガママ娘&可愛い次男くんの日々の出来事♪&35歳で宣告された耳下腺癌(腺様嚢胞癌)の記録

甘えん坊兄ちゃんとワガママ娘&可愛い次男くんの日々の出来事♪&35歳で宣告された耳下腺癌(腺様嚢胞癌)の記録

毎日の出来事や子供たちの様子など、日々の生活を日記として書いています☆
そして2015年4月に耳下腺の腺様嚢胞癌と告知を受け、病気のことも書いていきたいと思っています。

2017年5月1日
父が亡くなった。

2009年3月に歩いて道路を横断中に
タクシーに跳ねられ
ずっと意識も戻らず
遷延性意識障害(植物状態)で寝たきりだった
お父さん。

事故に遭った時は
まだ兄ちゃんが1歳2ヶ月くらいの時で...
お父さん、兄ちゃんのこと
「まだ歩かんのかぁ〜」
って、歩くの楽しみにしてたなぁ〜


救急隊員の方から連絡を受け、
急いで病院に向かって...
もうもたないと言われてから
8年2ヶ月弱

最初は救急で県病院に運ばれ、
病院に駆け付けた時のお父さんは
道路を横断中に
左側から走ってきた
タクシーのフェンダーミラーに
ズボンのポケットがひっかかって
体を持って行かれ
タクシーの骨組みに頭をぶつけ強打し
それから6メートル飛ばされ
うつ伏せ状態で地面に叩きつけられ
顔面強打の顔面骨折がひどく
顔が腫れ上がっていて別人のようだった。 

脳挫傷がひどく、手術が出来る状態でもなく
手術もできない状態で
身内をすぐ呼んで下さいと言われ、
南予のお父さんの母と
大阪からお父さんの兄も駆け付けた。

運ばれてくる救急車の中で、
何回も心肺停止したけど蘇生してを繰り返してたらしい。

そんなお父さんだけど
自発呼吸は出来ていて
それでも意識は戻らず
寝たきりで何も出来ず...


リハビリテーション病院に移り...

そして岡山に
交通事故によって
重度障害になった人のための病院があると知り
連絡して岡山から数人の方達が
父を見に来て...
そして岡山療護センターに受け入れてもらい

そこでしか出来ない
脳に対する治療があって、
それによって意識が戻った方も4人に1人くらいの割合でいると聞き、
期待したけど全く効果なく残念だったけど

3年弱の間、岡山の病院に入院していて
私は通った。

朝兄ちゃんを保育園に預けて、
それから岡山に向かい...
保育園のお迎えの17時までには戻らないといけないから
そんなにはいれなかったし、頻繁には行けなかったけど
お父さんがちゃんと目で瞬きして答えてくれてるような...
いつもじゃないしタイミングなのかもしれないけど...
けどちゃんと私が言ってることは分かってて
でも答えたり何もすることは出来ないんだよね。

療護センターはワンフロアにベッドがたくさん並んでて、
いつも近くに誰かはいるし
リハビリもシッカリしてもらえて、
やはり交通事故専門の病院で
普通の病院とは違う感じでした。

交通事故専門の病院は
全国に7箇所しかないので病床数も少なく、
ベッドの空きを待っている方もたくさんいるので
3年弱いたあとは
また松山に戻りました。
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松山にちょうど5年前に帰ってきて、
岡山から介護タクシーで帰るのも
一人娘の私が付き添わないといけないのに

まさかの娘ちゃんを出産後1ヶ月の時。
ちょうどお父さんが岡山から戻る日は、
盲腸で入院してて付き添えなくて...
本当にごめんね。

そして松山に戻ってきて
今月でちょうど5年。

2017年5月1日。15時15分。
父、66歳で永眠。

14時56分に病院から連絡があり、
お父さんが急変したと...

今まで熱は出ることはあっても
点滴などの処置で落ち着き、

気管切開と胃瘻はしてたけど、
この8年、特に変わりはなかったのに、
今年の3月、胸水が溜まって息苦しくなり、
2回胸水を抜いていた。

亡くなる前日も普段と変わらず落ち着いた父を見ていて...
当日も先生の回診の日で、
主治医の先生に診ていただいていた後、

ヘルパーさんが父をのぞいたら、
もう呼吸も心臓も止まっていたと...

少し前の回診の時は
状態も落ち着いてるし良かったと...
先生も思われていたらしく...

突然のことでした。


私が到着するまで
心臓マッサージを続けて下さっていましたが
私が到着して、
このまま心臓マッサージを続けても
難しく、父の骨自体も
もうかなり弱っているので折れるかもしれなく
危険だと。。。

私ももう大丈夫です。と答えました。




そして、心臓マッサージをやめて
落ち着いた瞬間、
お父さんの顔が優しくニコリと微笑んだんです。

事故に遭ってからずっと
辛そうな険しい顔しか見ていなかったから、
こんな微笑んだお父さんを見れたのは
何年ぶりだろう。。。


あーお父さん、
何にも出来ず辛かったけど、
楽になれたんだね。って思えました。

8年間ずっと寝たきりで入院してたから
今でも病院に行ったら
お父さんがいるような気がするけど

もうこの世にはいないんだね。

会えなくなってしまうのは
本当に寂しいけれど、

あの笑顔を見れたから。



せめて会話が出来たらな。

美味しい物も大好きなお酒も
最後に食べることも出来ないなんて、
本当に可哀想すぎる。

私が放射線治療の時は
味覚を失い
こんなにも食べることが苦痛なことなんだと
食べることが辛く...

味覚が戻り、こうして当たり前に
美味しく食べられることが
本当に幸せなことなんだと実感し
普通に食べられることの有難さを見に染みて実感した。

お父さんは一瞬で何もかもを失ってしまったんだから、
やりたかったこと、
心残りは沢山あったよね。

お父さんが寝たきりになり、
何も出来なくなってしまってから
この8年間に

新たに2人の孫が生まれ、
お父さんが元気だったら
いっぱいいろんな所に連れて行ったりしてくれただろうなぁ〜

って、いつも思ってた。


お父さんは
大学は法政大学に行き、
大学時代は器械体操をしてて、
試合に出てた写真も小さい頃はよく見せてもらってたね。

あの写真どこにいったんだろう。

帝国ホテルでウエイターをしてたって言ってたかな。

お父さんに聞きたいこと、
いろいろあったのに。。。

一瞬で日常生活全て出来なくなってしまったこと
本当に悔やまれて仕方ありません。

まさかの1人娘まで癌になり、
あの時は本当に辛くて。。。
お父さんにも報告して、
答えることは出来ないけど、
びっくりしたよね!!


いつも検査、手術の度、
祈っててね。
ってお願いしてたね。


まだまだお父さんには会いに行けないけれど

会いに行けた時は

ずっと話せなかった分

沢山話しがしたいです。


もう姿がなくなってしまったのは
本当に悲しいけれど


どうかどうか

これからも

私達のことを見守っていてください。



お父さん


長い間
本当にお疲れ様でした。


何にも親孝行出来なくて
本当にごめんね。
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