☆ sweet home ☆ -99ページ目

☆ sweet home ☆

大好きなsweet&簡単で美味しいお家ごはんを載せてます。
そのほかに、音楽情報など盛りだくさんでよろしくで~す♪
脱原発など日々、感じたことも載せています。

 

1923年(大正12年)9月1日 12:00 グランドオープン予定日時
1923年(大正12年)9月1日 11時58分32秒 関東大震災

 

なんと、グランドオープンのわずか1分28秒前に関東大震災が発生!

 

日本国内のライト建築
▪️帝国ホテル東京「ライト館」(明治村)
▪️自由学園明日館(池袋)
▪️ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸、芦屋)

 

1890年 (明治23年) 帝国ホテル開業
渋沢栄一 帝国ホテルの初代会長就任
 

1923年(大正12年) 帝国ホテル「ライト館」開業

 

ちなみに、帝国ホテルは「ホテルウェディング」の生みの親。
当時は自宅や神社での婚礼が主流。
が、関東大震災で多くの神社仏閣が焼失したため、ホテル内に

神社を設置し、挙式と披露宴を1つのホテルで行うスタイルを

誕生させたのです。

 

👆

1&9&2&3&9&1&1&2=28

1&9&2&3&9&1&1&1&5&8&3&2=45

1&2&8=11

28&45&11=84・・・8&4=12(6 6)

 

 

 

 

 

 

【震度7連発】関東大震災は恐ろしいほど異常な地震だった!?

2020/08/23

 

 

 

 

【全編公開】1923年 関東大震災 直後の映像 逃げない群衆 猛烈な火災

 救護活動…(2022年9月1日)

2022/09/01

 

 

 

 

関東大震災100年=「帝国ホテル100年」、ライト館の無傷伝説と

博物館明治村の特別展に学ぶ

2023年9月1日

 100年前の1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が起こった。

そしてこの日は、帝国ホテル・ライト館の落成披露宴の日でもあった。

 

東京・日比谷にあった旧帝国ホテル本館「ライト館」は、落成

披露宴が予定された1923年9月1日、関東大震災に遭った。

世界的な建築家、フランク・ロイド・ライトが設計した建物は、

周囲の中小ビルが崩落する中でも、ほぼ無傷で残った

 地盤が軟弱だと知ったライトが、「浮き基礎」と呼ばれる特殊

構造を採用したことが、奏功したとされる。造形美と防災が両立

できることを知らしめ、母国でも「米国人建築家の日本での快挙」

だと報じられた。

(ここまで読売新聞2023年8月22日[TOKYO考 都市再生の100年]

<1>から引用)

 

 

 

 

9月1日に落成記念披露宴が開かれることになったが、関東大震災が

東京を襲ったのは、まさに宴の準備に大忙しの時だった。周辺の

多くの建物が倒壊したり火災に見舞われたりする中で、小規模な

損傷はあったもののほとんど無傷で変わらぬ勇姿を見せていた

ライトの帝国ホテルはひときわ人々の目を引いた。ライトは二週間

後このことを遠藤からの手紙で知り狂喜したという。
1945年(昭和20年)3月10 – 11日の東京大空襲では、本館中央部

から南翼、孔雀の間、演芸場などに多くの焼夷弾が落ち、焼失は

総床面積の四割強に及ぶ大きな被害を受けた。終戦ともに帝国

ホテルはGHQに接収され、そこで大規模な修復工事が行われ、復旧した。

 

 

 

 

 

フランク・ロイド・ライト財団のウェブサイトで紹介されている

エニス・ハウスの説明のページには、『ダヴィンチ・コード』的

なものが好きな人には気になるだろう、ちょっと面白そうなこと

が載っています。それによると、エニス・ハウスの特注でデザイン

されたテキスタイル・ブロックのパターンが「グリーク・キーの

デザインが様式化された「g」と似ている」という点から、この形

は「チャールズ・アニスが所属していたメイソンの結社を暗示して

いるのかもしれない」とのことです。

確かに向かって右下の形は、フリーメーソンにお決まりのモチーフ

であるコンパスを表しているようにも見えます。ちなみに、「g」は

神(God)を表します。

前述のSteve Oney氏の記事‘House on Haunted Hill’によると、1929

年にチャールズ・アニスが亡くなったとき、エニス・ハウスのリビ

ング・ルームで行われた葬儀は、フリーメーソンのテンプル騎士団

第9ロッジの指揮官が執り行ったそうです。

 いずれにせよ、チャールズ・アニスがフリーメーソンの会員だった

こと自体は事実です。

 

 

 

 

Greek keyとは

 
 

 

東京大空襲の焼け野原は嘘だった | 織姫の日々彼是

東京大空襲と私

 

 

1923年9月1日、関東大震災の日に帝国ホテルは開業、そのまま

避難民を収容する事態になりました。この開業式のとき、

ライトはすでに日本を離れており、完成した姿は見ていません。

 

 

 

 

 

 

当日、ロビーで水とパンを配る。6000人×2食分を備蓄していたが、

「使う日がくるとは思っていなかった」。

東日本大震災が起きた11年3月11日、金曜日。震度5の揺れがあった

東京では交通網が完全にマヒ状態となり、街は約10万人の「帰宅難民」

で溢れ返った。タクシーはつかまらず、道路は大渋滞。営業中の店は

少なく、あっても満席で入れない。大多数の人はトイレや空腹、寒さ

を我慢しながら歩き続けるしかなかった。「運がよかった」というのは、

まず地震による被害がほとんどなかったこと。建物の損壊は客室の壁の

一部に亀裂が入った程度で、電気やガス、水道などのインフラには支障

なし。これがもし、火災が起きたり天井が落ちて怪我人が出たりして

いたら、逆にホテルの外へ避難してもらわなければならなかっただろう。

東日本大震災が起きた11年3月11日、金曜日。震度5の揺れがあった東京

では交通網が完全にマヒ状態となり、街は約10万人の「帰宅難民」で

溢れ返った。タクシーはつかまらず、道路は大渋滞。営業中の店は少なく、

あっても満席で入れない。大多数の人はトイレや空腹、寒さを我慢しな

がら歩き続けるしかなかった。

6年前からの備えが当日に生きた

その夜、行き場をなくした2000人の人々のためにロビーや宴会場を開放

したばかりか、毛布やペットボトルの水、保存食などを無料で提供した

のが日比谷の帝国ホテル東京である。

 

実は帝国ホテルでは1923年の関東大震災のときも、避難してきた人々に

おにぎりなどの食料を提供している。

 

👆

東日本大震災 2011年3月11日14:46:18

2&1&1&3&1&1&1&4&4&6&1&8=9&24=33(11×3)

 

 

帝国ホテル(初代ロゴマーク)

画像