☆ sweet home ☆ -97ページ目

☆ sweet home ☆

大好きなsweet&簡単で美味しいお家ごはんを載せてます。
そのほかに、音楽情報など盛りだくさんでよろしくで~す♪
脱原発など日々、感じたことも載せています。

 

 

奈良盆地南東の山間、大和まほろばの聖地となる桜井市多武峰

(とうのみね)に鎮座しています。多武峯は桜井市南部にある

峰々とその一帯にあった寺院を指し、古来霊山として神聖視され、

『日本書紀』には「田身嶺」と記されています。

 

 

因みに『日本書紀』は藤原不比等編纂ですよね~~

藤(18)原(10)不(4)比(5)等(12)=49・・・4&9=13

 

 

 

神廟拝所 (旧・講堂)

「天女像」「三十六歌仙図扁額」

三十六歌仙(人麿・伊勢・高光・斎宮女御)

 

春秋花鳥図(高精細複製品)

談山神社(多武峰妙楽寺)にかつてあった学頭屋敷に伝来した
と言われる。秋から冬へ移ろう様子が見てとれる。元来は春から
夏を描いた襖が存在し、、四季花鳥図を成していたのだろう。
所蔵:大英博物館

 

如意輪観音菩薩像

「足の観音さま」

「談峰如意輪観音菩薩坐像」は、当神社の御祭神・藤原鎌足公

のご長男であり、談山神社(旧・妙楽寺)の開山として知られる

定恵和尚が、唐(中国)から持ち帰ったと伝えられる観音像を、

鎌倉時代末期に再造したものです。

 

 

「摩尼法井」

 

パワースポット

 

 

 

 

 

 

 

比叡神社

 

 

十三重塔 高さ:17m

 

 

 

異なる記述では、興味深い史料として、『藤氏家伝』によれば

「※貞慧」と記され、白鳳16年(天智天皇4年(西暦665年)か)

に唐の劉徳高の船に乗って帰国するが、同年12月23日、大和

国(奈良県)大原で23歳の若さで亡くなったとあります。

百済人にその才能を妬まれ毒殺されたとあります。

定慧上人の生涯については謎が多く、元々神祇官の家柄の鎌足

公の子が仏門に出家すること自体とても興味深い事柄であり、

学者間では様々な説がたてられています。

 

 

西宝庫

 

鶴の手水舎 

 

 

 

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4/29(昭和の日)&11/3(文化の日)

4&2&9&1&1&3=15&5=20(1 1)

左側・・・本殿 右側・・・拝殿

透廊

 



多彩な意匠を織り込んだ銅製吊燈籠には、社紋の「上り藤」

をはじめ「鎌」をモチーフにしたデザインもあります。

 

 

拝殿  五色の旗(緑・黄色・赤・白・紫)

 

 

 

花笠

奥のケースに藤原鎌足像(掛け軸)

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はてなマーク

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こっちっぽい爆  笑 

 

 

 

 

画像

 

青農

十月

7日(嘉吉祭前日)午後5時

嘉吉祭宵宮祭(本殿)

8日(第2日曜) 午前10時

嘉吉祭(本殿)※奈良県無形民俗文化財

この兵火(足利尊氏)を避けて御神体を一時、飛鳥の橘寺に

遷座しましたが、3年後の嘉吉元年(1441)9月にもとの

多武峰に帰座しました。

寛正6年には勅使が派遣され、嘉吉元年の御神体奉還の日を

もって祭が営まれることになりました。そのために祭の名

も嘉吉祭となりました。
御神体の帰座を喜んだ一山の人々が多武峰の秋の収穫物を

ととのえて供えた神饌を百味の御食といいます。

 

 

談山神社~多武峰に感激(後編): ワインと模型と神社の徒然

 

拝殿から本殿を臨む

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如意輪〇8×24段=192コ

 

本殿

 

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葵紋はてなマーク 3人分のお膳はてなマーク

左右にいるのは、獅子と狛犬

 

 

 

花梨(アンラ)

 

東宝庫

如意輪観音堂

 

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菅原道真!? 藤原家とは因縁の仲・・・

 

厄割り改新玉 

①願いを穴玉に息を3度吹きかけて石に真上にそっと落とす

②2ケ目は穴玉に息を3度吹きかけて石を真上に落とす

 

むすびの磐座(いわくら)

 

摂社 東殿(恋神社)重文<br />拝殿下の鳥居を潜ると東殿へと誘う「恋の道」があります。古来縁結び信仰があり、縁結びの神として東殿に祀られている舒明天皇の皇女(一説には近江国野洲郡鏡里の豪族 鏡王の息女) 鏡女王(かがみのひめみこ)は、万葉歌人 額田王の姉であり、情熱的な恋歌を詠みました。鏡女王は、中臣鎌足の正室であり、『興福寺縁起』によると藤原不比等の生母と伝えます。因みに、『日本書紀』には「鏡姫王」と記されています。藤原氏一族繁栄の礎を築き上げ、女性として幸せな一生を送ったことから、恋神社と呼ばれるようになったそうです。<br />鏡女王が生きた飛鳥時代は、現代よりも自由に恋愛をしていたそうです。因みに、妹の額田王は天智天皇と天武天皇に愛されるなど魅力的であり、また、和歌の才能の他、巫女としての能力や言霊を聴くこともできたそうです。姉妹は共に天智天皇の寵愛を受けましたが、額田王の「君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の 簾動かし 秋の風吹く」の満ち足りた心情に対し、鏡女王の「風をだに 恋ふるは羨(とも)し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ」は寵愛が過去形となったやるせない心情が込められています。<br />因みに、天武天皇の正室の持統天皇は天智天皇の皇女です。同じく寵愛を受けた額田王とはライバル同士。そして、額田王が中大兄皇子(後の天智天皇)の寵愛を受け、中臣鎌足が中大兄皇子の妃だった鏡女王を懐妊中にも拘わらず正室に迎えます。歴史物語『大鏡』などは「不比等は天智天皇の皇胤」と記しています。鎌足と鏡女王の夫婦仲は良かったようですが、一説によると鎌足の意中の人は額田王だったとも!?何とも自由奔放な恋愛関係ですが、名ばかりの妃で居るよりは、正室として迎えられ、自然体で暮らせる鎌足との生活の方が鏡女王には幸せだったとの見方もできます。

鏡女王は、中臣鎌足の正室であり、『興福寺縁起』によると

藤原不比等の生母と伝えます。

因みに、妹の額田王は天智天皇と天武天皇に愛されるなど

魅力的であり、また、和歌の才能の他、巫女としての能力

や言霊を聴くこともできたそうです。姉妹は共に天智天皇

の寵愛を受けました。

額田王が中大兄皇子(後の天智天皇)の寵愛を受け、

中臣鎌足が中大兄皇子の妃だった鏡女王を懐妊中にも

拘わらず正室に迎えます。歴史物語『大鏡』などは

「不比等は天智天皇の皇胤」と記しています。

 

 

「結びの藤」初穂料1000円

結びの藤棚

龍の手水舎

 

 

屋形橋

 

 

 

 

 

 

散策MAP