奈良盆地南東の山間、大和まほろばの聖地となる桜井市多武峰
(とうのみね)に鎮座しています。多武峯は桜井市南部にある
峰々とその一帯にあった寺院を指し、古来霊山として神聖視され、
『日本書紀』には「田身嶺」と記されています。
因みに『日本書紀』は藤原不比等編纂ですよね~~
藤(18)原(10)不(4)比(5)等(12)=49・・・4&9=13
神廟拝所 (旧・講堂)
「天女像」「三十六歌仙図扁額」
三十六歌仙(人麿・伊勢・高光・斎宮女御)
春秋花鳥図(高精細複製品)
談山神社(多武峰妙楽寺)にかつてあった学頭屋敷に伝来した
と言われる。秋から冬へ移ろう様子が見てとれる。元来は春から
夏を描いた襖が存在し、、四季花鳥図を成していたのだろう。
所蔵:大英博物館
如意輪観音菩薩像
「足の観音さま」
「談峰如意輪観音菩薩坐像」は、当神社の御祭神・藤原鎌足公
のご長男であり、談山神社(旧・妙楽寺)の開山として知られる
定恵和尚が、唐(中国)から持ち帰ったと伝えられる観音像を、
鎌倉時代末期に再造したものです。
「摩尼法井」
パワースポット
比叡神社
十三重塔 高さ:17m
異なる記述では、興味深い史料として、『藤氏家伝』によれば
「※貞慧」と記され、白鳳16年(天智天皇4年(西暦665年)か)
に唐の劉徳高の船に乗って帰国するが、同年12月23日、大和
国(奈良県)大原で23歳の若さで亡くなったとあります。
百済人にその才能を妬まれ毒殺されたとあります。
定慧上人の生涯については謎が多く、元々神祇官の家柄の鎌足
公の子が仏門に出家すること自体とても興味深い事柄であり、
学者間では様々な説がたてられています。

西宝庫
鶴の手水舎
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4/29(昭和の日)&11/3(文化の日)
4&2&9&1&1&3=15&5=20(1 1)
左側・・・本殿 右側・・・拝殿
透廊
多彩な意匠を織り込んだ銅製吊燈籠には、社紋の「上り藤」
をはじめ「鎌」をモチーフにしたデザインもあります。
拝殿 五色の旗(緑・黄色・赤・白・紫)
花笠
奥のケースに藤原鎌足像(掛け軸)

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![]()
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こっちっぽい
青農
十月
7日(嘉吉祭前日)午後5時
嘉吉祭宵宮祭(本殿)
8日(第2日曜) 午前10時
嘉吉祭(本殿)※奈良県無形民俗文化財
この兵火(足利尊氏)を避けて御神体を一時、飛鳥の橘寺に
遷座しましたが、3年後の嘉吉元年(1441)9月にもとの
多武峰に帰座しました。
寛正6年には勅使が派遣され、嘉吉元年の御神体奉還の日を
もって祭が営まれることになりました。そのために祭の名
も嘉吉祭となりました。
御神体の帰座を喜んだ一山の人々が多武峰の秋の収穫物を
ととのえて供えた神饌を百味の御食といいます。
拝殿から本殿を臨む
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如意輪〇8×24段=192コ
本殿
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葵紋
3人分のお膳![]()
左右にいるのは、獅子と狛犬
花梨(アンラ)
東宝庫
如意輪観音堂
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菅原道真
藤原家とは因縁の仲・・・
厄割り改新玉
①願いを穴玉に息を3度吹きかけて石に真上にそっと落とす
②2ケ目は穴玉に息を3度吹きかけて石を真上に落とす
むすびの磐座(いわくら)
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鏡女王は、中臣鎌足の正室であり、『興福寺縁起』によると
藤原不比等の生母と伝えます。
因みに、妹の額田王は天智天皇と天武天皇に愛されるなど
魅力的であり、また、和歌の才能の他、巫女としての能力
や言霊を聴くこともできたそうです。姉妹は共に天智天皇
の寵愛を受けました。
額田王が中大兄皇子(後の天智天皇)の寵愛を受け、
中臣鎌足が中大兄皇子の妃だった鏡女王を懐妊中にも
拘わらず正室に迎えます。歴史物語『大鏡』などは
「不比等は天智天皇の皇胤」と記しています。
「結びの藤」初穂料1000円
結びの藤棚
龍の手水舎
屋形橋
































































