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☆ sweet home ☆

大好きなsweet&簡単で美味しいお家ごはんを載せてます。
そのほかに、音楽情報など盛りだくさんでよろしくで~す♪
脱原発など日々、感じたことも載せています。

 

皆様はコロナの時を振り返ってどう思うでしょうか。

コロナ対策グッズ

パンデミックを煽っておいて、ワクチンを打たせた。

奴らの手口はいつも同じです。

問題発生→解決

支配者層は、その中で本当にやりたかったことをやる。

まず、な〜んもないところに問題を作り出す。

そして問題を解決すると見せかけて本当の目的を達成する。

パンデミックが起きたと見せかけて、その解決策としてワクチンを広める。
それで本当にやりたかった人口削減をやる。

いつもの手口です。

 

コロナの時も、連日、感染者が何人だの毎日のように煽ってますた。
恐怖を煽って目的を達する。

今回もまったく一緒なのがなぜ分からないのでしょうか。

感染予防グッズ

なーんもないとこに、中国がいちゃもんつけてくるという問題が発生する。

そして解決策として武力を行使して撃退する。

でも、本当にやりたいのは人口削減なのです。

いつも一緒なのです。

中国だって人口が14億に増えちゃってどうしようもない。
戸籍に入ってない数を入れるともっと人口がいると言われてる。

日本だって進次郎さんがしきりに人口減らしたいと言ってる。

 

お互いの利益のためにやってることです。

支配者層さんは、これだけAIが発達したら、もう全部ロボットに

任せればなんも困らない。

今までしきりに学校教育で洗脳してたのは人間の奴隷が必要だったからです。

でももう必要無くなった。

支配者層の皆様は、世界の人口を5億ぐらいにして管理を省力化して

自然を守って楽しく優雅に暮らしたいのです。

前回のパンデミック計画は失敗してしまった。

だからリベーンジ。

次は戦争シナリオってだけです。

 

歴史は繰り返す。
コロナの時も結局、マスコミに恐怖を煽られて8割がワクチンを

打ってしまった。

今回も7割以上が支持なんですから。

アッホか。。
バカはゾンビになって貪り合わなきゃ治らない。

今回も陰謀論者の世迷い事でスルーされてちゃんちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曇り空と戦闘機

湾岸戦争は、1990年8月2日にイラクがクウェートへ侵攻したこと

を発端に、アメリカを中心とする多国籍軍とイラク軍が衝突した

戦争である。この戦争は1991年2月まで続き、冷戦終結後初の

大規模な国際紛争として知られている。イラクのサダム・フセイン

政権がクウェートを占領したことで、国際社会は強く反発し、国連

はイラクに対して撤退を要求した。

しかしイラクがこれを無視したため、アメリカを中心とする多国籍軍

がイラクに対し軍事行動を開始した。(※1)

 

イラクの財政状況は石油収入に大きく依存していたが、原油価格が

1バレル18ドルから12ドルに急落したことで深刻な影響を受けた。

イラクのクウェート侵攻に対して、国際社会は迅速に反応し、国連

安全保障理事会は即座にイラクの撤退を要求する決議660を採択した。

その後、経済制裁や外交的圧力が加えられたが、イラクは従わなかった。

そのため最終的に、国連は多国籍軍の結成と軍事行動を容認する決議

678を採択。湾岸戦争が本格的に始まるに至る。(※1)

 

砂漠の嵐作戦の開始(1991年1月)

1991年1月17日、多国籍軍による「砂漠の嵐作戦」が開始された。

この作戦は、空爆や短距離弾道ミサイルを主体とした大規模な軍事

行動で、イラク軍の兵站や指揮系統、インフラに大打撃を与える

こととなった。(※3、※4)

テロリズムの台頭とその後の中東政策

中東地域におけるアメリカの軍事介入はイスラム過激派の反発を招き、

後のテロリズムの台頭につながった。なかでもアルカイダのような

過激派組織は、湾岸戦争後のアメリカの中東政策に強く反発し、

1990年代から2000年代にかけてテロ攻撃を展開した。(※7)

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(Wiki)

ナイラ証言(ナイラしょうげん、Nayirah testimony

「ナイラ」なる女性(当時15歳)が1990年10月10日非政府組織

トム・ラントス人権委員会(英語版)にて行った証言

イラクによるクウェート侵攻後、イラク軍兵士がクウェートの病院

から保育器に入った新生児を取り出して放置し、に至らしめた

経緯を涙ながらに語った事で知られる。

しかし、クウェート解放以後マスコミが同国内に入り取材が許され

た結果、新生児の件は虚偽であった事が発覚。

また、1992年に「ナイラ」なる女性は苗字アッ=サバーハ

al-Ṣabaḥアラビア語:الصباح)であり、当時クウェート駐米大使

であったサウード・アン=ナーセル・アッ=サバーハのとの事実

が明らかになった。その上、証言自体がクウェート政府の意を受けた

ヒル・アンド・ノウルトンによる自由クウェートのための市民運動

英語版広報キャンペーンの一環であったことが判明した。