奈良旅2025年の春です![]()
吉野山の中腹には役行者が開いた金峯山寺があります。 藤原道長
が訪れたほか、後醍醐天皇がこの地に南朝を開き、豊臣秀吉が
花見を催すなど、長きにわたり歴史の舞台となりました。

銅の鳥居

日本三鳥居のひとつ
銅鳥居(かねのとりい)(重文)
仁王門から北へ約200mです。
銅鳥居(かねのとりい)は蔵王堂の北方、北向きに建つ鳥居型の門
で、重要文化財に指定されています。
大峯山上に詣でるまでの間にある四門の最初にあたり、発心門
(ほっしんもん)と称され、菩提心(ぼだいしん)を起こすところと
されています。ここは、入峰修行の行場の一つで、
「吉野なる銅(かね)の鳥居に手をかけて 弥陀(みだ)の浄土に
入るぞうれしき」という秘歌が伝えられています。
また、聖武天皇の勅願により東大寺大仏の余った銅で建立したと
いう伝承があります。
『太平記』には、正平3年(1348)に高師直(こうのもろなお)が来攻
した際に焼け落ちたとされ、室町時代に現在のものが建ったと
言われています。


後醍醐天皇の陵墓は奈良県の吉野山にある如意輪寺というところにあります。
四本桜 銅灯篭
四本桜
四本桜は蔵王堂の境内、石の柵の中に桜が四本植えられて
いる場所で、「大塔宮(だいとうのみや)御陣地」と刻まれ
た石柱が建っています。
元弘3年(1333)大塔宮護良親王(だいとうのみやもりなが
しんのう)が鎌倉幕府勢に攻められて、吉野落城を覚悟して
最期の酒宴をされた所です。その際の陣幕の柱跡に植え
続けられているのが、この桜です。
蔵王堂 東大寺大仏殿に次ぐ大きさ

金峯山寺の御本尊である金剛蔵王大権現は、およそ1300年前に
修験道の御開祖である役行者神變大菩薩によって感得された権現仏です。
役行者は、全国の霊山を御開山になった後、熊野から大峯山脈の稜線
伝いに吉野に修行されること33度を重ねられ、最後に金峯山(大峯山)
山上ヶ岳の頂上で、一千日間の参籠修行をされました。
天地鳴動し、山上の大盤石が割れ裂けて、雷鳴と共に湧き出るが如く
忿怒の形相荒々しいお姿の御仏がお出ましに成られたのです。この御仏
が金剛蔵王大権現で、役行者はこれぞ末法の世を生きる人々の御本尊
なりと、そのお姿を山桜の木にお刻みになってお祀りされたのでした。
これが、金峯山寺の始まりであり、修験道の起こりと伝えられています。
金剛蔵王大権現は、役行者の祈りに応えて最初に現れられた釈迦・観音
・弥勒の三仏が、柔和なお姿を捨てて、忿怒の形相荒々しいお姿となって
お出ましに成られたものです。
靴を脱いであがり、「発露の間」で蔵王権現を拝見しました。
大きさや表情など迫力満点の権現さまでした。
その後、権現さまのバックにも沢山の仏像を拝見。
青黒色は慈悲と寛容の心
蔵王堂に祀られている三体の蔵王権現は、それぞれ「過去」
「現在」「未来」の三世を象徴し、すべてに渡って私たち衆生
を救ってくださる存在です。
- 中央の権現(釈迦如来の化身): 過去世を救う
- 向かって右側の権現(千手観音の化身): 現世を救う
- 向かって左側の権現(弥勒菩薩の化身): 未来世を救う
蔵王堂の中に入ると、権現様の正面に「発露の間(はつろのま)」
と呼ばれる、衝立で仕切られた小さな空間がいくつか設けられて
います。ここに一人ずつ入り、正座をして初めて、巨大な権現様
の足元から頭の先まで、全身を見上げることができます。
行った時は仁王門は修復中でした~~
現在は、奈良国立博物館の仏像館で金剛力士立像を
観覧できるそうです。(令和8年3月31日まで)
【吉野山の観光スポット】まるごと吉野 吉野山の観光スポットおすすめ
1日コースをご案内 金峯山寺蔵王堂~吉野朝宮跡~脳天大神龍王院~
東南院~吉水神社~如意輪寺~後
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後醍醐天皇が開いた「吉野朝宮跡」
「蔵王堂」から南の「二天門跡」を通らず、境内の西側へ下りると、
ちょっとした台地で、「吉野朝宮跡」です。京都花山院を抜け出し、
導かれて吉野へ入った後醍醐天皇は、始め吉水(きっすい)院を
行宮とされましたが、そこが手狭になったので、蔵王堂の西下に
在った実城寺(じつじょうじ)を行宮にされ、寺名を金輪王寺
(きんりんおうじ)と改め、終始京都へ帰還する事を願いながら、
ついに1339年(延元4年)ここで亡くなりました。
なおその後、江戸時代に徳川家康が南光坊天海を吉野山の学頭に
任じ、金輪王寺を元の実城寺に戻し、金輪王寺を下野国の日光へ
移して輪王寺とし、吉野山を輪王寺の管理下に置きました。



















