日本から益得る国【Ⅱ】
こんにちは、談話喫茶”ホーボー軒”へようこそ。
店主の Klavi-Seli にて御座候、どうぞごユルリと☕。
とうとう先週の講義あたりから多々良教授、トチ狂いだして止みそうにもありません。
では講義、覗いてみましょう。
同じ内容の記事を何度もあげたテーマがある。
(a)「ショパンの前奏曲集の曲順」について。
(b)「モーツァルトの🎹ソナタの調性」について。
これだけでは無い。他に幾つもある。
だが、楽譜について考証して行く手前、まずは👆の (a) & (b) から片付けて行こうと想う。
ある程度、研究成果がまとまってきたから、というより、元々まとめやすいテーマではあるからだ。
「だったら早期にさっさとやったら良かったじゃ無いか」
その通り!
だが、自分自身には余りに自明の事でも、案外このテーマ、関心を持たれにくかったのだ。
自分の方こそ、何故こんな大事な問題に疑問を持たないのか、の方が不思議なのである。
じゃ、早速 (a) & (b) を。
(a)の曲順は長調→平行(短)調→5度上長調→平行(短)調 ・・・の順に従い、長短全24調で構成されており、これはバッハの平均律に倣っている、という点までは誰しもが言及している。
が、全24調が共通していても、配列はバッハのそれとは全然違う。
バッハの方は至って分かりやすい。
単純に長短で半音ずつ上昇していく。
なぜショパンはそうしなかったのか?
いや、逆もまた真なりで、バッハこそ何故ショパンの様な配列にしなかったのか、と言うことも出来る、まぁ誰も言うワケが無いが。
ショパン前奏曲集を、長調だけ並べてみると、どうなるか?
C→G→D→A→E→H→Fis→Des→As→Es→B→F(→C)
5度ずつ上昇している。
属調移行。即ち5度圏正規回りですね。
ここでモーツァルトの🎹ソナタとの、想わぬシンメトリーが出来あがるのに気付く。
モーツァルトのソナタを№1から4まで並べると、
C→F→B→Es
ショパンのラスト3曲を倒置、ひっくり返した調性順になっているのであります。
モーツァルトの意図は明らかだ。
臨時記号すなわち黒鍵を一つずつ増やしている。
段々ムズくなりますよ、という学習者への配慮を敷いた上での調性選択である。
さらに注目すべきなのは♭系即ち下属調への、所謂5度圏マイナス回りである事である。
ここで全音の、
「モーツァルト🎹ソナタアルバム」(以下略称アルバム)
の配列を疑問視せずにはおれなくなるのだ。
全音はヘンチクリンな事をしてて、
「モーツァルト🎹ソナタ集」(以下略称ソナタ集)
というのもある。
どっちも収録曲は同じだ。
違うのは曲順。
全く異なっている。
いや、実は収録曲数も違う。
アルバムにはソナタ集に無いソナタが1曲多く入っているのだ。
「じゃあ、アルバムを買う方がお得だよね」
と思った貴方。そうではないのだ。
余分のソナタとは厳密に言うと、🎹ソナタでは無い。
🎻ソナタの🎹編曲版なのである。
「なぁ~んだ。でも🎹だけで弾けるなら、何の問題も無いし、お買い得なのは変わらないじゃん」
それが全音の仕組んだ落とし穴なのだ。
よろしいか?
今日、有名なピアニストがモーツァルかトのソナタ全曲演奏とか、全曲集のCD発売するのに於いて、この🎻からの編曲ソナタが演奏されることは、殆どあり得ないのである。
では何故こんな半端なヘナチョコ変則🎹ソナタを、モーツァルトは出版せなあかんかったか。
これについては、当時の🎹指導法に関する知識ナシには理解、不可である。
だから別にどこかで論じよう。
先に進むよ。
どういう事か。
ここから述べることは拙の100%憶測である。
ヒ□ユキ的に言えば、
「それって貴方の感想ですよね?」
と誹られても仕方無い。
誹りたければ誹るがよろしい。
だが憶測なれどMaybe、100%当たっているはずだ。
だから堂々と述べさせていただく。
明治期に西洋音楽が日本に導入され、西洋音楽教育が始まった当初、楽譜は当然ながらヨーロッパの老舗楽譜出版社(以降適宜略称『出版社』)の版をライセンス契約しなければならなかった。
Z音社は向こう側の窓口となったペータース社版と契約したワケだが、この条件が向こうの意向が優先されたのは想像に難くない。
作曲時期をクロノジカル(≒ケッヘル(K)番号)に並べた正規の版には高額のライセンス料が課せられ、安価にするには劣悪な編纂品を選ばざるを得なかった。
それが今にも残る、ペータース版
「モーツァルト🎹ソナタアルバム」
という事である。
これの何が問題か。
大問題だよ。
だってクロノジカル(K順)じゃあなくて、作曲年代がバラバラにシャッフルされているんだから。
せっかくモーツァルトが学習者の子女達をおもはかって下属調配列にした、その教育者としての意図をメチャクチャに破壊した版なんだから。
こんなパチモン楽譜を、我が国は1世紀以上も使われさせられてきたのだ。
如何に当時の日本が、文化後進国と見下されていたかが良く分かる情け無い現象じゃんか。
哀しいことに、パチモン楽譜を使う事がどれほど致命的な事態を招くのか、当然当時の関係者は想像することさえ覚束なかったろう。
「じゃあ直せば良いじゃん、曲順なんか」
それが直せないのだ、パテント契約に縛られているから。
それでいて100年もの長きに渡り、我が国のクラシック教育は、
「楽譜に忠実に」
の一点張りを続けてきた。
アタマ隠して尻隠さずの、間抜けな音楽教育だ。
さぞかしヨーロッパの音楽関係者は嘲笑し続けて来た事だろう。
ヨーロッパの地で開催される音楽コンペティション(註)に出場する日本人コンテスタント達は、明らかに実力が高いにもかかわらず、中々アワードを与えようとしないのに不服&不満のクラシック🎹ファンは多々いるよな。
表向きは、
「ウ~ンヲ上手デスガ、はーとガ有リマセン」
とか、
「ヨーロッパノ伝統ニ即シテイマセンネェ」
などとウソ吹いているが、ナ~二が「はーと」だよ。
ウソじゃねーか!
「あんなバッタモンの楽譜で学んだジャップサルが、マトモなモーツァルトなんか弾けるモンキー」
が本音だろう。
その通りだ!
100年間も莫迦にされ続け、それどころか今も尚、タカリの山として鴨られている。
益得る者達によって。
うわ、エラくスピンアウトしてもうた。
こりゃ長引くな。
次回、ショパンのエピソードへ流れを戻します。
モツソナ余計の1曲についても。
ではまた!
(註).日本以外の国で「コンクール」とする事はない。
「ショパンコンクール」ではない。
「ショパンコンペティション」である。
だから拙はコンペとしてます。
我が国ではコンペって、サラリーマンのゴルフとCM業界の入札用語としてしか用いませんね。