こんにちは、談話喫茶”ホーボー軒“へようこそ。
店主の Kavi-Seli にて御座候、どうぞごユルリと☕。
『連弾』についての私見を少々。
拙は基本的に『連弾』なる演奏形態には疑問を持っている。
理由は二点。
一つはアンサンブルの観点から。
それを学ばせるとか、面白さや楽しさ・ムズさを知らしめるならば、むしろ他の編成の方が遙かに効果的であるのは、疑いようがないからである。
もう一つは、ピアニズムの面から。
どちらも同じくらい大切な事なのだが、今回は後者すなわち、
『ピアニズム』について考証してみる。
前回まで結構シツコく🎹協奏曲について述べて見た。
あの演奏フォームの最小形態が連弾の親戚っていうか、アニキ分の2台4手にあるのは言うまでもない。
で、2台4手に関しては特に否定的な見解は無い。
では1台4手である連弾の、何に否定的なのか?
『ソノリティ』に。
左様。ピアニズムとしての音色感の難点から逃れるのが困難なのだ、否、逃れられない宿命と言って良い。
「何を祐天寺中目黒。莫迦か!連弾てフォーミングが無かったら、幼年者のイッチャン最初の発表会、どないするんや!」
ハイハイ、それは其れ、仰せの通り。
幼年者に限らず、ファーストレッスン段階は指導者との連弾フォーム、🎹ならではの理に適った指導方法の一つだ。
初心者以上の学習者の連弾が問題なのである。
単刀直入に云おう。
汚い、音が、サウンドが。
あ~んど皮肉な事に、上級者同士の演奏ほど汚さがマルチサプライされてゆく、ドンドン。
しかし🎹指導者が、講師演奏と称して二人で叩きまくるという発表会は多い。
演奏技量の誇示とソノリティのスポイル度が反比例の関係。
そのことに指導者が無頓着なのが、混濁の音色以上に耐えがたいのだ。
つまり連弾ならではのピアニズムとヴィルトゥジティは両立しないものなのである。
でも不思議。なんであんなに弾きたがるのか。
自分(と相方)のソノリティよりも、アタシ達弾けますアピール感に満足したくてやっているなら、ハッキリ云おう。
邪道だ。
サイテーな演奏者だ。
それが拙の正直な見解だ。
そもそも🎹なる楽器、音色と歌い回しは、如何なる楽器よりも不自由でブキッチョなものだ。
それはレジスター装置を極力排除し、2本の腕と右足だけでフルオケの万能性を一人で成立させるために選択した、二律背反の成り立ち故のもの。
更に音色を犠牲にするとは、愚行にも程がある。
一度でも其の事が脳裏にかすめてもいなかった、というのならば連弾、ひとたび考え直して出直しすべし。
ソロと同じような密度で書けようハズが無く、スカスカなんだよ、美しい連弾があるとするならば。
取り敢えず、ヴィルトゥジティと美しさとは両立しないって認識は持ってくれっつって、ムリだろうなぁ。
あ~ぁ、云うだけ野暮だったなぁ。
でも云っとく。
後悔はしない。
え、「ソノリティって何よ、何のこと、それって美味しいの?」
そこでツマヅきましたら本稿、貴殿(女)には全く無用之介。