※はてなからの移植

 

はじめまして。

このブログでは私の旅行の記録やらゲームの話やらを書いていこうと思います。

 

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2026年3月27日、大阪府の茨木市摂津市あたりを歩き回ってきました。

まず、阪急正雀駅付近で夜勤が終わったのが朝6時半ごろ。車両基地を見学してきました。

今日もいい天気ですね~

この近くにこんなものを見つけたんですけどこれって引き込み線か何かですかね?


とりあえず朝食を目標に東へ進んでいきます。

はえ~^すっごい複雑

少し歩いて境川と大正川の合流点にやってきました。

ここでガランド水路というものを発見。排水のための水路が役目を終えた後、憩いの場として整備されたようです。

このポンプで下の大正川に排水していた

そのまま水路をさかのぼってみてからさらに東へ進み、高速道路近くの吉野家へ。
実は、私は松屋に入ったつもりだったので、セルフレジではないし350円の定食は無いので滅茶苦茶困惑してしまいました。とはいってもメニューは大して変わらないので430円の納豆定食を頂きました。

本編

これで腹を満たしたところで、高速道路をくぐり最初の目的地に着きました。

 

茨木川旧河道です。

どうしてここに来たかったかというと、昨期の大学で約7倍の倍率の抽選を勝ち上がって履修した「地域地理学」の講義で、この地域を題材に河川改修の痕跡を地図から探すという内容があり、現地で確かめてみたいと考えたからです。

今昔マップで確認すると茨木川が上流で安威川に合流するように改修されたことがわかります。茨木川は天井川のため災害リスクが高く昭和16年(1941年)に改修されたのです。

赤丸が現在地


 

そこで、今回の目標の1つ目は廃川を辿って川の痕跡を探すことです。

早速、橋があったことを示す石碑がありました。私が確認できたものだけでも9個の橋跡の石碑がありました。ここに貼ると邪魔なので最後にまとめて貼ります。

新高浜橋跡

さらに進んでいると道祖神社・水神社を見つけました。現地の案内板によると、道祖神社は15、6世紀に沢良宜郷が3つに分かれたとき、そのうちの一つ、浜村の鎮守府として創建されたそうです。水神社は明治期の河川改修の際に祭っていた水神を工事後に遷座したものだそうです。これも河川の痕跡ということでいいでしょう。

 

さらに進むと佐和良義神社がありました。手前に鳥居があって100mほど参道が続いています。境内には屋台が並んでいました。祭りでもあるのでしょうか。



この辺りには沢良宜城跡もあるようです。鳥居の近くまで戻り、公園の方を見ると、見つけました。

わかりにくい!

これは見落としても仕方ないね。

 

茨木市立文化資料館がありました。入場料は無料です。どうせ農具ばかりだろうと高を括っていたのですが、漁具や寒天づくりの展示にも力を入れていました。河川や天候などの地域の自然環境が産業に影響を与えていることが展示に反映されていました。茨木の寺社一覧というコーナーでは西国三十三所のひとつ総持寺を筆頭に信仰、巡礼が盛んだったことがわかります。そしてなによりこの資料館の目玉は弥生時代の遺跡と出土品のコーナーです。現地で配布されていた解説シートによると、市内の東奈良遺跡からは銅鐸の鋳型が発見されており、青銅器の生産地であったことがわかっています。また、この鋳型で制作された銅鐸が豊中市と香川県で見つかっており、流通も明らかになりました。2階には資料室がありましたが、時間と眠気で断念しました。

 

阪急の高架をくぐると、右手に茨木市立高校が見えてきました。前身は茨木市立中学校で、川端康成を輩出しています。市内には川端康成文学館がありますが、今回は行きませんでした。後から気づいたんですが、茨木童子が川面に映る姿を見て、自らが鬼になったことに気づいたという橋があったようです。現地には「茨木童子貌見橋」という案内板があるようです。

 

このあたりから、茨木の旧市街に入ります。今昔マップを見ると、東西南北に街道が走り、それに沿って町が拡大した様に見えます。今回は町の北西に伸びる街道に沿って少し歩いてみました。町中の道標によると、この街道は茨木街道支線といい、桑原(茨木の北方5㎞)へ向かうようです。

 

高校の次は、消防署や市役所が見えてきます。城から武士が退去したり、河川を流路変更をした際にできた新しい土地には公共施設が建てられる傾向があるといいます。ここではセオリー通りに学校や行政施設が集中しています。茨木城が廃城になったのは近世のことなので、後者が当てはまると思います。

 

市役所の側を抜けると茨木神社があります。解説を調べるのが面倒なので(←ゴミ)ホームページにある由緒を貼っておきます。

茨木神社ホームページより(2026年6月5日参照) https://ibarakijinja.or.jp/

境内には茨木城から移設されたとされる門がある。

周囲は現代的な住宅街になっていますが、旧い道を狙って歩いているのでやはり古いものがあります。こういう住宅を見つけました。江戸時代に米問屋として栄え、今でも商売を行っているようです。

 

 

町中の所々には明治時代の町名を示す石碑が建てられている。


 

狭い路地に展開した商店街は賑わっていた。


市立茨木小学校には茨木城櫓門の復元がありました。

下で小学生がたむろしていたので上部だけ

JRの高架をくぐると、あたりは一面の工場になります。ここまでくると茨木ICのすぐ近くまで来たということです。人通りがなくなったのでベンチで昼寝しました。10分くらい昼寝しようと思ったのに191.9分くらい寝ちゃった…

再び歩き始めると、すぐに現役の茨木川が見えてきました。つまり茨木川の旧河道を歩くという目的は達成です。安威川茨木川合流の碑がありました。これによると、昭和10年の水害の際、沿川の6町村(茨城町、玉櫛村、玉島村、三島村、春日村、三宅村)が国と大阪府に陳情し、昭和16年に現在の形に整備されたようです。

 

この後は太田茶臼山古墳と今城塚古墳にも行きましたが、昼寝したせいで博物館が閉まってしまったり、スマホの充電が切れて写真を撮れなかったり、書くのが面倒になってきた(←ここ重要)ので終わろうと思います。最後まで読んでくれた人がいたらありがとうございます。

橋跡の石碑一覧

六軒町橋跡、丹波橋跡が抜けているようです。

新高浜橋跡

高浜橋跡

小宮橋跡

沢良宜橋跡

沢良宜東高橋跡。「ひく橋」の碑が別にあるようです。

あやめ橋跡

新庄橋跡

寺町橋跡

高橋跡

 

田中橋跡