1789年。とある初夏の1日の、オスカル・フランソワさまのモノローグ。
(※『☆新たなる地獄への旅立ち❹【いざ、逢引き(?)へ!】』と対(ツイン)を
なしております)
↓この章でオスカルさまが弾いていらっしゃるのはこの曲です。
↓コチラのほうは楽章の分かれ目が画面に表示されます。
🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹
今日の家路のために、おまえが作ってくれた わたしだけのためのゆりかご。
狭くても不思議なほど心地よくて、激務で凝り固まった躰を解きほぐし、
誰ぞやのせいで!沈んだり浮いたり さんざ揺れまくった心も癒してくれた。
そのゆりかごの中で あたたかさに満ちた幸せな夢をみた筈なのに、目覚める
とともに、まぼろしのようにぼやけてしまった。
夢とは、どうしていつもそのように儚く消え去ってしまうものなのだろう。
🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹
晩餐を済ませ、今、自室に戻ってきた。
さて。 おまえを待つ間、何をしよう。
...弾こうか、久しぶりに。
では、曲は...
そうだ…、ヴィヴァルディ『夏』ヴァイオリン協奏曲 ト短調 を。
3つの楽章それぞれに添えられたソネットが、今のわたしの心を奇妙に惹きつける…。
弓を構え、弾きだす。
≪第1楽章 アレグロ・ノン・モルト 「けだるい暑さ」≫
太陽が焼けつくように照る厳しい季節
優しいそよ風を突然 強い北風が払いのける
羊飼いは嵐の気配に恐れおののき……
父上。
わたくしは父上に啖呵を切りました。
軍神マルスの子として生きましょう。生涯を武官として……と。
しかしながら、≪武官≫であり続けることは できなくなるかもしれません。
宮廷から俸禄を享ける ≪武官≫〟に、わたくしが甘んじられなくなってし
まったら...
父上とわたくしは容貌も気性も似ていると、母上はおっしゃいます。
容貌が似ているというのは、まったくもって承服いたしかねますが、
気性のほうは間違いなく受け継いでいると認めざるを得ません。
娘を男として育てたり、三十路の娘の婿選びパーティを開いたり、
父上はムチャクチャな御方でいらっしゃいます。
ふふ、その婿選びパーティを、あそこまでムチャクチャにぶち壊す
なぞ、わたくしもわたくしでございますが。
親子相似形とは、まさにこういうことを申すのでございましょう。
ただ、それらのムチャクチャを含め、父上が歩ませてくださった道が、
今のわたくしを作り、自分で自分の道を選び採る力を拓いてください
ました。
≪その時≫が来たら、わたくしは父上に、こう申し上げるつもりです。
〝たとえ何が起ころうとも、父上は わたくしを卑怯者にはお育てに
ならなかったとお信じくださってよろしゅうございます〟
そのことばの奥に、限りない尊敬と感謝を込めていることを、
似たもの親子の父上ならきっとお汲み取りくださることでしょう。
≪第2楽章 アダージョ≫
恐ろしい稲妻と雷鳴で 疲れた体も休まらない
母上。
姉上たちの倍以上の年月、わたくしを慈しんでくださり、父上との板挟みと
なりながら、わたくしの身を案じ続けてくださった母上。
あろうことか、わたくしは母上を醜い宮廷闘争にも巻き込んでしまいました。
わたくしは、母上の愛に まだ何一つ報いることができておりません。
もし、現世で母上を悲しませ苦しませることになってしまいましたら、
わたくしは、その咎を、生きている限り背負ってまいります。
そして、次の世というものがあるのなら、必ずや、また母上のもとに生まれ、
愛されるに値する子となりたい…と、わたくしは、終生、神に祈り続けてまい
ります。
≪第3楽章 プレスト 「夏の激しい嵐」≫
ああ 不安は現実となる
空は雷鳴を轟かせ稲妻を光らせ 果ては雹まで降らせ
熟した果物や穀物の穂をことごとく叩きつぶす
ばあや。
たったひとりの孫への溢れる愛を押し殺し、母上と共に、わたしを見守り、
案じ続けてくれた、わたしの大切なばあや。
そのかわいい自慢の孫までも、わたしは ばあやから奪って行ってしまうかも
しれない。
でも、もしそうなってしまっても、ほんの少し…ほんの少しの間だけ、
待っていておくれ。できるだけ早くばあやを迎えに来るよ。
ジャルジェ家への忠節との狭間で、ばあやの心を引き裂くことになってしまう
だろうことを、どうか許してほしい。
それでも、ジャルジェ家への思いは胸の奥深くにしまって鍵をかけ、
一緒に来てほしい。
一緒に来てくれたら、自慢のバカ孫を存分にお仕置きさせてあげるよ。
ほら、腕が鳴るだろう?
だから、腕が鈍らないよう体に気をつけて、わたしたちが迎えに来るまで、
どうかたくましく生き続けていておくれ。
🌹🌹🌹🌹🌹
......曲が終わった。
アンドレ。
今の音色をおまえが聴いていたなら、
わたしらしい選曲で、ダイナミックで張りのある わたしらしい鳴りだ。
ただ、ふとしたところで音が弱くなったのが気になったが……
そんなふうに評したことだろう。
だから今は、おまえには聴かせられない。
〝おれはいつだって勝手にオスカルばかを続けるだけだ〟
そう言って穏やかにほほえんだその奥で、おまえが何と闘っているのかを
突き止めるまでは。
突き止めて、その≪何か≫を、この手で叩き潰すまでは。
これから飛び込むかもしれない場所では、
わずかな心の迷いが命取りになりかねないのだから。
そしておまえは、来るなとわたしが止めたとしても、
秘かに隠れてでも、そこについて来るのだろうから。
もう、恋とでも 愛とでも ひとつ魂とでも、
なんということばで呼ぼうとかまわない。
おまえがわたしなしに生きられないのと同じに、
わたしもおまえなしに生きられない。
だから、おまえには生き抜いてもらわねばならないのだ───
🌹🌹🌹🌹🌹
...ふう。おまえの仕事が終わるまで、まだ時間はかなりある筈だ。
次は何をしよう。
本を…読む?
部屋の中にしつらえた簡易書棚の前に歩み寄る。
ロック、ルソー、モンテスキュー、ヴォルテール...
その中の一冊、『人間不平等起源論』背表紙の著者名に、わたしは語りかけた。
「ルソー殿。失礼ながら、あなたの御作『ヌーベル・エローズ』は、この部屋
から放逐させていただきましたぞ」
あの本は、おまえがここでワインを叩き落とした後、すぐに、図書室の奥の奥、
おまえの目に触れそうにないところに押し込んだ。
もし既読だったとしたら、しこたま頭をぶん殴って記憶から消してやるつもりだ。
おまえを最も苦しめ追い詰めているのは、このわたしだと知っている。
けれど、わたしはおまえから離れられない。
だから、おまえを苦しめるものを、わたしは徹底的に排除することに
決めたのだ。
ふ…、ロック、ルソー、モンテスキュー、ヴォルテール。
〝謀反人か平民が読む本〟……か。
「啓蒙思想家のみなさん、少々、席をお外し願えますか?」
そうつぶやいて、わたしは彼らの著作を引き抜いて脇の棚に移していった。
次第に、書棚の奥に、それらとおよそ似つかわしくない、絵本、おとぎ話、
冒険物語の、やさしく楽しく心躍る表紙絵たちが顔を見せ始める。
おまえがこの家に来た頃に、文字の勉強を兼ねて、頭を並べて小さな手で
ページをめくり、ふたりで≪お気に入りマーク💕≫を付けた本たちだ。
おまえの部屋には置くスペースがなかったし、ばあやに見つかったら、
〝お屋敷の本を持ち込んだりしちゃダメじゃないか!〟と叱られるので、
わたしの部屋に置いて、時間があれば、繰り返し繰り返し一緒に読んで、
挿絵に空想をふくらませてキャッキャと戯れたりしたよな。
うん。今夜はこの昔懐かしいものたちを読むことにしよう。
おまえは、わたしを子供扱いする。
ならばいっそ、子供の心に還るのもよいかもしれない。
愁いというものをほとんど知らなかったあの頃の自分に戻って、
無垢な気持ちで、おまえと一緒に ばら達を愛でて過ごすのもよいだろう。
何冊かを取り出してテーブルに積み、1冊ずつ手に取って読み始める。
ふふっと忍び笑いを漏らしたり、古びた感触を撫でて慈しんだり...
🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹
「オスカル。待たせてすまない」
ノックとともに、部屋の外から、おとなアンドレの声。
来た!
本をテーブルに置いて、ぴょんと椅子から立ち上がってドアにダッシュし、
バンッと開けた。
「思ったより早かったな! もう出られるのか♪」
部屋から飛び出そうとしたら、おとなアンドレはシィッと指を立て、
手にカンテラを押しつけてきた。
んっ? なんでだ? 意味わからん。
「おれは先に行って、ブランケットを敷いて飲み物の用意をしておくから、
おまえは少し間をおいてから来い。
あっ、上に羽織るものをちゃんと持って来るんだぞ」
「羽織るもの? もう暑いくらいの季節になっているのに?」
「夜の庭は意外と冷えるから、要るかもしれん。
念のために持って行ったほうがいい」
あっ、そういうことか。
コイツ、いつもイイところに気がつくな♪
「わかった。すぐ取ってくる♬」
そう言って部屋奥へ踵を返そうとしたら、
「だーかーらぁ。おまえは少し間をおいてから来いと、さっき言ったろうが」
ちょいオコのあきれ声にストップをかけられた。
「どうしてだ!?」 また、意味わからん。
「日が暮れて、用がある筈もない時刻に、連れ立って屋敷の中を歩いて
たら、どう見たって変だろう」
「そうだろうか?」 なんでだろう?
「そ・う・な・ん・だ!
ほら、ドアを閉めるから、カンテラを持ったその手を引っ込めろ」
目の前でバタンと閉められたドアに向かって、
7歳の少年はイーッと舌を出してアカンベをした。
それでも、おとなアンドレが〝少し間を置いてから来い〟と言ったから、
しかたなく椅子に戻って、時計とにらめっこする。
よし、1分経った!
こらえ性がなく聞かん気なその子は、
カンテラと上着を引っ掴んで部屋を飛び出し、
南の庭に向かって全速力で駆け出した。
≪『✿開花への新たなる旅立ち⑧ ≪身を引くなど許さん!≫』に続きます≫