1789年。とある初夏の1日の、オスカル・フランソワさまのモノローグ。

 

(※『☆新たなる地獄への旅立ち❸【胸ざわめく司令官室】』と対(ツイン)を

なしております)

 

 

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司令官室の中、おまえが両手をわたしの机につき、強い意志を秘めた
視線でわたしを見下ろしている。
おまえとわたしのまわりに何か濃密なものが立ち昇ってくるようで、
周囲の物も窓外の世界も遠くぼやけていき、めまいに似たものを感じる。

「正直言うと、今日はなんとなく、おまえと一緒にあの子たちを愛でて
やりたい気分なんだ。散り始めてしまう前に…な。だから一緒に見よう。
な、オスカル」

わたしが聞きたかったことば…〝一緒に〟。
それをおまえは言ってくれた。
おまえの答えに予想外の熱量が感じられたときめきと、男の視線の強さに、
どうしようもなく顔がほてって、わたしは思わず目を逸らせた。

「おっ、おまえがそこまで言うなら、つ、つ、付き合ってやる」

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目を逸らせても、視野の隅におまえの腕がある。
今朝、わたしを抱き留めた強い腕。
その腕に、今も、机を突き破らんばかりの力がこもっている。
なぜ…だ?
おまえが放つ決然としたオーラが、少しこわ…い。

加うるに...
単純に〝一緒に行こう〟と答えれば済むところを、おまえは意味ありげな
物言いをした。
  〝散り始めてしまう前に〟...?
これから満開に向かおうとする花に、そのような哀しい姿がすぐ結びつく
ものだろうか?
かすかな違和感が胸に兆した。

いや、違和感だなどと、そんなもの気のせいだ。
気のせいに決まっている!

わたしは目を逸らせたまま菓子入れに手を突っ込み、適当にひとつ掴んで、
包みを剥いて口に放り込んだ。

「ん。では決まりだな」

その声とともに、おまえの腕が視野から消えた。
わたしの机から手を放して背を向け、補佐員用の机に歩いていく。

おまえの靴音が、たそがれを連れてくる晩鐘の響きに聞こえる。
ああっ、行かないでくれ。
暗闇の中に、わたしをひとり置き去りにしないでくれ! 

心細さに思わず身震いして椅子から飛び上がりそうになった まさにその時、
 おまえの気遣わしげな声が耳に飛び込んできた。

「あっ、ただ」
「えっ!? え? えっ? アンドっ… うわっ、あぐっ😱」

しまった! 口の中にあった大き目のボンボンの感触が急になくなった。
くっ苦しい! 助けてくれ、アンドレ!

「どうした、オスカル!!」

喋れないので、振り返ったおまえに、必死で口の中を指さす。

「まったくっ! どこまでお子ちゃまなんだ、おまえは。
口にものを入れたまま喋るからだ!」

...くっ、完全に子供扱いされてしまった。

おまえが早足でわたしの後ろにまわってきて、背中の上のほうを
強めにたたいてくれる。
「ほら、力を抜け。力むと余計のどが詰まってしまう」

あっ…今、喉をふさいでいた塊が食道のほうに落ちていった。
ほっとして、思わず甘ったれた泣き声を出してしまった。

「ボ…ンボンを...ボンボンをまるごと飲み込んでしまった... アンドレ」

けれど...
胸の中にしこっている塊はまだ消えてくれない...


「ああもう! すぐ水を持ってきてやるから、ちゃんと流し込んでから喋れ」
執務室の一隅のワゴンまで行き、水差しからグラスに水を入れてきたおまえが
わたしの右手の中にグラスを押し込んでくれた。

胸の中にしこっている塊も流し去りたくて、
わたしは一気にその水をあおろうとした。

……なのに。
「あああ、慌てるな。一気に飲むと今度はむせてしまうぞ」
口に当てたグラスの底を、おまえがクイっと下に押し、
傾きを緩めてしまった。

くそっ。なんて ばあやなヤツだ!
また子供扱いだ。


...うん? 子供…扱い?

そ…うだ、近頃のおまえは、わたしをやたらと子供扱いして、
大人ぶった口吻でからかってくる。

 〝スースー寝息を立てているのは子供みたいにかわいいが〟
 〝ぶんむくれていきなり走り出した子供は、どこのどいつだっけ?〟
 〝夜、ひとりで南の庭まで行くのが怖いのかな、お子ちゃまは?〟
 〝どこまでお子ちゃまなんだ、おまえは〟

〝かわいい〟ってのは、まあいいとして💕、だ。
もしかして、おまえ、わたしへの態度を庇護者的なものにスライドさせて、
わたしと正面から向き合うのを避けていないか?

  ── 先程の廊下ではわたしをまっすぐに見つめ返してくれた。
  ── 今しがたは、ゆるぎなく強い視線を正面から注いできた。

だが、思い返してみると、そんなふうに間近で正面から わたしを見ることは、
ここしばらくなかった。

わたしとの距離も、以前に比して微妙に遠い。

...昨日、〝もっともっと近くに来てほしい、おまえに〟との想念が
ふいっと浮かんだのも、おそらくそのせいだ。

さっき、司令官室に入ってから、ずっと掌を額に当てていて、
わたしからは顔が見えなかったのも、偶然ではなくて≪故意≫だったのだな!

なぜだ!? アンドレ、何がおまえをそうさせている!?
いやだ いやだっ!
わたしから離れていかないでくれ、アンドレ!!

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「それで、何を言おうとしたんだ、オスカル。 
...ボンボンが口の中に入っているのに」

わたしの内で立ち騒ぐ不安と焦燥も知らずに、おまえはまだ
わたしをからかおうとしてくる。
それが苛立たしくて、目に渾身の力をこめておまえを睨んだ。
すまし顔でからかってくるその陰で、一体おまえに何が起こっている!?

けれど、いつもなら、遠慮会釈なく問い質せる〝一体どうしたのだ!〟が
今は、なんだか怖くて口から出てこない。

代わりに... もうひとつ浮かんだ不安が口をついて出た。

「おまえこそ、〝あっ、ただ〟などど、思わせぶりに何を言おうとした!
まっ、まるで、〝別の用事があるのを思い出した〟とでも言いたげに!」

「はあ? 思わせぶりって何なんだ。
最後まで言わないうちに、おまえが遮っただけだろうが。
...ボンボンを口に入れたまんまで、な」

ああ、また子供扱いで からかおうというのか...

よし、落ち着け、わたし。子供扱いなんぞできないように、
ここはひとつ、大人らしい対応を見せてやる。
苛立たしさをグッと制して、わたしはシニカルな笑みを浮かべてみせた。

「アンドレ・グランディエくん。忠告しておこう。
わたしの些細な失態で遊ぶのはいい加減にしておきたまえ。
反省が見られないようなら営倉に入ってもらうことになるが、
それでもかまわないかな? どうだね、んん?」

おまえは なかなか見事な演技で、うろたえる部下よろしく抗議してきた。

「営倉入りだって!? なんてことだ!!
そんなことになったら、今日は、ものすご~く楽しみ💕にしていた予定
あるのに、おジャンになってしまう!
おまえが寛大な上官だということを、おれはよく知っている。
だから、頼む! 営倉入りだけは勘弁してくれ!😭😭😭」


やられた!! もっとよく考えてから喋るべきだった!

「くっそお... 知能犯め!」


おまえは上官にいじめられてオロオロする部下ごっこをやめ、真顔に戻った。

「そうじゃない、オスカル。おまえの打った戦法に穴があっただけだ。
軍人なら、どんな些事でも、先を見通した戦略が必要だろう?
こんなおれ如きに、足元をすくわれてどうする」

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「耳が痛いな」
わたしは天井を仰いでふぅーっと息をついた。

「...アンドレ。 さぞ扱いにくいだろうわたしを、おまえはさらりフワリと
何事もないように受け止め、笑わせたり怒らせたりして、人間らしく息をさせて
くれる。
痛い指摘も、時には歯に衣着せぬ直球で、時には穏やかに、時には思いもかけぬ
やり方で、わたしに投げかけてくれる。
おまえがいなかったら、わたしは、脇目もふらず突っ走る軍人ばかでしかない…な」

つい、弱音を吐いてしまった。おまえに甘えたかった。

すると、おまえは部屋の反対側にあるワゴンまで行ってしまい、
空のグラスを戻すと、そのまま壁に背をつけて胸の前で腕組みをした。

なぜわたしから離れていく、アンドレ?
なぜわたしから遠ざかろうとするのだ?


「おまえ、前にも似たようなことを言ったな。
だけど、おまえはそんなこと気にしなくていい。
軍人ばかのおまえがいて、オスカルばかのおれがいる。
ただそれだけのことだ。 おまえは、おれがいる限り、
心のおもむくまま、軍人ばかでいればいい」

おまえの声…そんな遠くにいるのに、まるで わたしの肩を抱いて
おまえの腕に包み込んでくれているようにあたたかい...

「〝オスカルばか〟か。 ふ…ふ、乙なことを言ってくれるではないか。
よし。今この場で、このわたしが、正式におまえを〝オスカルばか〟に
認定する。認定返上などされたら、わたしは狂い死にしてしまうかも
しれんから、それを心しておいてくれ」

付け加えてこう言ったら、おまえはわたしのそばに戻ってきてくれるだろうか?

 〝そして、わたしはおまえから離れられないアンドレばかだ〟
 〝お願いだ! わたしを狂い死にさせないよう、ずっとそばについていてくれ〟


「認定なんぞされなくたって、おれはいつだって勝手にオスカルばかを続ける

だけだがな。しかしまあ、正式認定は謹んで承らせてもらうぞ」

そう答えてくれたおまえを、わたしは心から信じることができた。
おまえが戻ってきてくれたことを、心から信じることができた。
漸く心の均衡を取り戻したわたしは、椅子に斜めに背をもたせかけ、
指で髪を弄びながら、穏やかにおまえに問うた。

「それで…だ。〝あっ、ただ〟の続きは何なのだ?」

「ああ、うん... さすが一を聞いて十を知る聡明なるジャルジェ准将だな。
残念ながら、おまえの推測は当たらずとも遠からずだ。
お屋敷の仕事は何時に終わると確言できない。
仕事が終わったら、おまえの部屋の前で声をかけるから、
すまないが、それまで部屋で待っていてくれ」

「ふふふ。わたしは、ばあやと、ばあや2号 改め〝オスカルばか〟の
いいつけには逆らわないことにしている。それが自分の身のためだからな」


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これまでずっと、わたしがおまえを振り回してきた。
だが今は、アンドレばかのわたしが、
おまえの一挙手一投足に右往左往して、
おまえの掌の上で踊っているような気がする───

 

 

 

 

『✿開花への新たなる旅立ち⑥ ≪家路≫』に続きます≫