私の理想のお葬式を思いついたので、忘れないうちに書いておこう。


その日のミロンガのドレスコードは、赤と白で、3時間くらい楽しくみんなが踊った後で、最後にプグリエーセのチケ(osvaldo pugliese-Chique)を流して欲しいのだ。

それで拍手して、盛大にお祝いしてほしいのだ。
私と湯沢さんが天国で初めて踊る瞬間を。

私には楽しいタンゴ人生を歩んできた中で一つ、物凄く悔やんでいることが一つある。
大好きなタンゴの師ともいえる、湯沢修一さんと1曲も踊らなかったことだ。


20代半ばの私と、主催者の湯沢さん。

湯沢さんと私はお互いが大好きだった(と思う)
湯沢さんはこんな若い子が熱心にタンゴを愛してくれて嬉しいと言ってくれた。
私はタンゴに関してすごい知識と愛情を持ってくれてる湯沢さんが一目で大好きになり、初めて水曜会に行った日から、湯沢さんが亡くなってしまったあの日のミロンガまで皆勤で水曜会にかよった。

毎月湯沢さんは、皆勤でミロンガに来た人に、ご本人が編集した素敵なタンゴダンサーのDVDやCDを毎月くれました。
私にはすべてが宝物でした。

DVDとCDはその後利用しすぎて壊れちゃったけど、ミロンガに通ったすべての日の曲のリストはすべて今も、持っています。

この国に嫁いだ時に、花嫁道具としてちゃんと連れてきました。

今の若い人に、湯沢修一さんがどんなに素敵な、かわいらしいおじ様だったか、
どれだけ純粋にタンゴを愛してくださっていたか、私がちゃんと、引き継いで語っていこうと思います。



今は、まだパソコンの扱いがよく分からなくってYou tubeの乗せ方すらわからないブログだから、もうちょっと待ってね。



湯沢さんの残してくれた資料はこのブログですべて、紹介するから。



あの日、遅刻など一度もしたことのない湯沢さんがミロンガに来なかった日。

なぜか、その前のミロンガで湯沢さんと写真を撮りたい衝動に駆られた。
「湯沢さんはブエノスアイレスでしか、タンゴ踊らないのよ」って、うわさで聞いてたから、失礼のないように一度もお誘いしたことがなかった。


湯沢さんが一人寂しく逝ってしまったことも、一度もタンゴにお誘いしなかったことも悔やんでも悔やみきれなかった。

私が湯沢さんから教わったことは、

~あなたの好きな人が、
 いつまでも永遠にそこにいてくれるとは限らない~



今、目の前に居て、あなたと踊ってくれている人に心から気持ちを向けてください。一番踊りたい人と、心からタンゴを踊ってください。

いつか、は二度と現れません。

今、しかないんです。


それ以来、私は素敵なダンサーがいたら、自分から歩みよります。邪魔にならないように近寄り、声をかけ、写真を撮り、踊ってほしいとアピールします。

お気に入りの曲がかかったら絶対踊ります。誰か、踊ってくれる人を見つけます。




何の理由もなく、何だかこうしたい!と思うものがあったら是非、行動に移してみてください。

周りが変に思うかもとか、うわさでそう聞いたからと、あきらめないで下さい。

それがラストチャンスになることもあるんですよ。




世界中のどこのミロンガでも、プグリエーセがかかると、気合が入る。

心の中で湯沢さんを思い出す。

湯沢さんの思い出を心に描いて、大切に踊る。