『自分は死なないと思っている』
そんなタイトルの本があるらしいけど、
気になりつつまだ読めていません。
この本はたしか、日本人の防災意識の低さを問う内容だけど、
震災以降、別の意味?でこのタイトルをよく思い出す。
1年前の今日、
朝ネット見てて「あ~、地震があったんや~」って呑気に思って、
mixiでとりあえず関東の友達に「大丈夫~?」なんて呑気にメッセした。
テレビ点けたら
いつもは録画放送のJSTVがリアルタイム放送になっていて、
一瞬頭が「???」ってなった。
なんとなく被害の大きさと状況が理解でき、血の気が引いて
どうしていいかわからず仕事中の知くんに電話をかけまくった。
青森の義両親と親族たちが皆無事だったことがわかって
ひとまず安心はしたけど、
しばらくはずーっとパソコンとテレビの前から離れられなかった。
被害の大きさ、事態の収拾のついてなさ具合に、
ただひたすらドキドキしていた記憶しかないな。
その後は押し寄せてきたのは罪悪感。
被災者の方々の不自由な暮らしはもちろん、
関東の友達も計画節電や断水、食料不足、燃料不足、
ひっきりなしにくる余震と戦っている中、
私は海外に居て、なんの被害も被らず何不自由無く今も暮らせている・・
笑ってていいのかな?
ご飯食べてていいのかな?
って思うくらいなら、いっそ日本に居て同じ苦労を味わいたかった!
・・・でもそれって苦労を味合うとしても、
自分は地震の時に日本にいても死ぬと思ってないって事だなと
後から気づく。
3月11日、沢山の方々が地震と津波で亡くなった。
じゃ、海外にいる私は死なない?
地震で死ぬ事はないだろうけど、事故、事件、病気等、
いつ何処で何が起きるかわからない。
それは誰にでもいえる事。
いつ悲しむ立場になるか、悲しませる立場になるか・・
明日、一週間後、1年後、
あなた100%生きてますよ。と保証されている人なんていない。
そんなこと当たり前とわかっていながら、
でも数十年は生きているだろうと当たり前のように思っている?
自分がどう。って事より大切な人をまだ失いたくない。
ていうか被災してないからそんなこと考える余裕があるんだろうけど、
自分は死なない事を前提に、
被災した方々、可哀相~とか
普通に暮らせてて申し訳ない~
とかは違うかなと。
日々の感謝と、
自分と自分の大切な人をもっと大切にしなきゃなのかな。
あーでも罪悪感を持ちながら粛々と生活し、
もっと日本のために行動しなきゃなのかな。
何ができる?
何かできている人を見ると責められているようで落ち込む。
毎日考えてる訳ではないけど考え出すと頭がゴチャゴチャしてきます。
話は変わって、
最近NHKの震災関連のドキュメンタリーや特番をよく見ます。
お涙頂戴系の過剰な演出もなく淡々と現状が映し出されていて、
心に響きます。
自営業を再開した人の前向きな姿に感動したり、
まだまだ悲しみが癒えていない人に涙が出たり、
国の対応に憤りを感じる人にそうだそうだ!と賛同したり・・・
でも心に響く。と言っても響くだけ、
それがどれほどの恐怖だったか、どれほどの悲しみか苦しみか、
自分だったら?と想像してみてもやっぱりわからないし
同じ気持ちになれません。
テレビで現状を知ることだけで、今はいっぱいいっぱい。
あと、募金しなきゃなって思うくらい・・
なんか、色んな事に対してもどかしさを感じる。
そんなこと言いつつ、
自分の日々の生活を楽しみ、たまに不満を言ったりしているのです。
もうこの記事もタイトルから着地点から無茶苦茶だけど、
これが今日の私の頭の中なので、とりあえず書いておきます。
あの地震から1年、
人々の悲しみが早く、少しでも癒えますように・・・