京都MUSEでのLOST IN TIME×セカイイチの2マンに行って
さきほど帰って参りました。
平日の京都のLIVEなら、いつもは半休もらって新幹線なんだけど
今日はどうしても少しでも長い時間京都の友人といたくて
予定を変更に変更して昨日仕事終わりの新幹線で京都に向かいました。
正直少し前彼女と向き合ったことで
自分のキャパを軽く越えてしまって
少し自分がどうしていいかわかんなくなってしまうような感覚に
なってしまったりもしていて
そんなことは初めてで。
でも、この前そんなアタシにココロのお医者さん直美さんは
「アナタがぶれてはダメよ」の言葉をくれた。
だから昨日があった。
本当にいろんなコトを話して
そしていろんな自分たちなりの言葉や策を拾っていけて
全然近くにいなくても、頻繫に連絡をとらなくても
こんなにも繋がっていたんだってことにお互いびっくりすらした。
きづいたら明け方の4時になっていたけど
まったく時間が足りなかった。
けどそれでいい。
またいつかの次の機会に
少し新しいことを発見した自分たちでまた話せばいいと想う。
そんな素敵な夜を越えて「セカイイチ」
彼女と一緒に楽しめてるコト、周りにたくさんの見知った顔があるコト
その中で笑っていられること
うまいこと言うようだけどアタシたちにも「Step On」だった。
そしてなんだか今日の「セカイイチ」は、というか
この前からちょっとづつ感じていたんだけど、なんだか
「俺たちを支えてくれよ!」
っていうような嬉しいくらいのまっすぐなキモチを感じる気がする。
支えたいし支えてもらいたいし
だからこれからもついていきたい。
もっともっと知りたいです。
「何がしたいの?」
と、彼女はあるヒトに問われたらしい。
でもさ、何がしたいか明確じゃないといけないんだろうか?
「生きる意味」
そんなもの必要?
アタシたちはいろんな想いのもとココに産まれてきた。
生きるために産まれてきた。
だから「生きる意味」が大切なんぢゃなくて
「生きること」に意味があるんぢゃないのかな。
きっと要は、どう生きるかってこと。
その「どう」は「名を残せ」とか「すげーことしろ」とか
そんなことではなくて
きっともっとシンプルなもの。
うまく言えないんだけど。
それは自分の生きることへの甘えかもしれない。
けど、だけどアタシはぶれない。
もしかしたらきっとそうゆうこと。
もちろんまだまだ模索中。
とにかくいい京都への旅だった。
素敵だ。
おやすみ。
