あっという間に日が過ぎる。

突然だった友人の死からもう一ヶ月たった。


本人アカウントのFBの投稿で訃報を知った。

初めは旦那さんが亡くなったのかと思って、驚き、その後、本人の事だ。と気づく。



コメントをしようかと思ったけど、旦那さんには会った事ないし、本人は見ないし、なんて書けば良いのかわからず、コメントできなかった。


本人はこれを見る事はないもんな。。。


そんな事が実感する事に繋がるのだから不思議。

人が死んだ実感なんて、毎日会ってないのだから湧くわけがない。

なんて事をしみじみ思う。


そしてその次は自分が彼女に対してやっていた態度を振り返る。


「あの時あんな事言って悪かったなぁ」

「でもあの時ちゃんと謝れて良かったなぁ」

「結婚のお祝い出来て良かったなぁ」

「一緒に飲めて良かったなぁ」


結局自分がやった事に対しての振り返りがまず先にくるのよ。私はそーゆーところあるよね。


そして、その日は久しぶりに予定を空けて休みにしていたので朝からずっと泣いていた。


こんなに泣ける自分に驚きつつ、泣ける自分を嬉しくも感じたり。

変な表現かもしれないけど、「悲しい時に素直に涙を流せる」事を嬉しく思った。


一昨年父を亡くしたけど、それ以外で身近な人が亡くなったのは初めてかもしれない。


彼女は私の一個上だけど、先日私は誕生日を迎えたので今私は同い年。

複雑な気持ち。


この友人の死をどう受け止めていけば良いのか?

次に考えたのはこれ。


この事実は悲しんでも悔やんでも変わらない。

それなら、どう解釈して、どう受け止めれば私は前に進めるの?


最近、自分が死んだらどんな気持ちになるのだろうか?私はやりたい事をやれているのか?

なんて事をよく考える。

たまたま読む流れになった本がひすいこたろうさんの「明日死ぬかもよ?」だったのだからまた不思議。


私は何をしに生まれてきたのだろう。

彼女は何をする為に生まれてきたのだろう。


今が彼女にとって、ベストなタイミングなのだとしたら、どう解釈すれば良いんだろう。

悲しさはたぶん無くならないから、せめてそこで自分なりに納得させたかった。


彼女はとても真面目で大人な人だった。

そして自分の仕事を愛していた。

演劇とフルーツカッティングは同じだと言っていた。

「ゼロから作って、またゼロに戻す」 

そこが同じだと。

毎回同じ物は出来ないし、毎回楽でもない。

産みの苦しみと無くなる寂しさ、終わった後の達成感。

この工程を愛していたみたい。

人生の縮図みたいだもんね。


思うようにもいかないし、完全に満足することもない。


いろいろな人に寄り添い、導きながら、息抜きにアニメ、姪っ子ちゃん、旦那様やお義母さんとの時間、全部は知らないけれど、少しの想像はできる。


きっと今、彼女はとても幸せだったろうなぁ。


過去の彼女の経験を聞いていたので、率直にそう思う。


真面目で大人な人だったけど

子供っぽくて臆病な所もあったし、目立ちたがりな所もあったなー。あと乙女な所もね😊


今亡くなるタイミングの解釈はつきました。


ちょっと捻くれた考えなんだけどね。


ふふふ。やられたなー。


とニヤニヤできたから、この着地にした。


彼女と仲良しの友達にも話したら、それなら納得できる。と言ってくれて友達も少し気持ちが落ち着いたみたい。


彼女を全く知らない人が聞いても上手く伝わらなそうだから、ここには書かないけど。


どう足掻いても、今亡くなる事に満足なんて出来ないから、ホント、忘れられない出来事なんだけどね。

もう直接文句言えないのが寂しい。


アロマスプレー「ムシエックス」とナオミ倶楽部のトートバッグを産んでくれたのはきよみん。

これからもずっと売って行くね❗️


だからずっと忘れないよ。


たくさんありがとうね、きよみん。

お疲れ様でした🙌


おまけ)お別れに行った時、頭ヨシヨシしてあげた。

あんまりそーゆー事されてない感じがしたから。

そして、義理のお母さんがムシエックス気に入ってくれてて、ご挨拶した時にきよみんの事

「宝物だった!」って言ってて号泣😭

幸せものめ‼️