※私は思考の見直しのほかにも、
様々な開運方法や「ザ・マジック」
なども実践しています。相乗効果
もあるかと思います。🙏✨

 

【子どもに感謝した日】

2024年2月13日

この日は、
中3の長男の高校受験の日でした。

公立高校の自己推薦試験です。

朝から、
緊張からか落ち着かない様子や
心配そうな様子でした。

何度か
『大丈夫よ。たくさん面接の
練習してきたんだから。😊』と
声をかけたり、一緒に深呼吸を
したりしつつ、出発時間になったので、
いつものように、「行ってらっしゃい、
気をつけてね。大好きよ。」
と送り出しました。


その、
落ち着かない長男を見ながら、
私は、子どもの成長が嬉しく、
誇らしく、
「私のもとに生まれて来てくれて
本当に嬉しいなぁ。ありがとう。」
と思いました。



長男は生まれて来た時には
仮死状態でした。

数分間
心臓が止まっていて、
呼吸もしていなかったので、
「脳に障害が出るかも」と
言われていました。

緊急の帝王切開で、
生まれた時に鳴き声が聞こえず、
底知れない恐怖を感じました。

二人で無事に退院できた時に
安心して泣いたのを今でも
覚えています。

ただ、
その後の子育ては大変でした。
私は母乳が出ず、それが
ものすごくショックだったし、
夜泣きが酷く、ずっと抱っこして
いないと寝ませんでした。

なかなか言葉も出ず、
3歳児検診で発達障害の指摘を
受け、次男もいて、(次男もその後
発達障害と診断されました。)
仕事をしつつ療育も受けに
行きました。

保育園がまったくなじめず、
いつも大号泣。園の行事の写真も
悲壮感ただよう顔で写っていて、
「なんで、子どもにこんな悲しい
顔させてまで仕事してるんだろう……。」
と自分を責め続けました。

やっと年長さんになってから、
馴染んで、すぐ卒園。

小学校は、
発達支援センターの方に相談したり、
就学時教室での様子等を聞いて、
迷って、迷って、支援級にしました。

入学式前日、下見をした方がいい
と思って小学校へ行った時に、
体育館へ入る事をかなり嫌がられ、
本当に将来を心配しました。

一年生の時の担任の先生が長男を
とても誉めながら教えて下さった
おかげで、何とか過ごす事ができ
ました。

途中、支援級の先生が療休などで、
規定より足りない時もありましたが、
かえって自分たちでやる力がついた
時期もありました。

ただ、
通常級には「行きたくない」
と言っていて、5.6年になってから、
理科や社会だけ受けに行っていました。

後から、
「自分はダメな人間だから支援級に
行ってるんだ」と思っていた
と聞かされました。これも
本当に悲しかったです。

ちゃんと産んであげられなかった
自分を責めました。

学校行事は頑張って参加していて
宿泊学習も修学旅行も行けました。

高学年になってから、
病院で検査を受けて、
「自閉症スペクトラム」
との診断が出ました。

その間、私は結局仕事を続けて
いましたが、仕事+家事+育児+療育
の両立が本当に難しく、鬱状態が
ずっと続き、自宅療養と復職を
繰り返していました。

気分の上げ下げが激しく、
よくイライラしていたと思います。

子どもに愛情はあるものの、
本当にイライラが酷くて、
怒った後に自己嫌悪するの
繰り返しでした。

仕事をしている時は、ずっと
児童デイサービスへ通わせていて、
「お母さんとあまりいれなくて
寂しかった」と最近聞きました。

今思うと、あの小さい頃、
もう少し一緒に過ごせば良かったと
思っています。

私が、精神的に未熟で、どうしても
適応する余裕がありませんでした。

小学校を卒業した春休みに、
彼は急に心身共に成長しました。

中学校でも、
悩んで支援級を希望しましたが、
新入生に支援級の子は
長男ともう1人しかおらず、
入学式でも問題行動がなかったので、
通常級で二人同じクラスに入り、
支援級の担任がサポートにつく形で
スタートしました。

これが、今となっては、
本当にありがたかったですが、
途中、クラスの子どもから
からかわれてものすごく
落ち込んだり、2年生になったら、
支援級の先生を煩わしく思ったり
したようでした。

児童デイも年齢が上がると、
年下がいるのを嫌がり、
辞めて変更する時も、
心労が絶えませんでした。

新しい児童デイで、
とても仲良くなった子がいて、
それから、
休日もその子達と一緒に遊んで、
とても楽しく過ごせたり、
学校も塾も頑張って行き、
学校行事も積極的ではないものの、
与えられたものは、
真面目に取り組んでいました。

修学旅行もクラスのみんなと
一緒に行動して、
「楽しかった!!」と笑顔で
帰って来ました。

まだ、
人間関係や、日常生活では
偏りやこだわりが見られる
ものの、本当に真面目で、
優しい子どもに育ってくれています。

そして、
イラストを描くのが本当に好きで、
どんどん上達しているし、

年頃の子どもですが、自然を、
景色を眺める、愛でるのが好きで、
「母さん、月が綺麗に出てるよ。」
と教えてくれたりします。

面接の練習も本当に頑張って
いました。

公共交通機関も支援級や
児童デイで何回も
使ってもらい、1人で乗れる
ようになっています。

自転車が好きで、夏場は
遠くまで友達や1人で
遊びに行きます。

あんなに集団生活が苦手で、
自信がなさそうにしていた子が、
いろいろな経験から
本当にいろんな事を学んで、
いわゆる公立の「普通科」高校を
受験できるまで成長してくれた事が
本当に嬉しくて、
本当にありがたくて、

彼を送り出した後、
しばらく涙が止まりませんでした。

そして、
後悔がないと言えば嘘になりますが、
これまで、自分のできる精一杯の
決断と行動をしてきたから、
今日という日を迎える事ができたし、

本当に、
本当にたくさんの人の力を
借りる事ができたおかげで、
今があるし、

私が、今こうやって
子ども達の存在に感謝できるのは、
私の父と母が、私に愛情をもって
育ててくれたからだと思えて、
本当にしばらく、涙が止まらず
泣いていました。


夕方、少しほっとした様子で、
帰って来た長男を笑顔で迎えると、
「母さん、おにぎりのアレ、
ありがとうね。」と言ってくれました。

少しでも緊張がやわらげばと
思って、おにぎりのラップに
マスキングテープで、
「深呼吸して、練習通りにやれば
大丈夫!!大好きよ。お母さんより」
と書いて貼って置きました。

年齢的に嫌がるかな……と
ちょっと思いましたが、
少しは役にたったみたいで、
良かったです。

そう言えば、
彼は面接の回答を書く中で、
「好きな言葉を教えて下さい。」
と言う質問に、
「『大好き』という言葉です。
聞くと嬉しいし、安心します。」
と書いていました。

私は子どもが生まれてから、必ず、
毎日『大好きよ』と伝える
ようにしてきました。

発達障害だとわかる前から、
怒ってしまう事が多かったりしたので、
愛情をわかりやすく伝えたかったし、
ずっと、自分が言われたかったのもあります。

面接の回答を一緒に考えている時に
この『大好き』の回答の話を聞いて、
想いがなんとなく伝わっていた事を
嬉しく思いました。


いろんな事が
いっぺんに癒された、
本当に有難い1日でした。


これまで、
私や長男に関わってくれた全ての
方に、父や母や義父母、夫と次男に、
本当に心から感謝しています。
ありがとうございます。


そして、長男に。
「私のもとに生まれて来てくれて
 本当にありがとう。大好きよ。」