今日は祖父の三回忌のため、川口(埼玉県)まで来ました。
はっきり覚えています。
祖父が亡くなったのは、2年前の12月29日早朝。
(心臓近くの)大動脈瘤破裂が死因でした。
ほぼ即死だったようです。
肺ガンもかなり進行していたとも聞かされました。
亡くなる直前まで見落とされていたようです。
動脈瘤が発見された時には若い人でも手術が難しい場所、年齢は80歳近く、除去は無理と診断されていました。
それから数年、いよいよ危ないという連絡を受け、お見舞いに行ったのが12月20日。
子供のころから名古屋と埼玉に離れて生活していたので、祖父と会えたのは数えるほど。
それでも父と会える時間がもっと少なかった子供の頃の私は祖父に父親に近い感情を持っていました。
お見舞いの時に、「ありがとう」と「さようなら」だけは絶対伝えようと思って行きました。
でも、伝えられなかった……。
別れを伝えるには祖父はあまりに元気すぎました。
年が明ければまた連休がある、その時また会えると思ってしまいました。
痛恨の失敗でした。
訃報が悪い冗談に思える(冷たくなっていても)目を覚ましそうな遺体。
泣きました。
最初は悲しい気持ちより自分の気持ちが伝えられなくなった悔しさの方が大きかったかもしれない。
いることが当たり前だった人が、いないことが当たり前になった事実はいつまでも受け入れられたのは一体いつだったか…?
あの時言えなかった言葉は、もう祖父には伝えられない。
だったらせめて、自分が関われる人には気持ちを伝えていこうと改めて考えた一日でした。
はっきり覚えています。
祖父が亡くなったのは、2年前の12月29日早朝。
(心臓近くの)大動脈瘤破裂が死因でした。
ほぼ即死だったようです。
肺ガンもかなり進行していたとも聞かされました。
亡くなる直前まで見落とされていたようです。
動脈瘤が発見された時には若い人でも手術が難しい場所、年齢は80歳近く、除去は無理と診断されていました。
それから数年、いよいよ危ないという連絡を受け、お見舞いに行ったのが12月20日。
子供のころから名古屋と埼玉に離れて生活していたので、祖父と会えたのは数えるほど。
それでも父と会える時間がもっと少なかった子供の頃の私は祖父に父親に近い感情を持っていました。
お見舞いの時に、「ありがとう」と「さようなら」だけは絶対伝えようと思って行きました。
でも、伝えられなかった……。
別れを伝えるには祖父はあまりに元気すぎました。
年が明ければまた連休がある、その時また会えると思ってしまいました。
痛恨の失敗でした。
訃報が悪い冗談に思える(冷たくなっていても)目を覚ましそうな遺体。
泣きました。
最初は悲しい気持ちより自分の気持ちが伝えられなくなった悔しさの方が大きかったかもしれない。
いることが当たり前だった人が、いないことが当たり前になった事実はいつまでも受け入れられたのは一体いつだったか…?
あの時言えなかった言葉は、もう祖父には伝えられない。
だったらせめて、自分が関われる人には気持ちを伝えていこうと改めて考えた一日でした。



