訓読会 2021年7月12日(天基13年6月14日)日本時間では7月13日

天聖経【環太平洋摂理】第1章 21世紀は太平洋時代〜

 

本日のRhema  

[コリント人への手紙 第一  13:1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13]

 

たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。

たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。

たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、

不正を喜ばずに、真理を喜びます。

すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。

愛は決して絶えることがありません。預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。

私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、

完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。

私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。

今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。

 

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

 

[ホームページ]

https://graceandmercy.or.jp/app/

 

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